第14稿:英雄の恋人 S
ずうっと、ずうっと昔のことです。
世界を気ままに巡っていた、その冒険者の一行には、後に『英雄』と呼ばれることになる若者と、その恋人がいました。
その二人は、はじめこそただの仲間という関係でしたが、気がつけば互いに惹かれ、そして恋人となりました。
そんな二人の関係を仲間たちの誰もが、心から祝福していたのです。
当時、世界では戦争と天災が相次いでいた。
あれほど豊かな大地は荒廃した。
人々は争いと病、飢えに苦しんだ。
誰もが明日を夢見ることが出来ない。
そんな暗く、苦しい時代だったのです。
そんな時代を生きた彼らにとって、皆で過ごす時間は、どんなに辛く苦しいことがあってさえ、 越えて行けると思うほどに、とてもとても楽しいものでした。
いつまでも続くと思ったその関係は、けれど唐突に、終わりを迎えたのです。
月のない夜、若者たちが滞在した村は、野盗の襲撃にあいました。
戦続きでもとより治安は悪化している地域です。
可能性として、盗賊の類いが出ることも考慮はしていました。
月のない、夜でした。
彼らが対峙したのは、おおよそ十五人の野盗たち。
手に武器を構え彼らはにやにやと嫌な笑みを浮かべました。
彼らは若者と軽装の剣士、神官である少女に、魔術師と弓手。
彼らは五人のパーティだったのです。
彼らは善戦しました。
はじめから人数差など関係がないように。
互いがどう動くか、最初から分かっているかのように。
剣を振るい、矢は風を切り、神に祈り、精霊に助力を求めました。
けれど、それは本当に。
――運が悪かったとしか、言いようがありませんでした。
野盗のひとりが放った矢は、逃げ惑う罪もない村人に向けられ。
それに気づいた神官は、仲間へ警告を叫び、駆け出しました。
そして矢は、村人を庇うように突き飛ばした彼女に吸い込まれるように刺さり――。
短い悲鳴をあげた魔法使いは、けれど弾けるように駆け寄り、すぐさま治療を開始します。
その様子を視界の隅に捉えた若者は、一瞬呆然とし、けれど仲間と村人を庇うように立ちました。
夜が明ける前に、すべては終わっていました。
幸いにも村人は軽傷者が何名か出ただけで、それは専門ではない魔法使いでも治療できるほどでした。
若者は、恋人の傍で涙しました。
青白い顔の少女は、今にも消えてしまいそうなかすかな呼吸で胸を上下させます。
縋るような眼差しを向けられた魔法使いはゆるゆると首を振り、若者に告げました。
魔法でかろうじて保っている命。
それも効果は短く、すぐに彼女は命を落とすだろうと。
痛みもなにもかもを誤魔化して、彼女は静かに眠っていました。
ゆっくりゆっくり死へと向かって。
矢は彼女の腹部を貫き、服はその血でぐっしょりと濡れ赤黒く染まっています。
意識があれば、痛みが彼女を苦しめるであろう程に。
若者は彼女の頬を汚す泥を拭うと、魔法使いにただ一言「東へ」と淡々と告げました。
魔法使いはためらいを見せつつも、言われたとおり最果ての森へと、転移の門を開いたのでした。
彼らがやってきたのは、霧の結界に包まれた森の奥深く。
願いに見合った代償を捧げれば、それを叶えてくれるという伝説のある大樹のそばでした。
若者はその腕に眠ったまま彼女を抱いたままに、天に向かって叫んだのです。
代償ならばこの身で支払えるものならば命ですら差し出そう!
だからこそ、彼女を助けてくれ!
伝説はあくまで伝説であり、真実である保証はどこにもありません。
誰にも助けられない命を助けたくて、ただそれだけで、彼はひたすらに祈りました。
やがて。
ばさりと、羽音が聞こえ、天からひとつ、声が降りました。
命ひとつ救う為
汝が命
永遠に世界に捧ぐ覚悟はあるか
感情を感じさせない言葉は淡々と告げ、若者はただ一言「当然だ」と答えました。
途端、少女の体は光に包まれ若者の手を離れると、大樹に吸い込まれるように消えてしまいました。
呆然とする若者に声は告げます。
消えゆく命を取り戻すのは難しい
何れ時は満ちる
再び人の道を歩むまで
人の子は大樹に抱かれ暫しの時を眠って過ごす
それだけを伝えて、それっきり声が聞こえることはありませんでした。
若者は、先ほどまで温もりを抱いていた腕を見下ろすと、悲しむような安堵するような複雑な笑みを浮かべました。
◇ ◆ ◇
「若者は恋人に会える日を楽しみにしながら、その場所を立ち去ったのです。
けれど、彼はその数年後『英雄』と呼ばれ、世界の命運を握る争いに巻き込まれました。
そしてその中で落命したとき、この地で眠ることを『英雄』は選びましたとさ」
魔女は歌うような口調で言って、枯れ朽ちた大樹の幹を撫でた。
大樹の根本には、綺麗に手入れのされた小さな墓と、供えられた色とりどりの花たち。
「それは、史実でしょうか?」
地面に腰を下ろした青年は、墓をそうっと撫でる。
魔女の語る物語はどこか童話のような形式をとっていたけれど、それとは違い教訓もなにもなかった。
淡々と事実を語るような口調に、青年は首を傾げる。
彼の手元の墓石はずいぶん古い物らしく、かろうじて読み取れたのが『1■79 -14■1』とという数字の断片のみ。
他は、雨と風に削られすでに読み取ることができなくなっていた。
「うん」
魔女は一言肯定すると、青年を見遣って微笑んだ。
「ずうっと昔。本当に気が遠くなるほどの昔に、あったのだと聞いたわ」
覇権戦争を知っている?
魔女は青年にそう問うた。
青年は暫し草原色の瞳を瞬かせる。
「ええと、旧暦一三八〇年から二十五年続いた戦争ですよね。 ストラルにおける支配権を巡っての大戦で、後に盟主制度を確立させる契機になった戦。人的被害だけでなく、大地を荒廃させたりで分断後最悪と称された。 終戦のきっかけになったのは英雄……フレイ率いる連合軍の勝利」
「よくできました。さっきの登場人物は皆、その時代を生きた人たち。
起こった出来事も本当。
かつて此処にあった大樹に抱かれ眠った少女がいたのも本当。
この地に眠る人がいたのも本当」
「じゃあこの墓碑はフレイの?」
向けた視線に、魔女はひとつだけ頷いた。
頷いて、それから覚えておいてと続けた。
「このお墓には、生没年以外刻まれなかった。刻めなかった。その理由はいくらねだっても語られなかったから私は知らない。
ただ繰り返し言われたの。だから貴方も覚えておいて」
座ったままの青年の頭を子供にするようにくしゃりと撫で、魔女は言う。
「今ある平和は、多くの人の流した血で出来てる。
子供も大人も誰もが必死に足掻いて掴んだ平和だ。
そのことに感謝しろとは言わないけど、ほんの一瞬で構わないから、そんな時代を生きた人の事を思い出してくれ」
青年も知る人物そっくりの言い方で、彼が頷くのを見て満足そうに笑みをこぼした。
◇ ◆ ◇
遠い遠い昔。
大樹に抱かれた少女は、時が満ちやがて目を覚ましました。
その時すでに、大陸全土を巻き込んだ戦争は終焉を迎え、世界はようやく望んだ平穏を手にしていました。
飢えも病もなく、明日とも知れぬ命を嘆く必要もない、そんな夢にまで見た世界でした。
けれど、傍らにいつもいた恋人は既に空の人となり、その亡骸は彼女の眠っていた大樹のかたわらに葬られていたのです。
彼女は嘆くでも絶望するでもなく、ただ笑ってその現実を受け入れました。
彼女の仲間たちは、 そんな彼女の姿に胸を痛め、同時に支えになりたいとも思いました。
少女から女性へと、無理やり歪め止まった時がゆっくりと動く中で、彼女は度々その地へ足を運んだのでした。
手に色とりどりの花を携えて。
やがて大きくなった赤毛の子の手をひいて。
彼女が笑って最期を迎えるその時まで、英雄の恋人はその墓を訪れたのでした。
――――
ストラルにて
初出:2011/06/10




