第15稿:独り寝が寂しい夜に R
闇を切り裂くような稲妻と轟音。
桶をひっくりかえしたように、降り続ける雨。
小さな工房は、吹き飛びこそしないものの、窓は頼りなく吹きつける風に揺れていた。
養い親であるラズは、町の近くを流れる河川の様子を見に行ったきり戻ってこない。
夕食を終えた頃、町から連絡はあったのだ。
使いの男が言うには、町のそばを流れる川の水嵩が増し、堤防が決壊するかもしれない。
ラズと数人の魔法使い、それからたまたま滞在していた冒険者パーティと協力してその対応にあたる、とのことだった。
気づかないような隙間風でもあるのだろうか。
蝋燭は落ち着きなく揺れ、文字の読みづらさにリーンは眉を寄せた。
リーンの感覚が正しければ、そろそろ日付がかわる頃だ。
風も雨も、相変わらずの勢力を保ったままだった。
時折轟く雷鳴は、分厚い遮光布の隙間からも、その存在を認識させるありさまだ。
様々な外界の音で聞き取りにくいはずなのに、時計のカチカチという音がやけに耳に届いて、煩わしかった。
しょうがなく本を閉じ、足は床に投げ出したまま、ごろりと寝台の上に横になる。
(寝れそうにないんだよなぁ……)
カチ、カチ、カチと針は時を刻み続け。
一度起き上がりブーツの紐を解き、仰向けに寝転がった。
そんな時だった。
風の音に紛れて、小さくドアの開閉音が耳に届いたのは。
小さな足音は、ぺたんぺたりとまっすぐにリーンの部屋の前までやってくる。
そして、扉の前をいったりきたりを繰り返すようにぐるぐるとまわる。
(なにやってんだか)
苦笑して、暗い廊下でひとり迷ってるであろうその子の姿を思い浮かべた。
転がったばかりの体を起こすとそのまま扉へ向かう。
木床の冷たさが足裏に心地良い。
「うろうろするなら入れば?」
そっと扉をあけて呼びかけると、闇にまぎれた少女エルは肩をふるわせて、それから泣きそうな顔でこくりと頷いた。
部屋に招かれたエルは、見慣れない部屋だからか、落ち着きなくあたりをみまわす。
「寝台。寝てていいよ」
立ち止まったままのエルの背をリーンが軽く押せば、少しだけ躊躇いつつも少女は身軽に寝台の上に飛び乗った。
「俺はどうせ寝れそうもないし、朝まで寝ててかまわないぜ?」
そう声を掛けてやればエルは嬉しそうに頷き、音を奪われた唇が『ありがとう』を紡ぐのが見えた。
リーンは寝台のそばにクッションを運ぶ。
その上に座り、寝台にもたれかかるようにして本を読み始めた。
寝台の上のエルは、時折響く雷鳴に怯えるようにもぞもぞと寝返りを打つ。
「……怖かったのか?」
寝付けない様子の少女に呼びかければ、少しの間の後、肯定する気配がした。
振り返れば、上掛けの隙間からちらりと顔をのぞかせている。
「ただの音と光の集合体だし、こっちまでそうそう落ちてこないって」
たしかに音や光にはびっくりするときもあるけど、と続ければ、エルはふるふると頭を揺らす。
(怖いものは、まぁ怖いわな)
リーン自身にも怖いものはあるのだ。
たとえ、それ自体に害はないと理解していても。
それを小さな子供に我慢しろだなんて、とても言えるわけがなかった。
どう対処すればよいかわからぬままに居心地の悪い沈黙がやってきて、その間の悪さを本を読むことでごまかそうとしたとき、不意に服を引っ張られた。
視線がかち合うと、エルは少し遠慮するように、唇を震わせた。
声はない。彼女の喉は、音を紡がない。
「(おうた、うたって?)」
けれどその口ははっきりとそう言った。
続けて、こもりうた、とはっきりと少女は告げる。
「子守唄、だぁ? あーもう、俺そんながらじゃないんだけど……」
そう言ってもなお、エルはお願いというような目でリーンを見遣っていて。
目を逸らすこともなんとなくできず、やがて、リーンは折れた。
「あーもう、俺ほんと歌下手なんだよ……。笑うなよ!」
それだけ言って、両親と過ごした記憶を必死に思い浮かべる。
小さなころ、寝台の横に座った母が紡いだその歌の、歌詞を必死に掬い上げた。
ずっと昔のその思い出は、掬い上げるその指先から零れ落ち、ようやっと歌い出しを思い出せたのは数分後のことで。
リーンはコホンと咳払いをして、
「Yel rua, yel rua」
顔ももうぼんやりとしか思い出せなくなった母が歌った歌を、口にした。
Nea juane olted' mai.
Hu az sieda to wi az set.
Hu ana ma olted' viola, Wi as xela kladela.
Ma cuma' nimetaes, Wi as wep jadey.
Guei, Nea juane olted' mai owell.
Yal banetly,yal banetly ta hu-to...
悪いものに怯えなくても大丈夫だよ。怖いものから守るから。
だから安心して眠りなさい――。
大雑把に訳せばそんな意味の異国の子守唄だった。
メロディは短調で音数も少ない古い時代のものだったけれど、 その素朴でどこか懐かしい歌がリーンは好きだったのだと、歌いながら思い出した。
ごく自然に腕が伸び、エルの柔らかな金髪を梳いてやれば、彼女はほっとしたように笑ってリーンの歌に耳を澄ませる。
かつてそうしてもらったように、たどたどしいながらも夢中で歌い終えた時、
「寝たか、な?」
ぱっちりと目を開いていたはずの少女は、あどけない寝顔ですやすやと夢のなかにいた。
外は相変わらずの風と雨。
夜明けまでもまだまだで、養い親はきっとずぶ濡れで作業に当たっているのだろう。
零れてくる欠伸を咬み殺すと、リーンは蝋燭の灯を吹き消す。
眠れるはずがないと思っていたはずなのにと苦笑して、エルを起こさぬように自身も寝台に背中合わせになるように潜り込んだ。
(寂しいのは、俺もか)
遠のく意識の中、背中の温もりに何処か安堵する自分に、リーンは苦笑した。
――――
レクナーにて
Yel rua , yel rua. 愛しい子供、愛しい子供
Nea juane olted' mai. 怯えることはない
Hu az sieda to wi az set. 君の隣に、私はいるよ
Hu ana ma olted' viola, Wi as xela kladela. 君が闇に怯えるならば、私は光になろう
Ma cuma' nimetaes, Wi as wep jadey. 夢魔がくるならば、それを追い払おう
Guei,Nea juane olted' mai owell. だから、怯えないで大丈夫
Yal banetly,yal banetly ta hu-to... 良い夢を、良い夢を君に
初出:2011/05/27




