第四十四章 栄太郎の手腕 【前編】
一行を乗せた人力車は、七条から三条へと、烏丸通りを北上していく。両側に伝統的な京町家が立ち並ぶ道幅の狭い通りを、車夫たちが颯爽と駆けていく。
京都の街並みも自分がかつて見たときとはすっかり様変わりしていた。数百年経てば、それも当然か。最後にこの都へ足を踏み入れたのは、一体いつのことだったか。
栄太郎の言う三条の印刷所も、実際にその目で見るまでは想像もつかず、闇雲に空間転移をするわけにもいかない。
「栄太郎の作戦は、今伝えた通りだ」
「なんや……凄腕って感じの兄ちゃんやなぁ。頼もしい味方が増えて良かったやんか、夜叉月」
「……あぁ」
だが、その栄太郎が夜叉月にとって、完全に「味方」と言えるのかは複雑なところだった。下手をすれば、最大の強敵かもしれない。
「なぁ、天翔。お前に見える『予知の法』は、どんなものなんだ」
仏法を司る護法神たちの中には、少なからず「予知の法」を扱える者たちがいる。最大のものは仏界に置かれたあの巨大な盤面なのだろうが、他にも夜叉月のように波動の一部を捉えたり、あるいは大日如来や菩薩達のようにすべてを見通す者もいる。
「俺のは、すごく限定的なやつやで。お前の魂と清香の魂の存在が、それぞれ一つの『光』になって視えるんや」
「俺と、清香の……?」
「あぁ。どこにいるのかまでは、はっきりとは分からんけどな。せやから清香の魂が新しい生に転生するとその光が灯るし、逆に衰弱しているときには光も弱まるから、大体の状態だけは把握できるってわけや」
「……それはつまり、俺のも見えているということか?」
「あぁ……せやで。だからな、お前にはあんま無茶してほしくないねん。ま、言っても聞かんやろうから言わんけど」
しっかりと、聞かせているではないか。
夜叉月の口元にふっと笑みが零れた。天翔が頭の後ろで腕を組みながら、こちらをちらりと見やったが、夜叉月は気づかないふりをした。
「それがどうして清香と俺の魂だと分かるんだ?」
「分からんわけないやろ。俺、お前の追っかけやもん」
「……」
夜叉月が迷惑そうな視線を向けると、天翔はにかっと笑う。
「……冗談だと言ってくれ」
「本気やもん」
夜叉月は諦めて前を向く。
「けどな、絢は今、かつてないほどでっかい光を放って自分の無事を主張しとる!だからな、安心せぇ!」
天翔が夜叉月の背中をばしっと叩いた。夜叉月は冷ややかに目を細めたが、天翔は笑顔を崩さない。
夜叉月は軽く息をついた。それに今回ばかりは天翔の言葉に救われた。
―――あぁ、そうだ。
絢は、私を一人にはしないと約束してくれた。今も心配で気が狂いそうではあるが、何故だか胸の奥では漠然と「その約束だけは守られる」という確信があった。
―――絢は、無事だ。私の絢は、この世の誰より頼もしい女性なのだ!
「さっさと迎えに行ってやる!『遅かった』と呆れられてはかなわないからな」
「おっ?!調子でてきたやん!」
まったく緊張感の感じられないこの男は、何故か嬉しそうに声を弾ませた。
◇
三条烏丸に近付くにつれ、伝統的な京町家の景観の中に赤煉瓦造りと白い石造りの洋風建築が混ざり合い、独自の存在感を放ち始める。
三条烏丸の交差点に到着し、三台の人力車が停車した。
「ここから活版所はすぐですので、案内します」
先頭に立って歩き出す栄太郎の後に続く。栄太郎は、三条烏丸の交差点を折れ、三条通りを進んでいく。
彼は、中身がパンパンに入った大きな鞄を両手に一つずつ提げていた。
「三条通りは、これから向かう活版所の他にも、新聞社や出版社などが集まっているんです。言わば『京都の言論、文化、情報の発信地』ですね。……着きました」
栄太郎は、重厚な木造構えに、ハイカラなガラス窓が嵌め込まれた建物の前で足を止めた。掲げられた看板には、金文字で「明文舎活版印刷所」と記されている。
表のガラガラと鳴る引き戸をくぐれば、奥の作業場から「ガタコン、ガタコン……」と、重厚な機械音が響いてきていた。
すぐに奥から老齢の店主が姿を現し、栄太郎の姿を認めるやいなや、深い皺の刻まれた破顔とともに深々と頭を下げた。
「これは、これは!東京の若旦那様。ようこそ京都までお越しくださいました。事前に連絡をいただいておりましたので、準備のほうは万全に整えてございます」
「大旦那、ご無沙汰しております。急なお願いにも関わらず、快く引き受けていただき、本当に感謝いたします」
「とんでもございません。我々は以前、貴重な最新機器を工面していただいたご恩がございます。いつかそのお礼がしたいと思っていたところでしたから」
栄太郎の物腰には、若い商人の気負いや傲慢さは一切なく、老店主に対する礼節を保ちながらも、大店の主としての確かな手腕と頼もしさが滲み出ていた。
「……俺ら、昨日の今日で東京を発ってきたよな?事前に連絡って?」
「東京を立つ直前、こちらに電話を一本入れておいたらしい」
「で、電話……!?やっぱ、栄太郎ってすごい奴やねんな……」
電話はとても高価であり、限られた一部の富裕層や機関でしか所有できない特権的な手段だった。
天翔がこそこそと夜叉月に耳打ちして感心していると、すっかり聞こえていたらしい栄太郎がくすくすと笑いながら振り返って告げた。
「ふふっ、お褒めに預かり光栄です」
栄太郎が再び老店主に向き直り、軽く挨拶を済ませると、その後は皆で最終の打ち合わせに入った。
「皆さん、すでに、優秀な人力車の車夫を四名ほど手配してあります。二組に分かれて行動されるとのことでしたので、二名ずつお連れください。顔の効く者たちですので、足以外にも御役に立ちましょう」
「私はひとまず車夫をここに残し、夕澄と二人で大江山の結界へ向かう。あそこなら地理は十分に把握しているから、一瞬でたどり着く。周辺を調べて戻ってきても一刻[二時間]もかからないはずだ。距離もあるし、何人も連れては行けないから、連絡係は夕澄がいればいい」
夜叉月の言葉を聞いた老店主は、口をぽかんと開けて固まってしまった。
それもそのはず。ここから大江山まで、山道や峠を越えながら最短で行ったとしても一日半はかかる。それを「一刻で戻る」と言い放つのだから、正気を疑われても仕方がない。
すかさず栄太郎が老店主に笑顔で釘を刺す。
「大旦那、彼らから聞くことは、くれぐれも他言無用でお願いします」
「……え、えぇ、もちろんです!」
老店主も慌てて返事をした。
「天翔、お前たちとの連絡手段はこれだ。持っておけ」
夜叉月は帯の結び目から一本簪を抜き取り、それを天翔へと手渡した。
「お前……これ……」
「絢姉ちゃんの簪!」
ここまで大人しくしていた小春も、天翔に渡したそれを覗き込むなり目を丸くした。もっとも、これは「絢のもの」ではないのだが。
「俺のだ。絢の簪は大切な身代わりのお守りだから、渡すわけにはいかない。この簪には互いの気配を映す術が施してある。二本の簪同士が霊力で繋がっているから、遠く離れていても連絡のやり取りができる。何かあれば、これに触れてこちらへ念を飛ばせ。……絶対に無くすなよ」
「わ、分かっとるわ!……大事なもん預かっとるの、緊張するやないか!」
「大江山に手がかりがなく、私と夕澄が戻り次第、この周辺の捜索に加わろう。そのときには車夫たちも一緒に借りていく」
「ではそのように。我々の予想通りであれば……あなたをおびき寄せた本人たちは、あなたがすでに京の都に入ったことに気づいているはずです。そう時間はかからずに、向こうから次の行動に出てくるかと」
夕澄は扇子の隙間から不機嫌な視線を覗かせ、空いた手の指で組んだ腕をとんとんと小刻みに叩いている。
「おい、夜叉月!話が済んだならさっさと行くぞ。半刻[一時間]だ!半刻で終わらせろ」
夜叉月は僅かに眉を跳ね上げた。
「はっ……四分の一刻[三十分]で十分だ」
夜叉月は指を二本立てると、問答無用で夕澄の額を正面から勢いよく突き飛ばした。指が夕澄に触れた瞬間、二人の姿は一瞬にしてその場から掻き消えた。




