第四十三章 いざ京都へ、出発 【後編】
「お前は―――」
「おや、栄太郎君。久しいね」
「えぇ、ご主人、ご無沙汰しております。絢に出張の土産を届けに来たところだったのですが、何やら大変なことになっているようで」
「なぜお前まで……それこそ足手纏いだ」
「刀をまともに握ったことはありませんが……僕の情報網を甘く見てもらっては困ります。彼女を探す当てなどないのでしょう?その点において、僕はかなり役に立てるかと」
「へぇ、兄ちゃん、京都に何かつてがあんの?」
「はい。京都だけではありません、日本全国どこにでも。京都は古い都ですし、つてのない東京の人間が探し回ったところで、簡単に口を割ってはくれませんよ」
栄太郎は穏やかな笑みを崩さずに、静かにそう言い切った。
どうやら彼は、ほとんどすべての話を聞いていたらしく、状況を的確に把握した上で、自らの最大の切り札を提示してきたのだ。
栄太郎は確か、浅草で印刷業を営んでいたのだったな。流石は商売人だ。
正直、絢に近しいこの男を快く思ったことは一度もないし、一緒に連れて行きたくなどなかった。しかし彼の提示した切り札は、今の夜叉月が喉から手が出るほど欲しい切り札の一つだった。
「……仕方ない」
「ありがとうございます。汽車の手配は私にお任せ下さい。すぐに参りましょう」
◇
皆の準備が滞りなく整い、合流した小春も含めた一行は急ぎ足で新橋の停車場へと向かう。駆け込んだときには、すでに町の灯りが夜闇の中に沈みかけていた。
「夜行列車ですので、明日の昼頃には京都へ到着するでしょう」
栄太郎が手配したのは一等客車。車内には上質な赤絨毯が敷かれ、座席はビロード生地で丁寧に包まれていた。
五人が座席に身を沈めると、間もなくして鋭い汽笛が夜空を突き破るように鳴り響いた。
ガタン!と、重々しい衝撃とともに車体が動き出す。
夜叉月は窓枠に肘をつき、外の景色をじっと眺めていた。ガス灯に照らされた東京の街並みが、ゆっくりと後ろへ流れ去り、やがて深い闇の中へと飲まれていく。
絢……どうか、無事でいて―――
一等級の客車内には、足元に蒸気を通した暖房パイプが巡らされており、寒さも幾分かましだった。
深夜になると周囲の乗客たちは寒さに身を竦めながら、浅い眠りにつき始めた。小春も車掌から配られたひざ掛けにくるまり、こっくりこっくりと頭を揺らしている。天翔や夕澄も腕を組んだまま僅かに首を傾げて目を閉じていた。
その中で、栄太郎だけが薄暗いランプの明かりの下、膝の上に広げた大きな地図や紙束にペンを走らせ、黙々と作業している。
「何をしている?」
「これは京都にある僕の商売上の繋がりや、信頼できる人物の一覧です。最初に頼るべき場所の目星をつけておこうと思いまして」
栄太郎は顔を上げることもなく、真剣な眼差しで、紙面上に次々と新たな印を書き足していく。
「随分とたくさんいるんだな」
「はい。商売に人脈は必須ですから」
「……大した男だ」
夜叉月が思わずそう零すと、栄太郎がふと手を止め、顔を上げた。栄太郎は意外そうな表情で夜叉月を見つめた後、穏やかな笑みを向ける。
夜叉月自身、ふいに自分の口から出てしまった言葉に戸惑い、一瞬思考が停止した。
「ふふっ、夜叉月さんは休まれなくていいんですか」
「お前が絢のために考えを巡らせているのに、私だけ休めるか。そもそも眠る必要もないのでな」
「へぇ……それはまた、特異な体質ですね」
栄太郎はそれ以上詮索することもなく、再び手元の資料へと視線を滑らせた。
「では、明日京都に到着してからの計画をお伝えしますので、聞いていただいてもよろしいですか」
小春が以前から一目置いていた通り、やはりこの男の器の大きさは本物だった。
もしも自分が現れなかったのなら、絢はきっとこの男と上手くいっていただろう。今のところ、欠点らしきものが見当たらない。
夜叉月は複雑な想いで栄太郎を見る。
「夜叉月さんの推測通り、もしあなたをおびき寄せるために彼女の気配を意図的に残すのだとしたら、人の居ない辺鄙な山奥よりも、人の往来が激しい都でしょうね。都が、その鬼たちにとって大江山からすぐに移動できる距離であるならば、ですが」
「あぁ。都なら、奴らは問題なく移動可能だ」
かつて大江山の鬼たちが封印されるに至るまでの間、奴らは都と大江山の根城を何度も行き来しては人を攫っていたものだ。
「なら……明日、昼に七条停車場[京都駅]につきます。そうしたらまずは、三条通りにある系列の活版印刷所を全員で訪ねます。そこを本部にしますので、場所を確認しましょう。うちが活字鋳造機を融通している店ですから、力になってくれますよ。街の新聞配達員や人力車引き全員に、絢の面影を触れ回ってくれるでしょう」
そう言いながら、資料の一点を丸で囲んだ。さらに栄太郎は説明を続けながら、もう一枚の紙を広げた。それは詳細な京都の市街図が描かれており、栄太郎はその中の一点を指し示した。それは長く下界を彷徨ってきた夜叉月も耳にしたことのある、京都でも指折りの老舗呉服問屋の名が記されていた。
「そこからは二手に分かれましょう。一組はこちらの呉服問屋『越後屋』へ足を運んでもらいます。この店の引札などの印刷はすべてうちが請け負っているんです。明日、そちらに行ってもらう天翔さんにこの文を預けます」
栄太郎は、懐から金箔押しが施された重厚な和紙の封筒を取り出した。そこには、越後屋の京都支店長の宛名が、達筆な墨書で記されている。
「ここの大番頭にこの文を見せてもらえれば……老舗の顔を使って、祇園の茶屋だろうが大原の古い集落だろうが、裏の顔役へ取り次いでくれるはずです。手ぶらで行くより百倍は口が軽くなりますよ」
夜叉月は目を見張った。この男は間違いなくやり手だ。
京都の古い町並みや奥まった路地では、新参者を警戒する「一見さんお断り」の壁が至る所に存在する。そのような閉鎖的な場所でも、老舗の紹介があればすんなり聞き込みが出来るというわけだ。
これは確かに、彼を連れてきたことで下界の捜索効率は格段に跳ね上がるに違いなかった。
「ただし、これはあくまで絢がこの人間の社会に匿われているという前提です。ですから、もう一組……夜叉月さんたちは、人間が住みつかない範囲での心当たりの場所を探してください」
「あぁ、分かった」
「それから、連絡手段についてですが、お互い定期的に本部に連絡を入れましょう。僕は用を終えたらそちらにいるようにします。そして、それぞれの組に伝令役として人力車の車夫をつけます。一緒に連れ歩き、何か緊急があればその者に伝えてください。足には自信のある方たちなので、すぐにこちらへ知らせてくれるでしょう」
「足の速さなら必要いらない。空間を転移させて男をそっちに送ってやるか、私自身がそちらに出向こう。瞬きのうちだ」
栄太郎は僅かに目を見開いてから、すぐにくすっと笑う。
「それは、すごい。頼もしい限りです。ではこちらも、さすがに鬼には対応できませんが、いざという時のために人を集めておきますので」
「あぁ、任せた」
長い夜を越え、一行を乗せた汽車は、古都の表玄関―――七条停車場へとたどり着いた。客車の引き戸を開けると、じんわり温められた車内に、煤の匂いに混じって冷たく澄んだ空気が一気に流れ込んできた。
赤煉瓦の駅舎を抜けると、菅笠を被った人力車の車夫たちが競うように声を張り上げている。
「乗ってかへんか!安うしとくで」
「では、三台お願いします。こちらの荷物も積み込んで下さい。行き先は三条烏丸。急ぎで頼みます」
「すまないな、栄太郎。世話になる」
「いいえ、夕澄さん。僕はこういった手配事には慣れているので。夕澄さんは小春さんと乗って下さい。夜叉月さんは天翔さんと一緒に乗っていただいて、お伝えした作戦の詳細を共有しておいてください。お二人には別々の組で行動していただきますので」
「あぁ、分かった」
栄太郎はてきぱき手配と指示を済ませ、人力車に乗り込んだ。
夜叉月は昨夜の車内で栄太郎の手腕を目の当たりにしていたため、改めて驚きはしなかったが、天翔はぽかんと口を開けて栄太郎を見た。
それから四人は栄太郎に言われるがままそれぞれ人力車に乗り込んだ。
それを確認するように、栄太郎が人力車から身を乗り出して振り返る。
「皆さん、まず本部になる活版所へ向かいましょう」




