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第四十三章 いざ京都へ、出発 【前編】

「絢を厄介ごとにばかり巻き込みやがって。いい加減にしろよ……」


 浅草の常磐堂の店内に、夕澄の低い声が響いた。扇子の陰から鋭い瞳を覗かせ、怒りに全身を震わせている。卓に座っている夜叉月を、夕澄は殺気を込めた目線で見下ろしていた。


「妹を何度も危険な目に合わせる男を、認められるわけがないだろう」


 普段ならば軽く聞き流すこの兄の言葉も、今回ばかりは弁解の余地さえない。夜叉月はただ黙って、その怒りのすべてを真っ直ぐに受け止めていた。

 その空気を和らげるように、向かいの席に腰を下していた店主が、温かいお茶の入った湯呑みを手にしながら細く笑い、夜叉月の代わりに夕澄の言葉に応えた。


「まあまあ、夕澄。あの子は昔からじゃないか。大事な者のためなら、自らの危険など顧(かえり)みず、真っ先に飛び込んでしまう……それが、あの子の持って生まれた性分さ。誰も止められやしないんだから。今までだってそうだったろう?」

「親父殿っ!」


 夕澄は扇子をぱちんっと閉じて、これ以上余計なことを言うなとばかりに声を張り上げる。

 その様子を目の当たりにし、夜叉月は思わず目を見開いた。

 店主は少しだけ視線を伏せ、どこか遠くを見つめている。彼は絢の父親だ。どんなに娘のことを理解していようが、心の底から心配でならないのは当然のことだった。


「……本当に、すまない。絢は、私が必ず連れ帰る」

「当然だ!」

「ありがとう、夜叉月君。……君のことを信じているよ」


 店主のお陰で夕澄が少し落ち着きを取り戻してきたところで、話の成り行きを静かに見守っていた天翔が、咳払いを一つして話を本題へと戻した。


「絢が連れて行かれた場所やけど……夜叉月は心当たりあるんか」

「無くはない。この辺りにいないとなると、おそらく……」


 夜叉月は、かつて己の手で封印した古の羅刹―――酒呑童子が見せた最後の姿を脳裏に思い起こしていた。

 あのとき、裏切りの怒りに燃えたあの瞳の色を。だが今の夜叉月には分かる。あれはただの怒りなどではない。瞳の奥には、深い愛を踏みにじられた悲哀と絶望の色が、確かに揺らめいていた。


「―――京都だ」

「は?!京都だと……?!なぜまた、そんなに遠くへ!」

「絢を攫った奴らは、千年前に封印された酒呑童子に仕える者たち。酒呑童子は、今も京都の大江山で眠っている」

「はぁ?酒呑童子だと?そんなの、ただの伝説だろ?」

「違う。奴は、確かに私が封印した羅刹だ」


 一人命をかけた、女の尊い犠牲をもって―――。


「は?!お前が封印した?!お前は本当に、何者なんだ!!」


 ……さぁ。私は、一体何者なんだろうな。長い年月を彷徨っているうちに、忘れてしまったな。


「奴らの目的は、真尋だ。酒呑童子を復活させるため、奴らは何百年も真尋を追い続けている」

「真尋?お前が飼っている化け物のことか」

「夕澄、その言い方はやめなさい」

 

 すかさず店主が夕澄を嗜める。娘も息子も常人離れした特殊な力を持っているからであろう、店主もこの手の不可思議な事情にはすっかり慣れているようだ。


「せやで!真尋は結構可愛いとこあるんやで」

「真尋を連れていくには、私ごと攫う必要があるからな。しかし、正面からの力づくでは無理だと分かっているのだろう。絢を連れ去れば、私が動く。そう判断したんだろうな」

「お前が絢に執着するせいで……っ!」


 夕澄は心底忌々しげな視線を向けてくる。夜叉月自身、それが事実であるだけに返す言葉もなかった。だからと言って、これから先絢を手放すようなことは、もはやできるはずもない。


「奴らの目的が真尋である以上、絢を長く隠しておく利点はない。酒呑童子の封印されている大江山の直ぐ傍らに置くか、あるいは奴らがすぐ移動できる範囲に匿い、私たちを誘き出すか」

「せやけど京都って言うてもなぁ……広いからなぁ。一体どこから……」


 天翔が頭を抱えかけたところで、夜叉月と夕澄の二人が同時に立ち上がる。


「は?急にどないした?!」

「京都だ。今すぐ絢を探しに行くに決まってるだろ」

「他に何がある、このバカ鬼!」

「息、ぴったりやないか……」


 店主は相変わらず穏やかな笑みを浮かべているが、瞳の奥にはいつもの明るさの代わりに、微かな憂いが見て取れた。


「私は足手纏いだ。ここで待つよ。夕澄、夜叉月君、天翔君。……絢を、頼んだよ。それと……」


 店主は少し真剣みを帯びた目で、夕澄をまっすぐに見据えた。


「くれぐれも、京都の都がめちゃくちゃになってしまわないよう……頼んだよ、夕澄」

「―――っ!くそっ!いつも俺ばっかりこんな苦労を!」


 どうやら店主には、絢の無事以外にも、文字通り古都を揺るがすような別の大きな悩みの種があったらしい。夜叉月の脳裏には、以前浅草寺で目にした、神々しくも圧倒的な、美しい絢の姿が浮かんだ。


 さり気なく壮大な使命を背負わされた夕澄は、ついに両手で頭を抱え込む。

 兄としての長年の苦労がひしひしと伝わってきて、夜叉月は夕澄を少々気の毒に思った。この兄の執着は、「手がかかる妹ほど可愛い」ということで深まっていったものなのだろうか。……やはり、理解はできない。


「その件に関しては……私も協力しよう」


 こればかりは夕澄へ手を貸すべきだと夜叉月は判断した。

 京都という土地に特段の愛着はなかったし、人間の国が一つ滅びようと、もはやどこにも所属していない夜叉月には痛くも痒くもない。しかし、絢自身や彼女の家族が、この先の人生に罪悪感を抱くような事態は避けねばならなかった。


「荷はまとめてあるんだろうな!さっさと行くぞ」

「じゃあ俺、本家行って小春呼んでくるわ。先に準備するって言うてたからな」

「さすがに京都まで空間転移は使えない。汽車を手配する」


 それぞれがバタバタと動き出した時―――


 がららっ!


 常磐堂の戸が開いた。そこには端正で涼やかな顔つきの青年の姿が現れた。


「話は、聞かせていただきましたよ。京都へ向かうその旅路、僕も同行させてください」


 そこに立っていたのは、以前常磐堂で絢と親し気に話していた彼女の幼馴染み―――栄太郎(えいたろう)であった。


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