第3話 共存党 (2605)
翌年、同週生五人は基礎学校を卒業し、ライラ、アラン、マシューはそれぞれ電気技術学校、建設工学学校などに進学すると同時に市民防衛隊に入隊する事になった。ロビンとジュリアは農業漁業学校に進学し毎日顔を合わせる同級生となった。市民防衛隊に入隊しなかった二人は親友となり、いつも一緒にいるようになった。二人が散歩するドーム内の公園には、いつもの様に地下を掘削する音がゴンゴンガンガンと響く中、「スタンドバイミー」の曲が流れていた。
【Stand By Me (words by Ben E. King)】
When the night has come and the land is dark
And the moon is the only light we'll see
No I won't be afraid, no I won't be afraid
Just as long as you stand, stand by me
So darlin', darlin', stand by me, ・・・
ドームの外ではノードの各所に警備ロボットが立ち並び、防衛陣地には警備隊員やユニコーン型ロボの姿が見える。見上げるとドラ山やマーネ山のレーザー砲台がドームを見下ろすように聳えている。ロビンはこんな厳重な守りをしなくともサラルと共存できるような気がしていた。
「サラルのいない世界って、楽しかったでしょうね」
「そうだね、世界中どこへでも旅ができたらしい」
「南極に行けたら良いでしょうね、ペンギン見てみたい」
「そうだね、ペンギン見てみたいな」
南極では数百年前に各国が核戦争を繰り広げ、最終的に人類のいない無人の大陸になってしまった事は、二人とも基礎学校の歴史の授業で知っていた。
「南極の替わりにいまからウチに来ない?ペンちゃんという犬がいるのよ!」
第4住宅棟7階のジュリアの家を訪れたロビンは、ジュリアの家族にも犬にも大歓迎された。ジュリアの弟や妹たちが珍しい客に興味津々でまとわりついてきた。ジュリアの母親は満面の笑顔でシチューやパンケーキなどの料理を出してロビンに勧めた。
「ロビン君どう?おいしい?」
「おいしいです」
「これからもジュリアと仲良くしてね、ジュリアが友達を連れてくるのはめずらしいんだから、男の子の友達ははじめてね、ロビン君の家はどこ?パパやママはどんな人?兄弟は?・・・」
ジュリアの母親は話し出すと止まらないタイプらしく、ロビンは食べる暇がないほど質問攻めにあった。
「ママ、そんなに質問ばかりするとロビン君が食べる暇がないでしょ」
「ごめんね、ふだんは無口なんだけど、で、おいしい?」
「ママ、うるさい!」
食事と質問攻めで満腹になったロビンは笑いをこらえるのに大変だった。
このころノードでは共存党の支持者が増え続ける現象が起きていた。ダニエルという人物が共存党のリーダーとなり、ノード政府の対サラル政策を舌鋒鋭く非難するようになった。ダニエルは、ノード政府のピラミッド要塞建設を子供じみた茶番、ドームの地下掘削は市民生活を圧迫する無意味な強制労働だと批判した。さらにサラルは危険な生物ではなく、こちらから手出しをしなければ襲ってくる事はない。これ以上サラルとの戦いに備えるより、サラルとの戦いを避け共存を目指すべきだという意見を表明し、対サラルの政策の変更を政府に要求した。
共存党支持者によるピラミッド要塞とドーム地下建設反対の集会とデモが繰り返され、ノードに騒然とした空気が流れるようになった。ついに、共存党支持者が政府庁舎に向けて抗議デモを行い、警備隊と衝突する事件が起こった。市民に対して発砲できない警備隊に対し、暴徒となった数百人の共存党支持者は棒を振り回し窓ガラスを割って政府要人が居住する政府庁舎に侵入し内部を破壊した。デモ隊の逮捕者は百人近くになった。
ロビンの家族は父親母親と3人の弟妹の6人家族だった。父親マイケルは建設作業員として仕事をしていたが、市民防衛隊に参加せず、共存党の集会に参加する事が多くなり、仕事も休みがちになっていた。母親ペルタは販売員の仕事をしながら、家族の食料を確保するために市民防衛隊に参加していた。父親と母親の間には言い争いが絶えず、子供たちが笑う事も少なくなっていった。共存党支持者のデモ隊が政府庁舎を襲撃する事件が起こると、このデモに参加していたロビンの父親は警察に逮捕された。一週間拘留の後、父親が釈放される時に身元引受人となった母親は怒っていた。
「何を馬鹿なことをやってるの?子供たちにも恥ずかしいでしょ!」
「オレは正しいと思ったことをやった迄だ」
「サラルと仲良くしたいなら、あんただけ山に行ってサラルと暮らしなさいよ!」
「ああそうしたいよ、毎日怒鳴られるよりましだ」
子供たちが両親の争いを止めるまで言い争いは続いていた。母親ベルタの怒りにも拘らず、父親マイケルはその後も共存党の集会に参加し続けた。




