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打ち切られた俺のラノベ、国民的アイドルに“人生で一番好きな本”と紹介されて大バズりし、アプローチされてしまう  作者: 歩く魚


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9/20

9.楽しいです、すごく

 テレビで見た顔であり、ステージで光っていた顔でもある。

 それが、喫茶店の平凡な照明の下にあった。

 当たり前の顔をして座っている。


「……本当だったのか」

「だから、ずっとそう言ってるじゃないですかっ!」


 彼女が少しだけ唇を尖らせた。

 その表情ひとつとっても完成されている。

 だが、画面の中の完全無欠なセンターとは違う、等身大の女の子にも感じられた。


「……すみませんでした。何度も疑って」

「いいんです。むしろ、疑ってもらえて嬉しかったです。簡単に信じる人のほうが、ちょっと怖いので」


 そこへ娘さんが水を二つ運んできた。

 俺はぎょっとしたが、彼女はクレアの顔を見ても、表情をまるで動かさない。


「ご注文は?」

「えっと……ホットコーヒーを」

「私も同じのでお願いします」


 彼女は小さく頷くと、何ごともなかった様子で奥へ引っ込んでいった。

 テレビをほとんど見ない人なのか、それとも気付かないふりをしているのか。


 個人的な部分まで踏み込める間柄ではなく、確かめる術はない。

 どちらにせよ、今はありがたかった。


「あの人、気付いてないんでしょうか」

「どうですかね……芸能人とか興味なさそうではあります」

「いつもなら、私もまだまだだなって思うところですけど……今はホッとしてます」


 クレアが胸を撫で下ろす。

 顔を覆い隠していた厳重な装備は、今は隣の椅子に畳んで置かれていた。


「それで、今日は何の話を?」

「あっ、そうでした! 聞きたいことがいっぱいあって。昨日の夜、メモしてきたんです」


 彼女はバッグから小さなメモ帳を取り出した。

 わざわざメモだなんて、律儀にもほどがある。


「まず、五章の屋上のシーンなんですけど」

「……あの作品についてなんですね」


「だって、本当に好きなんです。あそこで日陰くんが笑うところ、何回読んでも泣いちゃって」


 コーヒーが運ばれてくる間も、彼女は止まらなかった。

 あの場面の何が好きか、どの一行で胸が詰まったとか、身を乗り出して早口で語り続ける。


 画面の文字で見たときよりも、ずっと直接的な熱だ。

 それに当てられて、俺もついつい喋ってしまう。


「あそこ、最初は別の台詞だったんです。日陰くんが泣く場面にしてたんですよ」

「えっ、そうなんですか!?」


「でも、何回書き直してもしっくりこなくて。最後に笑わせてみたら、急に映像が浮かんできたんです。自分でも、なんであれで正解だったのか、いまだに説明できないんですけど」


「わかります! あそこは笑顔じゃなきゃダメです!」


 自分が書いたとでも言いたげに彼女が拳を握る。


「真昼さんは……俺よりも読み込んでくれてると思います」

「人生で一番好きな本ですからね。これは、何があっても変わりません」


 正面から言われて、俺は手元のカップに目を落とした。

 こういう言葉にどう応えればいいのか、いつまで経っても分からない。


「でも、買いかぶりすぎですよ。あれはたまたま上手くいっただけで」

「たまたまなんかじゃないです」


「いや、本当にそうなんです。俺程度の作家なんて、世の中にいくらでもいるので。あの一冊が少し誰かに刺さったからって、自分に才能があるなんて勘違いはしてません」

 

「……っ」


 彼女が急に立ち上がりかけた。


「そんなことないです!」


 声が思いのほか大きかった。


 静かな店内に、その一言が響く。

 奥にいた娘さんが、新聞をめくる手を一瞬止めたのが分かった。


 クレア本人も自分の声量に気付いたらしい。

 さっと頬を赤らめて、また椅子に腰を下ろした。


「……すみません。つい、大きな声を」


 いえ、と小さく首を横に振る。


「でも、これだけは言わせてください。俺程度、なんて言わないでほしいんです」


 うつむきがちだった彼女が顔を上げた。

 さっきまでの取り繕った丁寧さが消えていた。


「あの本に救われた人間がここにいるんです。それなのに、先生が後ろ向きだったら……わたし、すごく悲しいです」


 言葉に詰まる。


 画面越しにも本気は伝わっていたけれど、目の前で声と表情でぶつけられると、その重さがまるで違う。

 冗談でも社交辞令でもない。

 彼女は本気で、俺の自己評価を覆そうとしている。


「……すみません」

「謝らないでください。怒ってるわけじゃないので。ただ、ちょっと、もどかしくて」


 彼女は照れ隠しなのか、冷め始めたコーヒーに口をつけた。

 それから、ぽつりと付け足した。


「先生は、自分の言葉の力をぜんぜん分かってないんですね」


 自分の好きなものを否定されて、本気でむきになる女の子の顔だ。


「……気を付けます」

「気を付けますってなんですか! 先生、作家なのに語彙がそれでいいんですか!」

「案外、普段はこんなもんなんだよ」


 思わず素が出た。

 彼女がきょとんとした顔をして、ふっと噴き出した。


「ちょっと素が出ましたね」

「……出てません」

「出てました! わたし、そっちの先生のほうが好きです」


 彼女は言葉を選ばずに、思ったことをそのままぶつけてくる。

 目玉が飛び出るような美少女にそう言われて、平静を保つのが難しい。


「真昼さんは、ステージの上だと、もっとちゃんとしてますよね」

「……ライブ、見てくれたんですか?」

 

「配信で……見ました」

「恥ずかしいです……やっぱり泣いてるところ、見られちゃったんですね」


「でも、立派でしたよ。本音を言えば別人かと思いました。今の真昼さんと」

「それ、褒めてます……?」


「半分くらいは」

「半分なんですね!?」


 彼女がまた頬を膨らませる。

 その仕草のたびに、ステージの上の遠い存在が少しずつ、手の届く場所に降りてくる気がした。


 気付けば、コーヒーはすっかり冷めていた。


「あの」


 クレアがぽつりと呟く。

 

「なんですか?」

「わたし、楽しいです。すごく」


 彼女が両手でカップを包んで言った。

 さっきまでの勢いは感じられない。


「俺は、大した話はしてないですよ」

「してます。先生にとっては当たり前のことでも、わたしにとっては宝物なんです」


 俺はコーヒーを流し込み、ごまかし半分で伝票へ手を伸ばした。


「出ましょうか。あまり長居すると、他のお客さんにバレちゃうかもしれないので」

 

「……そうですね。ここは私が出します」


「いいですよ。聖地巡礼に来てもらった、お礼です」


 軽口のつもりだったのに、彼女はその一言をやけに嬉しそうに受け取った。

 会計に立つと、娘さんが伝票を受け取りながらぼそりと言った。


「律くん。ずいぶん、楽しそうだったね」

「……そう見えました?」

「うん。あんな顔、初めて見た」


 感情の読みにくいはずの彼女が、なぜか少しだけ口角を上げていた。

 返す言葉が見つからず、俺はただ釣り銭を受け取った。


 店を出ると、外はまだ明るかった。

 彼女が帽子を目深にかぶり直す。


「あの、もしよかったらなんですけど」


 マスクをつける前に、彼女が言った。


「もう一か所だけ、付き合ってもらえませんか? 今度は、わたしの行きたい場所に」


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