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打ち切られた俺のラノベ、国民的アイドルに“人生で一番好きな本”と紹介されて大バズりし、アプローチされてしまう  作者: 歩く魚


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10/20

10.そういうところ、好きです

 電車を乗り継いで、クレアに連れられて着いたのは川沿いの土手だった。


 都内ではあるが、都心から少し外れた場所だ。

 高い建物が途切れて視界がひらける。

 ゆるやかに流れる川の向こうに、夕方に差しかかった空が広がっていた。


「ここです」


 彼女が両手を広げて振り返る。

 帽子とマスクは、電車を降り、川へ向かう商店街のあたりで外していた。人通りがほとんどないからだろう。


 俺はというと、急激な緊張感に襲われてマトモに歩くのも大変だった。


「河川敷……ですか?」

「はい。わたしの、一番大事な場所です」


 一番大事という言葉のわりに、そこは何の変哲もない土手だった。

 舗装された道が続き、まばらに人が犬を散歩させている。

 ベンチがちらほら、川のほうを向いて置かれているだけ。


「意外ですか?」


 俺の顔を見て、彼女がくすりと笑った。


「正直、もっと特別な場所を想像してました。その……どこかのライブ会場とか」


「わたしにとっては、十分に特別なんです。ここ、上京してすぐの頃によく来ていた場所で」


 彼女はベンチのほうへ歩いていくと、迷わず腰を下ろした。確かに慣れていそうだ。

 俺も少し間を空けて隣に座る。

 川の水音が、やけに近く聞こえた。


「まだ全然、センターなんて夢にも思えなかった頃です。レッスンについていくのも必死で、周りはみんな自分より上手で、毎日、自分には何もないんじゃないかって、そればっかり考えてました」


「それは……大変でしたね」


「それで、落ち込むたびにここへ来て、ぼーっと川を見てたんです。そしたら、ちょっとだけ楽になれて」


 彼女の横顔は穏やかだった。

 辛かった話をしているはずなのに、声に湿っぽさはない。

 とうに乗り越えた過去として話しているのが分かった。


「ある日、ここで本を読んだんです」


 彼女が、こちらを向いた。


「枯れ尾花先生の、日陰くんと二等星でした」


 無意識に背筋が伸びる。


「たまたま本屋さんで見つけて、表紙に惹かれて買っただけだったんです」

 

「めちゃくちゃ良いイラストレーターさんに担当してもらえたんです。自分の考えたキャラクターに形を与えてもらえたことは、数少ない幸運でした」


 笑い話で言ったつもりが、クレアはむすっとした顔になってしまう。


「もう、自分のことを過小評価しないでくださいって」

「あ、あぁ……ごめんなさい」


 素直に謝ると、彼女は「いいです」と簡単に許して元の話に戻る。


「それで、先生の作品をここで読みました。このベンチで」


 彼女が座面をそっと撫でる。

 大事なものに触れる手つきだった。


「それで、ここで泣いたんです。あぁ、わたしのことだって。わたしも、主役じゃなくていいんだって」

「ここで……読んでくれたんですね」


 書店に並んでいるのは見ることができるが、読者がどこでページを捲ったか知る方法は少ない。少しだけ感動してしまう。


「だから、わたしが枯れ尾花先生に救われた場所なんです」

「…………」


 何と言えばいいのだろう。

 自分の書いたものが、誰かの人生の具体的な一点に刻まれている。

 その事実の前で軽々しい言葉は出てこない。


「……ずっと思ってたんです。もし、いつか先生に会えたら、一番最初にこの場所へ連れてきたいって」


 彼女がはにかんで笑った。


「変ですよね。会ったばかりの人を、電車に乗せて連れてくるなんて」

「……いえ」


 変だとは思わなかった。

 むしろ、その気持ちの重さがじわりと胸に染みてくる。


「わたしにできる精一杯の、お礼のつもりなんです。豪華なお店とかも考えたんですけど、それより、ここを見てほしくて」


 夕日が川の水面で細かく揺れている。

 その光を受けて、彼女の顔が少しだけ赤く染まって見えた。


「そんなに大した本じゃないですよ」

「またそれ言う」


 彼女が頬をふくらませ、ふいと川のほうへ視線を戻す。


「でも、だんだん分かってきました。照れ隠しも入ってるんですね」

「別に……照れてなんかいません」

「ふふ、顔に書いてあります」


 俺は返す言葉に詰まって、ぬるくなった川風を顔に受けた。

 いつの間にか逃げ道を塞がれているようだ。


「先生」

「なんですか?」

「今日は来てくれて、本当にありがとうございました」


 彼女が俺を見た。

 夕日を背にして、輪郭が金色に縁取られている。


「先生は、ずっと憧れの人でした。こうして隣にいてもらえるなんて、思ってなかったです」

 

「……大げさですよ。言われるのは真昼さんの方でしょう」


「大げさじゃないです。わたしにとっては、本当に、一生忘れられない時間だから」


 ただの読者と作家のはずだ。

 だから適当にお礼を言うべきなのだろうが、そう割り切るには、彼女の目は少しだけ真剣すぎた。


 しばらく、二人とも黙って川を見ていた。


 気まずい沈黙ではなかく、その静けさが心地よかった。

 普段なら、誰かと一緒にいる時間は早く終わってほしいとばかり思う。

 それなのに、今はこの時間がもう少し続けばいいと感じている。


「先生って、いつも何を考えてるんですか?」

「何って言われても、しょうもないことばかりですよ」

 

「気になります。物語を作る人の頭の中って、どうなってるのかなって」

「そりゃあ、常に脳内で作品を組み立てる人もいるでしょうが……俺なんて今、川の水がぬるそうだな、くらいのことしか考えてません」


 彼女がぷっと噴き出した。

 あまりに無防備な笑い方で、つい目を逸らす。


「先生のそういうところ、好きです」


 さらっと言われた一言に心臓が強く跳ねた。



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