37.ワンマンライブ 2nd
日曜の朝は、推しの声で始まる。
目覚ましは使わない。寝る前に、枕元のスマホで前日のプラネタリアの朝の配信を流しておくと、それが目覚ましがわりになるからだ。
今日——正確には昨日だが——の担当は七星ミオだった。
おはようございます、と画面の中の彼女が言う。
俺は布団の中で両手を合わせて拝んだ。
最高の一日の、最高の始まり方だ。
顔を洗ってコーヒーを淹れる。
淹れると言っても、インスタントの粉に湯を注ぐだけだ。
マグカップは去年のライブの物販で買った、ミオのメンバーカラーの黄色いマグ。
これでコーヒーを飲めば、その味は数万倍にもアップするのだ。
(さて……今日は何を観るかな)
テーブルの上には円盤が積んである。
一番上に置かれているのは、去年の全国ツアー・最終公演の映像だ。
もう何十回も観たのに飽きることがない。
プレイヤーにディスクを入れて、俺は椅子に座り直した。
画面の中のステージに光が走る。
イントロが鳴り、二十人のメンバーが一斉にフォーメーションを組む。
その中心にミオがいる。
何度観ても、ここで背筋がぞくっとする。
ミオのダンスはキレが違う。
指の先まで神経が通っていて、それでいて常に笑顔を絶やさない。
あんな風に踊れる人間が、この世にいるのか。
俺は毎回のように同じところで感動している。
——と、そこで、おかしなことを思い出した。
あの日のことは正直、まだ整理がついていない。
あれはそう、昼休みの学食だった。
青柳と飯を食っていたら、一人の女子が話しかけてきたのだ。
ミカと名乗ったその子は、地味な眼鏡に野暮ったい服を着た、どこにでもいそうな学生に見える。
だが、それは「見える」だけだった。
俺には一目で分かった。七星ミオだ。
俺は、ミオであれば、どんな角度の写真でも一秒で見分ける自信がある。
ライブで双眼鏡越しに見た横顔も、雑誌の隅に小さく載ったものでも、即座に見つけることができた。
骨格から頭に入っているのだ。
そのミオが、眼鏡と服という分かりやすすぎる変装で別人のふりをして、目の前に座っていた。
なのに、青柳のやつは全く気付いていなかった。
俺の推しがすぐ隣にいるというのに、あいつは平然と応対していた。
しかも、その後に「ゲームセンター行こ」と連れ出されて、三人で講義をサボって遊ぶことになったのだ。
俺は生きた心地がしなかった。
推しと一緒に出掛けられるという名誉と、それを上回るほどの戸惑い。
極めつけは音ゲーだ。
俺は音ゲーにはそれなりに自信があるし、大会にだって出たことがある。
それなのに、ミオに見られていると思ったら指が言うことを聞かず、悲惨な醜態を晒してしまったのだ。
推しの前であれは死にたくなる。
(で、結局……あれはなんだったんだ?)
なぜミオが変装して青柳に探りを入れていたのか。
二人はどういう関係なのか。考えれば考えるほど分からなくなる。
青柳がミオを知らないのは事実だろうし、ミオも青柳のことをあまり知らない様子。
俺に視線で「絶対に言うなよ」と伝えてきたのも、この謎を深めるのに一役買っている。
あんまり分からないので、俺は最近、あれは白昼夢だったんじゃないかと思い始めている。
そう思わないと平常心が保てない。
俺は頭を振って、その記憶を追い出した。
ライブ映像に集中しなければ、画面の中のプラネタリアに失礼だろう。
昼になり、腹が減った。
冷蔵庫を開けたがめぼしいものがない。
カップ麺で済ませようかと思ったが、なんとなく気分じゃない。
身体を動かしたい……と違うな。
ただ発散したい気分だった。
(おぉ……歌いたいのか)
唐突に閃いた。
きっかけは明白。青柳とカラオケに行ったことだ。
あいつに練習に付き合ってくれと頼まれて、俺が特別に指導してやったのだ。
久しぶりに人と歌って、思いのほか楽しかった。
あの感覚が、まだ身体に残っているのだ。
一人で行くのは少し寂しい気もしたが、そこはオタク。
もはや一人行動は慣れっこである。
本当は青柳を誘いたかったが、あいつは今日、例の相手と会っているはず。
やたら気合いを入れていたし、邪魔をするのは野暮だろう。
なら一人で行くしかない。
財布とスマホをポケットに突っ込んで家を出た。
駅前のカラオケ店に入り、受付でフリータイムを頼む。
学生だと言うと少し割り引いてくれた。
案内された部屋はフロアのいちばん奥だった。
狭いが、一人には十分すぎる。
俺は上着を脱いで、さっそく端末を手に取った。
(さあ、何から歌うか!)
俺の指は迷わない。「プラネタリア」と入力して片っ端から予約を入れていく。
デビュー曲から最新曲まで全て。
今日は誰にも遠慮しなくていいのだから、全部歌ってやるぜ。
一曲目はステラ・ステップだ。
プラネタリアの代表曲。明るくて前向きで、聴くだけで元気が出る。
この前、青柳に勧めてみたら、どういうわけか嫌そうな顔をされた。
あいつには良さが分からないのだ。かわいそうなやつめ。
前奏が流れ出し、俺はマイクを握りしめた。
腹の底から声を出す。
誰も見ていないし、採点機能もつけていない。
ただ、気持ちよく歌うためだけに歌う。
サビが来た。一番高いところだ。
ミオがライブでいつも綺麗に伸ばす高音。
俺も負けじと声を張り上げる。
彼女に俺のオタクパワーが届くように、全力で叫ぶ。
一曲歌い終えて、俺は息を切らした。
喉がじんとしているが、二曲目の前奏が流れ始めている。
俺は水を一口飲んで立ち上がった。
次はバラードだ。
しっとり歌い上げてやる。
それから、俺はひたすらに歌った。
フリータイムが終わる頃には汗だくだった。
喉はいい感じに枯れている。
歌いきったという満足感が全身にあった。
溜まっていたものが全部、外に出ていった気がする。
俺は荷物をまとめて部屋を出た。
店を出ると、外は夕方になっていた。
俺は伸びをして駅のほうへ歩き出した。
汗が引いて少し肌寒い。
歩きながら、俺は青柳のことを思い出した。
あいつは今日、上手くやれただろうか。
相手がどこの誰かは分からないが、今までに見たことのない表情。
俺の見立てでは、あいつは、その相手のことが好きなのだ。
本人は認めないだろうが。
あんなに真剣な青柳を見たのは初めてだった。
いつもは斜に構えたオタク野郎だが、そんな青柳が、カラオケの練習にまで付き合わせるほど必死になっていた。
だったら応援してやりたい。俺にしては殊勝な心がけだと思う。
(青柳……上手くいってるといいな)
俺は、暮れていく空に向かって、心の中で呟いた。
まぁ、あいつのことだ。
どうせ余計なことばかり考えて、うじうじしているに決まっている。
今度会ったら揶揄ってやろう。
そして、今度は俺からカラオケに誘ってやるのだ。
俺は足を少し速めて、駅の雑踏に紛れていった。
ありがたいことに反応を下さる方が多く、感謝の印として本編とは(おそらく)関係のない番外編を載せます。全部で3話予定。
評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!
作品作りにご協力いただけると幸いです!




