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打ち切られた俺のラノベ、国民的アイドルに“人生で一番好きな本”と紹介されて大バズりし、アプローチされてしまう  作者: 歩く魚
第1章 打ち切り作家と一等星

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35.贈り物

 カラオケ店を出ると日は傾きかけていて、クレアが先に歩き始めた。

 帽子とマスクで顔を隠しているが、足取りの軽さから機嫌を読み取ることができる。


 だが、告白の練習が途切れたことには一言も触れない。

 俺も、それに合わせて何も言わなかった。


 触れれば戻ってきてしまう。

 あの……部屋の温度が変わる感じが。


「こっちです、先生!」


 彼女が何度か路地を曲がる。

 繁華街の喧騒は、一本裏に入るごとに薄れていった。


 やがて、古い石段が見えてきた。

 両脇に木が茂っていて、上のほうは影になっている。


「神社ですか?」

「はい。前に散歩してて見つけたんです。人がほとんど来なくて、静かないい場所ですよ」


 石段を上ると小さな境内に出た。

 拝殿が一つ、脇に手水舎があるだけの、こぢんまりとした場所だった。参拝客の姿はない。


 街の真ん中にこんな空白があるとは、通りからは想像もつかなかった。

 木々が音を吸って、車の音さえ遠くに感じられる。


「今日も誰もいないみたいで良かったです」

「神様にとっては大問題ですけどね」

「ふふっ、確かにそうですね。なら、今日以外は人がいっぱいいることにしておきましょうか」


 そう言いながら、クレアが帽子を取った。続いてマスクも外す。

 夕方の薄い光の中に素顔が現れた。


 水族館のときとは違って、今度は俺が周りを気にする必要もない。本当に誰もいないからだ。


「……さっきの続き、しなくていいんですか?」


 俺は聞いた。なぜ聞いたのか、うまく説明ができない。

 あのまま流してしまえばよかったのに、口が勝手に動いていた。


 クレアが少し驚いた顔をして、それから、首を横に振る。


「……今日は、もういいんです」

「そうですか?」

「はい。なんだか、こういう時間も大切に思えるから」


 彼女は拝殿のほうへ歩いていく。


「きっと、今日じゃなかったんです。神様が“焦るな”って、そう言ってるのかもしれません」


 クレアはバッグから財布を取り出し、賽銭を入れて鈴を鳴らし、手を合わせた。

 俺も隣に並んで、同じようにする。


 何を願うでもなかったが、こういう場所では手を合わせるものだと身体が覚えている。


「先生は何かお願いしましたか?」

「いえ、特には。真昼さんは?」

 

「内緒です。言ったら叶わなくなるらしいじゃないですか」

「どうですかね。俺が言ったら叶わなくなるかもしれないけど、真昼さんなら、神様の力なんて借りなくても叶えられますよ」


「……そうだといいなぁ」


 なぜか俺の方を見て、困ったような笑みを浮かべるクレア。


 その後、二人で拝殿の前の石段に腰を下ろす。


 やはり境内は静かで、時々、木の葉が擦れる音がするだけだった。

 空はゆっくりと色を変えていく。木々の隙間から見える切れ端が色を失っていく。


「さっきの隣の人、すごかったですね」


 クレアが思い出したように言った。


「凄まじい熱量でしたよね」

「……実はあの曲、わたしのグループの曲なんですよ?」


 そうなんですか、と驚いてしまう。

 どこかで聞いたことのある歌だとは思ったが、そういえば佐倉が歌っていた。


「あれはもう、外すというより別の曲でしたね」

「ふふ、確かに」


 他愛のない話だ。二人の間にあった重さは、とうにどこかへ流れていったらしい。


 俺たちはくだらないことを話した。

 

 カラオケで彼女が入れた曲のことや、俺が合いの手で失敗したこと。

 佐倉という男が、いかにズレた作法を教えてきたか。


 近い話から遠い話まで。クレアはそのたびに笑って、俺も、いつのまにか肩の強張りが解けていた。


 ひとしきり笑ったあと、クレアが空を見上げた。

 拝殿の脇の常夜灯が、ぼんやりと足元を照らしている。

 淡い光の中に彼女の横顔が浮かぶ。


「先生と会うようになってから、こんな時間が増えました。一秒一秒が、とっても素敵です」


 ぽつりと彼女が言った。


「普段は分刻みで予定が決まってて、次はどこ、次は何……って」

 

 俺は黙って聞いている。


「でも、先生といるときだけは、時間がゆっくり進むんです。何もしなくていいっていうか、そのままでいいっていうか」


 俺にとっても、彼女といる時間は他のどれとも違う。

 でも、俺たちの指す「それ」が同じものだとは思えない。

 俺の経験とクレアの経験には、天と地ほどの差があるからだ。


「……俺なんかといても、退屈でしょう」

「また、そうやって〜」


 クレアが頬を膨らませた。


「先生は、どうしていつも自分を下に置くんですか? わたしは楽しいから一緒にいるのに」


 俺が黙り込むと、クレアもそれ以上は責めてこなかった。


 二人の間に静かな時間が流れる。

 木々に囲まれたこの場所では、黙っていることが不自然に感じられなかった。


 やがて、クレアが膝を抱えたまま、こちらを見た。


「先生に、聞きたいことがあったんです。もし言いたくなかったら、言わなくてもいいんですけど……」

「そんな、今さらですよ」


 これまで、散々と言ってもいいほどクレアから質問されてきた。

 新作はいつ書くのとか、女性経験はどうだとか、知り合って一ヶ月とは思えない踏み込み方だ。


 これ以上、俺が言いにくい問いなんてないだろう。

 それでも若干、本能的に身構えていると、彼女は意を決したように言った。


「前に、喫茶店に行きましたよね。渋谷の“きつつき”ってお店です」

「あぁ、行きましたね」


 出会って間もない頃に寄った店だ。


「あの時にお店の人が……先生のことを、名前で呼んでたと思うんです」


 慎重な雰囲気になってきた。


「わたし、それが聞き取れなくて。ずっと……気になってたんです」


 俺の感想は「そんなこと?」だった。


「わたし、先生のこと——先生とか、枯れ尾花先生とか、そういう呼び方しか知らなくてっ」


 彼女が膝を抱えた腕に少し力を込める。


「でも、それじゃあいつまでも距離が遠い気がして……わたし、先生のことを、本当のお名前で呼んでみたいんです」


 名前を教えるくらい、なんてことはない。

 大学の新入生オリエンテーションでやっているし、さらに遡れば高校生の時だって。


 それなのに、彼女が俺の名前を口にする場面を想像すると——いや、よそう。余計な尻込みをするのはやめにする。

 

「……青柳、律です」

「青柳……律さん。青柳律さん」


 彼女が確かめるように繰り返す。


「律さん」


 自分の耳が熱くなるのが分かった。

 ペンネームで呼ばれるのとは破壊力が違う。


 枯れ尾花は、言うなれば俺が作った看板だ。

 店の名前のようなもの。


 しかし律というのは、俺が生まれたときからの……ただの俺である。


「……変な感じですね」

「そうですか? わたしは嬉しいですよ」


 クレアが照れたように笑う。


「りつさん。やっと呼べました!」


 俺は彼女の顔を見ていられなくて、空を見上げた。

 彼女がもう一度「律さん」と呟いたのが聞こえた。


 今度は誰にともなく、自分の胸に染み渡らせるような呟きだった。


「あ」


 思い出したようにクレアが声を発し、俺は彼女を見た。


「わたしの名前は真昼クレアです」

「…………知ってますよ?」


 日本に知らない人なんて、ほとんどいないだろう。

 

「そうなんですけど……言い方が悪かったですね。真昼……は律さんの想像の通りなんですけど、クレアは、暮れる空で“暮空”です」

「暮空……」


 珍しい名前だが、それ以上に美しい並びだと思った。


「……ふふっ、初めて名前、呼んでもらえました」

「そ、そんなつもりは——!」

「律さんなら良いですよ。クレアって、呼んでほしいです」


 抗えるわけがない。

 俺と同じく耳まで真っ赤に染めながら頼まれて、言われるがままだ。


 ・

 

 そこから名前を呼び合う時間があって、どちらからともなく、俺たちは腰を上げた。


 いつまでも境内にいるわけにもいかない。

 クレアが帽子とマスクをつけ直したのを確認すると、石段を降りて、来た道を戻り始めた。


 夜の街は、昼とは別の顔をしている。

 別の顔であっても、拒否されているとは感じない。


「律さん」

「なんですか?」

「呼んでみただけです」


 彼女がくすくすと笑う。

 このやり取りはもう終わったものと思っていたが、俺だけだったようだ。


 俺の方は調子が狂うばかり。

 先生と呼ばれていた頃には、こんなことはなかったんだが。


「……そんなに呼びたいですか?」

「はい。だって、ずっと気になってたんですよ? どんな名前かなぁって」


「有力候補はなんだったんですか?」

「銀二郎です」

「銀二郎!?」

「冗談ですよ〜」


 悪びれもせずに彼女は笑った。


 その横顔を街灯の明かりが照らした。

 マスクで顔の半分が隠れているが、目元だけで笑っているのが分かる。


 少し歩くと風が出てきた。昼間はあれほど暖かかったのに。

 クレアが薄手のコートの袖を引っ張って、指先を隠すようにした。


「……ちょっと、冷えてきましたね」

「そうですね」

「わたし、手が冷たくなるの、早いんです」


 彼女が、片手を口元に近づけて息を吹きかけた。

 それから、その手を俺のほうへ、そっと差し出すようにする。


 冷たいですよ、と手が言っている。

 だが、それをどうすればいいのか、俺にはすぐには分からない。


 頭の中でいくつかの選択肢が浮かんで、どれも実行できずに消えていく。


「………………」

「………………」

 

 クレアは手を差し出したままこちらを見ている。

 急かすでもなく、ただ待っている。


 俺は、思い切って手を取った。


 その手は、細くて、小さくて、思っていたよりずっと——暖かかった。

 

「……冷えてないじゃないですか」

「いま、春ですよ?」


「謀りましたね」

「ちょーっと何言ってるか分かりませんねぇ」


 クレアの声は上擦っていた。


 握ったはいいものの、この先どうすればいいのか分からない。

 俺は、ただ彼女の手を握っていた。


 二人の歩幅が気付かぬうちに合っていた。


 街灯が、二人の影を前に長く伸ばしている。

 その影が時々重なって、離れる。

 二人の手の温度は同じだ。


 俺たちは何も話さないままで、駅の明かりがだんだんと大きくなってきた。


 改札が見えてきて、俺は足を止める。

 ここで手を離さなければ、人の目がある場所に入ってしまう。


 クレアも気付いたようで、名残惜しそうに、ゆっくり指が解けていく。

 

「今日は……今日も、ありがとうございました」


 彼女がこちらを向いて頭を下げる。


「お礼を言うのは俺の方ですよ。それで、あの……これ」


 俺は鞄に手を入れた。

 ずっと、渡すかどうか迷っていたものがある。


 今日でなくてもいいと思っていた。

 その気になれば、いつでも渡すことはできる。


 だが、今日でなければ渡せないと、今は思っている。


 小さな紙袋を取り出して彼女に差し出す。


「これ、よかったら」

「え……?」


 クレアが戸惑いながら受け取った。

 袋の中を覗き込み、動きが止まる。


 中に入っているのは、手のひらに乗る大きさの、動物の置物だった。

 犬なのか猫なのか、なんとも言えない顔をしたやつ。


「これって……」

「前にモールで見てたやつです。後日、たまたま行く機会があって、買ってきちゃいました」


 本当は、これ自体が目的だった。

 あの日、彼女が一番長く見ていた置物を買うために足を運び、同じ棚から、おそらく同じ顔の個体を選んだ。


 それを言うのはなんだか照れくさくて、俺は言葉を濁した。

 クレアが、置物を両手で包んだまま動かなくなった。

 俯いた顔は隠れていて、表情は見えない。


(……もしかして、失敗だったか……?)


 置物を持つ手が小さく震えているのが分かった。

 部屋に置く物は考える必要があると言っていたし、日頃の感謝を伝えるためだったが、迷惑だったかもしれない。


「……真昼さん?」


 彼女は答えない。

 胸の内で、風船を膨らますように、少しずつ焦りが大きくなっていく。


 その時、鼻をすする音がした。

 クレアの肩が、ゆっくりと上下している。


 マスクの内側ではなく、外側を雫が伝う。


「……心の準備、してなかったんです」

 

 湿った声だ。

 

「す、すみません……迷惑でしたか?」

「違うんです」


 彼女が顔を上げた。目が濡れて光っている。泣いているのだ。

 しかし、その目は笑っていた。

 泣きながら笑うというのを、現実で見るのは初めてだ。


「嬉しいんです、すごく……こんなに嬉しいの、久しぶりで、どうしていいか分からなくて」


 彼女は置物を胸に抱き寄せる。


「大事に、大事にします、一生……っ!」

「お、置物に一生は、大げさじゃないですか……?」

「大げさじゃないです!」


 その言い方があまりに真剣で、俺は何も返せなくなった。

 人が行き交う駅の隅で、彼女はひたすらに置物を抱きしめていた。俺は、その姿から目が離せなかった。


平和だ…次回、最終回です。


評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!

作品作りにご協力いただけると幸いです!


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― 新着の感想 ―
もう終わっちゃうのか、、、くっついてくれよ!あと会長もっと見たかった
え?さい…しゅう…かい…?
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