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打ち切られた俺のラノベ、国民的アイドルに“人生で一番好きな本”と紹介されて大バズりし、アプローチされてしまう  作者: 歩く魚
第1章 打ち切り作家と一等星

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34.言いたいこと

 端末を受け取って、俺は曲を探した。


 選ぶ前に、つい観察の癖が出てしまう。

 彼女がどんな曲で喜ぶか、どんな曲なら退屈するか。


 取材として考えれば、盛り上がる曲を選ぶのが正解だ。

 相手を楽しませて、その反応を見る。

 それが今日の名目だろう。


 だが……俺が入れるのは、十年以上前の古いバラードだ。


 佐倉と練習した曲。

 今さら、練習もしていない別の曲を選ぶくらいなら、これを歌うしかない。


 前奏が流れる間、クレアはソファに座り直して、両手を膝に置いた。

 聞く姿勢を作ってくれている。


 その視線を正面から浴びると思わず逃げ出したくなるが、それでも歌い始める。


 最初は声が硬かったと、自分でも思う。

 人に聞かせるのは——風呂場でも佐倉の前でもない、真面目に歌うのは——初めてだ。


 歌詞を追ううちに、少しずつ余計なことを考えなくなっていく。

 別れた相手を思う男の言葉を、自分の声でなぞっていく。


 一番のサビを越えたあたりで、俺はクレアの顔を見た。


 彼女は笑っていなかった。

 からかう気配もなく、ただこちらを見て聞いている。


 その目が思いのほか真剣で、危うく歌詞を飛ばしかける。

 最後まで歌いきると、彼女はしばく黙っていたが、やがて口を開いた。


「……上手でした」

「お世辞はいいですよ」

「お世辞じゃないです。上手っていうか、その……」


 クレアが言葉を選ぶように少し俯く。


「この曲、好きなんですか?」

「まぁ……嫌いじゃないですね」

「歌い方で分かります。好きな曲を歌う人の声でしたから」


 好きな曲を歌う人の声と、彼女はそう言った。

 歌っている本人には見えない部分でも、聞いている側は正確に拾うということか。


 俺がいつも他人に対してやっていることを、今は自分がやられているのだ。

 見る側から見られる側に回るのは、背中がむずがゆくなる。


 彼女の耳は誤魔化せない。

 下手に取り繕えば、また一つ余分に見抜かれるだけ。


 俺は当たり障りのない相槌だけ返して、口を閉じた。


「先生の歌、また聞きたいです」

「……無理ですよ。他の曲なんて練習してないですし」

「ええ、もったいない」


 彼女が笑って、それから立て続けに何曲か入れた。

 デュエット曲だ。


「先生、一緒に歌いましょうよ!」


 断れる雰囲気ではない。

 俺は詳しく知らないが、CMが何かで聞いたこと自体はある。最近のヒット曲だろう。


 彼女がメロディを引っ張ってくれて、俺はそれを低くなぞる。

 合いの手ではなく、一緒に歌っている。

 彼女が音を外した俺を見て笑い、俺も釣られて笑った。


 二人きりの密室で、人がどう振る舞うか。

 それを観察して、小説の材料にするつもりだった。


 だから俺は、歌の合間に、頭のどこかで記録を続けていた。


 彼女がマイクを両手で持つ——個人か仕事柄か分からない——癖。

 笑うときに少し肩が揺れること。

 曲の途中で歌詞を間違えて、照れ隠しに漏れる吐息。

 二人の距離。

 

 材料はいくらでも拾える。


 しかし、俺は心の中でメモを取る手を止めようとしていた。

 現実の俺はマイクを置かない。


 記録できなくてもいい。

 どこかで、そう思っている自分がいる。


 書き記しておかなくても、心のもっと深いところに刻まれているのだから。


 残り時間が少なくなってきた頃、彼女がふいにマイクを置いた。


「先生、お願いしてもいいですか?」

「あ、あと何曲ですか……? もう体力が……」

「違いますよ。取材の、その……本題なんですけど」


 クレアの声に芯が入っていく。

 俺は姿勢を正した。


「先生の書こうとしてる作品に、告白のシーンって……ありますか?」

「……今書いてるものには、まだないです。でも、いずれ必要になるかもしれません」

「だったら、練習してみませんか?」


 一瞬、意味が分からなくなった。


「練習というのは……告白の?」

「告白の練習です。実際に言ってみたら、書くときの参考になるかなって」


 取材としての筋は通っている。

 告白の場面を書くのに、実際の感覚を知っておく。

 頭で理屈をこねている間も、彼女はこちらを見ていた。


「せ、先生は、告白される側をお願いします」


 告白される側というのは、つまり座って聞いていればいい、楽な役のはず。

 それなのに、まだやると決まったわけでもないのに、彼女が息を吸う気配だけで部屋の温度が下がっていく。


「じゃあ、いきますね」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 クレアが背筋を伸ばし始めて、俺は慌てて彼女を止める。


「ど、どうしたんですか?」

「いや、その……突然過ぎじゃないですか? これが小説なら、急展開が過ぎるっていうか……」

「そう……ですか?」


 首を傾げるクレア。その目に滲んでいるのは不安ではなく、俺には正確に読み取ることができない。

 

 強いて……間違いを承知で例えるとすれば、自分の中にある想いのようなものを今すぐに打ち明けなければ、内側から破裂してしまうような切実さ。


「でも……練習、してみませんか?」

「——っ」


 強い意思を感じる。

 それを通すために、あざといまでの上目遣いをしてきた。


「…………わ、わかり、ました……」

「やったぁ!」


 超一流のおねだりスキルを使われて、俺程度の男に断れるはずがない。


「それじゃあ、いきますね……?」


 クレアは再び背筋を伸ばし、膝の上で軽く手を組んで目を閉じた。

 

 その目を開いたときには、つい数秒前までの弾んだ調子がどこにもなくなっている。

 

 歌っていたときの彼女でも、取材に付き合ってくれていた彼女でもない。俺の知らない顔だ。


「ずっと、言いたいことがありました」


 迷いのない声だ。


「わたし、先生に会うまで、自分のことが空っぽだと思っていました。どんなに成長しても満たされない場所があって、それを、どうしていいか分からなかったんです」


 これは告白のシーンを書くための、彼女なりの演技だ。

 役に入り込んでいるだけだ。


 頭ではそう処理しようとしたが、その言葉の一つ一つが、演技にしては、あまりに彼女自身の形をしている。


「先生の書いたものが、その場所に届いたんです。初めて、ここにいてもいいって思えたんです」

 

 彼女の目は少し潤んでいた。


 何か言わなければと思った。

 取材なら、ここで気の利いた返しをして感覚を掴めばいい。


 それが役目のはずだ。

 なのに喉の奥がふさがって、言葉が出てこない。


 彼女が小さく息を吸った。


 次の言葉を言おうとしている。

 それが何なのか、俺は本能的に理解してしまった。


 分かってしまったからこそ、聞いてはいけないと思った。

 練習という名前でも、聞いてしまえば、もう後には引けない気がする。


「だから、わたし——」


 その時だった。

 壁の向こうで誰かが歌い始めた。


 アップテンポの明るい曲が防音の壁を突き抜けて、調子外れの熱唱が、こちらの部屋になだれ込んでくる。

 サビのやたらと高いところを全力で外している。


 クレアの言葉が止まった。


 俺たちは二人とも動けない。

 彼女は口を開いたまま、続きを飲み込んでいる。


 俺は、聞こえてくる歌声に救われていた。


「……すごいタイミングですね」


 彼女がふっと肩の力を抜いた。

 

「……ですね」


 強張っていたものが、調子外れの高音でゆっくりとほどけていく。

 彼女が口元を押さえて肩を震わせる。

 今度は演技ではない笑いだった。

 

 俺もようやく息を吐いた。

隣で歌ってたの、誰だったんでしょうね


評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!

作品作りにご協力いただけると幸いです!


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