↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
打ち切られた俺のラノベ、国民的アイドルに“人生で一番好きな本”と紹介されて大バズりし、アプローチされてしまう  作者: 歩く魚
第1章 打ち切り作家と一等星

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/39

33.練習の成果

 佐倉との練習や風呂場での熱唱を胸に迎えた日曜。

 カラオケ店は、当然ながら賑わっている。


 例によって変装したクレアが受付に行き、慣れた様子で手続きを済ませ、俺たちは奥の部屋に通された。

 防音の扉が閉まると、廊下で流れていた流行りの曲がまったく聞こえなくなった。

 

 部屋に入ると、彼女は変装アイテムを取らずに上を見て、監視カメラの場所を探った。

 

 そして、カメラから顔が見えないように位置どりして腰を下ろし、マスクやサングラスを外す。


 この瞬間は、何度見ても息を呑んでしまう。

 竹の中にかぐや姫を見つけたお爺さんは、きっとこんな気持ちだったのだろう。


「先生、緊張してますか?」


 俺の顔を見てクレアが言った。

 

「……してませんよ」

「ふふっ、顔がかたいです」


 マイクの置かれた狭い個室で彼女と二人きり。

 恋人でなかったとしても、平静でいられる男など、この世に存在するのだろうか。


「わたしから歌いますね。先生、聞いててください!」


 クレアが端末を操作して、一曲目を入れる。

 俺の知らない曲だった。


 前奏が流れ始めると、彼女はマイクを両手で包むように持って、軽く目を閉じる。


 最初の一音で部屋の空気が変わった。

 テレビやイヤホン越しに聞くのとはまるで違う。


 声が直接身体に届く。低いところは落ち着いていて、高いところは澄んでいて、息継ぎの音まで曲の一部になっている。


 俺は取材のことを忘れて、ただ聞き入っていた。


 彼女は歌手ではないが、間違いなくプロのパフォーマンスだ。

 そして、サビに入る手前で、彼女の声が一瞬だけ揺れた。


 音を外したのではない。

 技術のことは分からないが、その揺れには感情が乗っている。

 何かを思い出しているような、一次情報的な震え方。


 遠距離恋愛の歌で、会えない相手を想う内容だった。

 彼女が誰を思い浮かべているのか、俺には知る由もない。


 しかし、その相手のことを心から大切にしているのだという事は、火を見るより明らかだ。


 歌が終わって、彼女がこちらを見た。


「どうでしたか?」

「……すごかったです。小説家なのに、語彙がなくてすみません」

「嬉しいです!」


 彼女がはにかむ。

 その顔を見て、俺は佐倉のことを思い出した。


 全力で盛り上げるのが礼儀だと、あいつは言っていた。

 サビでは手拍子、間奏では合いの手。

 相手が気持ちよく歌えるように応える。


 それがデートの作法だと。


 次にクレアがもう一曲入れたとき、俺は実践してみることにした。


 入ったのはアップテンポの曲だ。

 サビに差しかかったところで俺は手を叩き、佐倉に教わった通りの合いの手を入れる。


 「ヘイ!」とか「もう一回!」とか、そういうやつである。

 タオルはないので、おしぼりで代用しようとしたが、流石にやめておく。


 そして、俺の盛り上げの成果だが……クレアは歌いながら固まっていた。


 目を丸くしてこちらを見ている。

 それでも歌はプロなので、リズムは一切崩れていない。


 ただ、その視線は歌詞とはかけ離れて、「この人は何をしているんだ」と言っていた。


 そんな目線が刺さって、途中で我に返る。

 冷静になってみれば……かなり異様なことをしているかも。

 曲が終わると、彼女は数秒黙って、それから吹き出した。


「せ、先生、今の、なんですか?」

「……その」

「合いの手、入れてくれてましたよね? “ヘイ!”って……んふふ」


 笑いをこらえきれていない。

 俺は完全に読みを誤ったらしい。


「……失敗しました。忘れてください」

「どうして急に、あんなことを?」

「その……友達に、練習に付き合ってもらったんです」


 観念して、俺は白状した。


「今日のために、カラオケの感覚を取り戻しておこうと思って。そいつがやたら詳しくて、相手が歌ってるときは全力で盛り上げるのが礼儀だと、そう教わったんですが……」


「その教えを、忠実に守ってくれたんですね」

「……結果として、こうなったわけです」


 俺は自分の顔が熱くなるのを感じた。

 しっかり説明すればするほど間抜けさが際立つ。


 ところが、クレアは笑っていなかった。


 さっきまで吹き出していた彼女が、今は口元を押さえて、じっとこちらを見ている。

 その目が、少しずつ潤んでいくのが分かった。


「先生、練習してくれたんですね」

「……はい?」

「わたしとカラオケに行くために、わざわざ」


 確かに、俺は練習してきた。

 佐倉を巻き込み——どちらかといえば巻き込まれて——取材のために。


 だが、こうして彼女に言われてみると、それだけではなかった気もしてくる。気はするが、素直頷く事はできそうにない。


「……取材の準備です。恥をかいたら、まともに観察もできませんから」

「先生は素直じゃないですねぇ」


 クレアが意地悪そうに笑い、少し目を逸らして、今度は柔らかく笑った。

 こちらの胸の奥を静かに押してくるような笑み。


 俺はどう反応していいか分からず、目の前のおしぼりに視線を落とした。


「嬉しいです、すごく」

「……そこまで喜ぶことじゃ、なくないですか?」

「喜ぶことですよ。先生が時間を使ってくれたっていうことが嬉しいんです」


 彼女はいつも直球を投げてくる。

 俺が斜に構えて、遠回りして、否定形でしか物を言えないのとは正反対だ。


 その率直さに、いつも押し切られてしまう。


「それで、合いの手の練習の成果は、もう十分見せてもらったので、次は先生が歌ってください! わたしが聞く番です」

「……歌うんですか、俺が?」

 

「はい。練習してきたんですよね?」

「練習はしたんですけど……真昼さんの後に歌うのは、その……」


 俺の三十しかない歌唱力が、練習によって五十になったとする。

 しかし、二万のクレアの後に歌えば三十も五十もミジンコなのだ。


「それじゃあ、わたしからも先生にアドバイスです。歌は音程じゃなくて、どれだけ楽しく歌えるかですよっ!」


 逃げ場はなさそうだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。