30.女子!みんな!アイドルが好きなんだよッ!
数日後、講義室を出たところで、俺は佐倉を呼び止めた。
「佐倉、ちょっと相談があるんだけど」
「お、なんだよ改まって。金なら貸せないぞ。次のライブは積むって決めちゃったからな。サイン会の抽選があってさぁ」
「金じゃないよ……ちょっと、カラオケに付き合ってほしくて」
佐倉の足が止まった。
振り返った顔に、あからさまな好奇心が浮かんでいる。
「カラオケぇ? 青柳が?」
「悪いかよ」
「悪くはないけど……お前、友達とカラオケなんて行くタイプだったのか?」
行くタイプではない。
歌を歌うのは嫌いじゃないが、ヒトカラが常である。
記憶を辿ってみると、大学に入ってから、人とカラオケに行ったことはない。
俺はサークルにも入っていないし、大人数で騒ぐのは苦手だ。
「まぁ、たまにはいいかなと思って」
「ふーん?」
佐倉の目が細くなる。
俺ではなく、俺の背後に潜む何かを見抜こうとしている目だ。
こいつのこういう勘の良さは厄介だ。
学食でも何度か、俺の様子がおかしいことを見抜かれている。
今も何か裏があると踏んでいるわけだ。
「……わかった。行こう行こう。ちょうど今日はサークルもないしな」
だが、佐倉は深追いしてこなかった。
拍子抜けしてしまう。
駅前のカラオケ店に入り、流れるように部屋に通される。
平日の昼過ぎだからか部屋は空いていた。
案内された部屋は狭くて、ソファが壁沿いに並び、真ん中に小さなテーブルがあるだけだ。
佐倉が慣れた手つきで端末を操作し、飲み物を注文した。
「で、青柳。何を練習したいんだ?」
「練習って……」
俺は聞き返した。
「いや、そうだろ? たまに来ましたって顔じゃなかったぞ、さっきのお前。何か目的があって来たって顔だ」
黙っていると、佐倉がにやりと笑った。
「当ててやろうか……女だろ」
「っ……」
次の日曜、クレアとカラオケに行くことになっている。
取材のためだが、いざ行くとなると、自分がまともに歌える気がしない。
恥をかくのは避けたい。
その前に一度、感覚を掴んでおこうと思ったのだ。
「図星か。青柳のくせに生意気な」
「うるさいな……まぁ、そういうことにしておいてくれよ」
「隠すなって。減るもんじゃないし」
佐倉はソファに深く座り直して腕を組んだ。
やたらと偉そうな態度だ。
「よし、この佐倉様が特別に指導してやろう」
「指導?」
「デートのカラオケには、作法ってものがあるんだよ」
言い切る顔が、いやに自信に満ちている。
こいつがカラオケデートの作法を語れるほど、恋愛経験が豊富だとは思えない。
俺の知る限り佐倉に彼女がいたためしはないし、先日のミカに対する態度も……指摘するのも野暮に思えて、口をつぐんだ。
「まず基本だ。相手が歌ってるとき、お前はどうする?」
「……聞くしかないだろ」
「甘い」
佐倉がびしっと指を立てた。
「聞くだけじゃダメだ。全力で盛り上げるんだよ。サビでは手拍子、間奏では合いの手。相手が気持ちよく歌えるように全身で応える。それが礼儀だ」
「合いの手ってなんだよ」
「歌詞に入れ込めそうなワードとか、だいたいあるからな。タオルを振るとなお良い」
話がおかしな方向に進んでいる気がする。
「いや、タオルはいらないだろ?」
「現場では常識だぞ」
「現場ってなんだよ……」
佐倉は答えず、真剣な顔で続けた。
どうやら彼の中では、カラオケデートとライブ参戦の境界が、きれいに消え去っているらしい。
「次に選曲だ。青柳、お前どんな曲歌うつもりだ?」
「決めてない。というか、何を歌えばいいのかも分からん」
「よし、じゃあ俺が見繕ってやる。良かったなぁ俺がいて」
佐倉は端末を手に取ると、ものすごい速さで曲を検索し始めた。
指の動きだけは、さすが音ゲーで鍛えているだけあって速い。
「まずはこれだな。プラネタリアの“ステラ・ステップ”」
「いや、それはちょっと……」
思わず止めてしまう。
「な、なんでアイドルの曲なんだよ」
「何言ってんだ? デートで女子の心を掴むには、相手が好きそうな曲を歌うのが鉄則だろ」
「その子がアイドル好きかどうか分かんないだろ」
「女子は! みんな! アイドルが好きなんだよッ!」
偏見が過ぎるだろ。
だいたい、俺が歌おうとしている相手は、そのアイドル本人だ。
本人の前でその曲を歌ったらどうなるか、想像しただけで冷や汗が出る。
もちろん、そんなことは口が裂けても言えない。
「申し訳ないけど……却下で頼む。もっと普通のやつにしてくれ」
「注文が多いな。じゃあこれは? 去年の紅白でトリだったやつ」
佐倉が自分のスマホから曲を流してくれる……が。
「キーが高すぎるな。俺の声じゃ届かないよ」
「情けないな。このくらいの声も出せないでデートに行くのか? 俺なら余裕だけどな」
そう言って「キエエ」と高音を発する佐倉だが、これは奇声だ。
「デートじゃないって」
つい言い返してしまった。
すると、佐倉が待ってましたとばかりに身を乗り出す。
「じゃあ何なんだよ」
「……取材、みたいなもので」
「取材?」
佐倉が眉をひそめている。
取材という単語は明確なミスだ。
俺が小説を書いていることを佐倉は知らないのだから。
「なんだそれ、雑誌の記者にでもなったのか?」
「これはその……言葉の綾というか、なんというか……」
「ほう?」
幸い、佐倉はそれ以上追及しなかった。しないでいておいてくれた。
佐倉…便利な男だぜ
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