31.ワンマンライブ
佐倉のアイドル曲推しをひとしきり躱してから、俺はようやく端末を自分の手に引き寄せた。
自分で選ぶしかない。
佐倉に任せていたら、いつまでも変な曲ばかり入れられてしまう。
画面をスクロールして知っている曲を探してみる。
あまり新しいものは分からないし、盛り上げる系の曲は柄じゃない。むしろ盛り下がりそうだ。
俺が指を止めたのは、誰もが一度は聞いたことのある古いバラードだった。
十年以上前のヒット曲で、音域にも無理がない。
恋人と別れた男が、それでも相手の幸せを願うという内容で、派手さはないが歌詞が静かで、俺の声でも形になりそうに思えた。
「渋いな。青柳らしいっちゃらしいけど」
「……さすがに昔すぎるか?」
「いや、悪くないと思うぞ。じゃあ歌ってみろよ。俺が聞いといてやるからさ!」
佐倉が偉そうにソファにもたれる。
マイクを持つのは久しぶりだと改めて実感する。
前奏が流れ始めて、画面の歌詞を目で追う。
最初の一音を出すまでに少し勇気がいった。
声を出してみるが、想像よりはマシな気がする。
曲自体に高い音はないし、テンポもゆっくりしている。
歌詞を眺めながら、自分の声が部屋に響くのを聞く。
聞かせるために歌っているようで、途中で気恥ずかしくなりながらも、最後まで歌いきった。
途中、視界の端で佐倉が手拍子を入れようとして、曲調に合わずにやめたのが見えた。
バラードで手拍子をする場面はないし、そういうのは弁えてくれるんだな。
歌い終わると、佐倉は黙りこんでしまった。
「……どうだった? やっぱり、歌わない方がいいか?」
「いや、普通に上手いじゃん。びっくりした」
「そ、そうか……?」
「うん。ただな——」
佐倉が身を起こして、こちらを見た。
「お前……やたら気持ちがこもってなかったか?」
「……そんなことないけど」
「ちゃんと相手のことを浮かべながら歌ってただろ。歌詞が棒読みじゃなかったし……やっぱり女なんじゃないのかぁ?」
「たまたまだよ。ゆっくりした曲だから丁寧に歌っただけだよ」
「まったく、青柳くんは隠すのが下手だねぇ」
こちらが誤魔化すたびに、佐倉は見透かした顔で引き下がってしまう。
追及される方がまだマシかもしれない。
俺は飲み物に口をつけてごまかした。
浮かべていた顔があったかどうか、判然としない。
ただ、歌詞にある「君」という言葉を口にするごとに、誰かがちらついたのは確かだ。
「気のせいだろ」
「そうかぁ?」
佐倉はにやにやしながらストローをくわえた。
「まあいいや。次は俺が歌うから。青柳、しっかり合いの手入れろよ」
「タオルはないぞ」
「手拍子でいいよ」
佐倉が入れたのは、案の定アイドルの曲だ。
しかも、無駄にキレのある振り付きで歌い始める。
狭い部屋で、飲み物を避けながら踊る佐倉を、俺は半分呆れて眺めていた。
サビになると、佐倉はマイクをこちらに向けてきた。
合いの手を求めているらしい。
俺が黙っていると露骨にがっかりした顔をされてしまい、仕方なく、小さく手を叩く。
満足したのか、佐倉はまた次の曲を入れた。
今度も知らない曲だ。
こうして人が本気で楽しんでいる姿は、取材としては使えるかもしれない。
だが、同時に使わなくてもいいと思う自分がいた。
男女の、恋人同士の距離でもないし、駆け引きもない。
ただ男同士で遊ぶだけ。
俺が普段、どれだけ周りを観察する対象としか見ていないか。
それを不意に突きつけられた気分だ。
二時間ほどが経ったが、佐倉は自分の歌いたい曲ばかり歌っている。
俺の練習という当初の目的は、どこかへ行ってしまったようだ。
「……ふぅ、こんなもんだろ。どうだ青柳、練習になったか?」
「俺は結局、一曲しか歌ってないけどな」
「なぁに、聴くことも練習なんだよ」
「物は言いよう過ぎるだろ」
店を出ると、外はもう夕方だ。
「サンキューな。楽しかったわ」
「練習に付き合わせたのはこっちだけどな」
「まぁまぁ……それより」
佐倉が駅のほうへ歩きながら、こちらを見ずに言った。
「その取材だか何だかの相手、大事にしろよ」
「……なんだよ急に」
「いや、なんとなく。お前があんなに気合い入れてるの、初めて見たからさ」
返す言葉が見つからなかった。
「別に、気合いなんて入れてないよ」
「そういうことにしといてやる」
佐倉が笑った。
今度はからかう笑いではなかった。
佐倉はそれ以上何も言わず、じゃあなと手を挙げて、改札のほうへ消えていった。
一人になって、さっき歌った曲の歌詞を、頭の中でもう一度なぞる。
君の幸せを願う——という歌詞だった。
なぜあの曲を選んだのか、うまく説明できない。
偶然見つけたからと言えば済む話だが、数ある候補の中から、俺は迷わずあれを選んだ。
理由の輪郭がだんだんと明瞭になってきている気がして、俺は目を背けたくなる。
次回出ます!彼が!
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