24.密かな宝物
夜の十時を回った頃、インターホンが鳴った。
モニターを覗くと、ジャージ姿のミオが片手を挙げている。
玄関を開けるより早く、彼女は自分で鍵を回して入ってきた。
合鍵を渡したのは去年の話で、こうなることは予想がついていたはずだ。
「ただいまぁ〜。ねぇクレア、お腹すいたぁ」
「おかえり……じゃなくて、どうしたの急に?」
「報告に決まってるじゃん。例の件」
例の件。大学に行って先生の様子を見てきてほしいと頼んでいた事だ。忘れていたわけではない。
むしろ、今日一日、何度もスマホを確認していたのだから。
ミオはソファに沈み込むと、鞄から何かを取り出した。丸い——
「…………猫?」
「いや、これは犬じゃない?」
「犬なの……?」
「…………よくよく見てみると猫の気もしてきた」
多分、猫のぬいぐるみだった。
手のひらに乗るくらいの大きさで、目と目の間隔がやけに離れている。
「はい、おみやげ」
「……なにこれ?」
ミオが選んだにしてはセンスがないというか、らしくなさを感じる。
しかし数秒後、わたしは自分の認識を百八十度変えることになった。
「これはねぇ〜、先生がクレーンゲームで取ったやつ。千円かけてね」
「せ、先生が!?」
「そう。ムキになっちゃってさ、意地でも取るって顔してたの。あんな真剣な横顔、なかなか見れないよ」
わたしは、そっと両手でぬいぐるみを受け取った。
先生がこれを取るために千円も使った。
何度もアームを操作して、失敗して、頑張って手に入れた品。
そう思うと、途端にぬいぐるみが可愛く見えてくる。
垂れた目尻も、少しつぶれた鼻先も、ずっと見ていたい。
「それ、先生から奪ってきたから」
「奪ったの!?」
「だって、クレアに渡してくれって言うのも変じゃん。適当に理由つけるのも怪しまれるかもしれないしさぁ〜」
あっけらかんと言うミオに、わたしは言葉を失った。
先生は今ごろ、どう思っているんだろう。
せっかく取ったものを見ず知らずの女の子に持っていかれて、呆れているかもしれない。
それでも、このぬいぐるみが自分の手の中にあるという事実に、昂らずにはいられない。
「あと、これもあるから!」
ミオがスマホを差し出してくる。
画面を見ると——先生の写真が並んでいた。
学食で誰かと話している後ろ姿。
クレーンゲームの前での真剣な横顔。
メダルゲームをしながら笑っているものもある。
どれも、わたしの知らない先生だ。
「盗撮だけどね」
「そ、そんな事しちゃだめだよ……!」
なんて言いながら、画面をスクロールする指が止まらない。
取材のときの先生は、いつもどこか緊張しているような気がする。
丁寧な言葉遣いで、一歩引いた場所からわたしを見ている。
でも、写真の中の彼は違った。
友達の隣で気を抜いて、少年のような顔で笑っている。
(わたしの前ではこんな顔、してくれないな……)
そう気付いた瞬間、嬉しさと同じだけの棘が刺さったように感じた。
この表情を引き出しているのは自分ではない。
「顔に出てるよ」
「な、なにが?」
「妬いてるでしょ」
図星を突かれて、わたしはスマホを取り落としそうになった。
「や、妬いてないよ! ただ、その、こういう先生もいるんだなって」
「はいはい」
ミオはにやにやしながら、勝手に冷蔵庫を開けている。
悔しいけれど、否定することができない。
同時に、こんな顔ができる人なんだと、見えなかった一面を知れたことが嬉しくもある。
「先生、カッコよかったでしょ?」
わたしが尋ねると、ミオは麦茶を注ぎながら肩をすくめた。
「んー、地味。ぼそぼそ喋るし、目つき悪いし」
「そんなことないから!」
「まあ最後まで聞きなよ……陰キャではあると思うけど、ちゃんと人の事を見てそうだよね」
「……ふぅん?」
「私が変な質問しても、はぐらかしはするけど意図は理解してそうっていうか。ああいう人、案外少ないよね」
そう。先生はそういう人だ。
自分を過小評価しているけど、人の話は最後まで聞いてくれるし、欲しい言葉もくれる。
「でも、まだ合格とは言えないかなー。もうちょっと様子見、次があればね」
彼女はそう言って、麦茶を一息に飲み干した。
・
ミオが帰ったあと、わたしはぬいぐるみを膝に乗せてソファに座っていた。
部屋には物を増やさないと決めている。
写真に写り込めば騒がれるし、片付けも苦手だ。
それでも、この子だけはどこに置こうかと本気で考えてしまう。
棚の上か、ベッドの脇か。
人目につかない場所であることは絶対条件で、それでいて目が覚めたときに見える位置がいい。結局、枕元に決めた。
それからスマホを手に取った。
先生に連絡するのは、これで何度目だろう。
最初のころは送信ボタンを押すのに十分かかっていたのに、今では指が勝手に動く。慣れというのは怖い。
「先生、お疲れさまです! 今日はどんな一日でしたか?」
送ってから、自分がミスをしたんじゃないかと思い始めた。
今日の先生がどんな一日を過ごしたか、わたしはもう知っている。
学食で友達と話し、ゲームセンターで千円を溶かして、猫のぬいぐるみを取った。
知っているのに知らないふりで尋ねるのは難しい。
どこかでボロを出してしまったら……引かれてしまうかも。
今すぐアプリに課金して、メッセージを編集できる機能を使えるようにしようかと思っていると、既読がついてしまった。
『かなり変な一日でした』
『大学で知らない女子に絡まれて、なぜか三人でゲームセンターに行くことになったんです』
思わず笑ってしまった。
ミオの暴走ぶりが文から立ちのぼってくる。
「それは大変でしたね! 楽しかったですか?」
『疲れました』
『でも、悪くはなかったです』
悪くはなかった。先生がそう書くとき、それはかなりの肯定だ。
素直に楽しいと言えない人だから、否定形を重ねて遠回りに認める。
少し前のわたしなら気付けなかった機微を、今は読み取れるようになっている。嬉しい。
「ところで、次の取材のことなんですけど」
思い切って切り出してみる。
「水族館はどうでしょうか?」
返事までには少し間があった。
『水族館ですか?』
「はい!」
「恋人同士が行く場所の定番ですし、暗いので……わたしも動きやすいかなと思って」
半分は本当だ。人目につきにくいのは事実。
でも、それだけじゃない。
暗い場所なら、先生の顔をこっそり見ていても気付かれない。
並んで歩いても不自然じゃない。
水槽の前で言葉に詰まっても、魚のせいにできる。
打算かと問われれば否定はできない。
『たしかに、取材に向いてるかもしれません』
『水族館は光の使い方が特殊なので、描写の勉強にもなりそうです』
先生はいつも、こういう理屈を先に立てる。
デートに行きましょうと言われて、素直に「はい」とは答えない。
取材として意味があるかを確かめてから頷く。
でも、ここを越えれば真面目に付き合ってくれるのだ。
「じゃあ、決まりですね!」
「次の日曜日、空いてますか?」
『空いてます』
わたしはぬいぐるみを抱きしめて、声を上げないように口を押さえた。
2回目の取材、楽しみですね
評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!
作品作りにご協力いただけると幸いです!




