22.ゾンビ化直前の男
昼休み。学食で佐倉と向かい合い、俺は日替わり定食をつついていた。
取材のことや新作の構想が頭の隅にあって、佐倉の話は半分も聞いていない。
「——で、その円盤がさ、限定版だと特典が違うわけよ。しかも、低確率で直筆サイン入りの生写真が入ってるっていうんだから、こりゃ買うしかないよな。問題はいくつ積むかって話なんだけど……青柳、聞いてる?」
「聞いてるよ。円盤が偉いんだろ」
「偉いのは特典だって言ってるだろ」
いつもの調子と言えばそうだったが、新鮮でもある。
実りのある注意力の散漫さ、というやつだ。
この平穏が、あと十数秒で崩れるとは思ってもいなかった。
「あの、すみませーん」
背後から明るい声がぶつかってきた。
顔を向けると、一人の女子が立っている。
第一印象は……地味な女の子だ。
服のセンスは——誰が言ってるのかと思われそうだが——お世辞にもいいとは言えないし、野暮ったい眼鏡をかけていて、顔もよく分からない。
しかし、よくよく観察してみると、栗色の髪の巻き具合は物凄く丁寧で、レンズの下にある目も大きくてぱっちりとしていた。
陳腐な言い方をすれば、めちゃくちゃ可愛いのだ。
だが、どうしてか違和感がある。
良すぎる素材を活かせていない女の子ではなく、人の目を惹かないために、あえて地味子を演じているような……。
既視感があったが、俺は考えるのをやめた。
人を過度に観察してしまうのは俺の悪い癖だし、この間も時間は進んでいるのだから。
少なくとも、俺の知り合いではない。
「えっと、どうかしましたか?」
「うん! ちょっと聞きたいことがあって。ここ、いいかな?」
返事を待たずに、彼女は佐倉の隣にトレイを置いて座った。
「あ、あが…………」
ふと見ると、佐倉の様子がおかしくなっている。
唐揚げを口に運ぼうとした手が、空中でぴたりと止まっていた。
そして目を大きく見開いたまま、隣に座った女子を凝視しているのだ。顔から血の気が引いていく。
「おい佐倉、どうした?」
「……っ、な……」
佐倉は口をぱくぱくさせるだけで言葉にならない。
喉に唐揚げでも詰まらせたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
何かに驚愕して、完全に硬直している。
「あはは。お友達、どうしたのかな?」
女子が、佐倉の顔を覗き込んで笑った。
その笑顔を向けられた佐倉が、びくりと背筋を伸ばす。
ぶんぶんと首を横に振り、必死で俺に何かを訴えようとしているが、やはり声にならない。
(……こいつ、女子慣れしてなさすぎだろ……)
挙動不審にもほどがある。
俺は佐倉の奇行を訝しみながら、目の前の女子に向き直った。
「それで、聞きたいことっていうのは」
「あ、そうそう。単刀直入に聞くけど、君って——小説書いてたりする?」
なぜ、見ず知らずの女子がそんなことを聞いてくるのか。
俺が小説を書いていることは、大学では誰も知らないはずだ。
佐倉にすら話していない。
「……なんで、そんなことを?」
「んー、ちょっとした噂っていうのかなぁ」
彼女は可愛らしく首をかしげたが、目は笑っていなかった。
こちらの奥を探ろうとする視線だ。
「噂って、誰から聞いたんですか?」
「それは秘密。で、どうなの? 書いてる?」
どう答えるべきか頭を巡らせる。
幸いにも、佐倉はさっきから心ここに在らずという感じで、俺たちの話など全く耳に入っていないようだ。
かといって正直に認める理由はないし、下手に嘘をつけばかえって怪しまれる気もする。
この女子の正体も目的も、まるで見当がつかなかった。
「……趣味程度には」
「へえ! どんなの書くの? 恋愛とか?」
畳みかけるように聞いてくるが、やけに核心を突いてくるのが引っかかる。
返答に悩んでいると、佐倉が「ひっ」と小さく声を漏らした。
見れば、女子が佐倉のほうへちらりと視線を送っている。
ほんの一瞬、彼女の目つきが鋭くなった気がした。
佐倉は青い顔のまま勢いよく頷いた。
何かの命令に従わされているとしか思えない反応。
「あの……君、さっきから、俺の友達に何かしてないかな?」
「してないよー? ねぇ?」
「し、してませんっ……何も、されてませんっ……!」
佐倉が裏返った声で言う。
どう見てもされてる側の反応だろ。
だが、当の佐倉が否定する以上、追及のしようがない。
二人の間に、俺の知らない何かが流れているのは確かだが。
「ねぇ、さっきの質問の続きなんだけど」
女子は俺の困惑などお構いなしに、身を乗り出してきた。
「恋愛小説、書いてたりする? 最近、なんか書き始めたとか」
「……それ、知ってて聞いてるよな」
「勘だよぉ〜! でも、当たってそうな顔してるね?」
にこにこと笑っているが、探りの手を緩める気配はない。
俺は返事を濁して、水の入ったコップに口をつけた。
彼女は明らかに何かを知っている。
あるいは、確かめに来ている。
俺と、俺の書くものについて。
だが、その情報がどこから漏れたのか心当たりはない。
「まぁいいや。じゃあ次の質問! 好きな人とかいる?」
「——ぐっ!?」
水を吹き出しかけた。
「なっ……いきなり何を?」
「動揺してるねぇ……これも図星だった?」
「ち、違う違う。初対面の相手にする質問じゃないだろって、驚いただけだ」
俺が抗議しても、女子はけらけらと笑うばかりだった。
会話の主導権を完全に握られている。
ペースを乱されるのはクレアで慣れたつもりだったが、この女子はまた種類が違う。
どうにか話題を変えたいと佐倉に視線をやるが……彼は、いつの間にか椅子の上で小さくなっていた。
トレイの上の唐揚げはすっかり冷めている。
あれだけ唐揚げに貪欲な男が箸をつける気配もないし、額には、うっすらと汗まで浮いている。
「おい、佐倉。本当に大丈夫か? ゾンビみたいな顔色になってるぞ」
「だ、大丈夫……大丈夫だから……青柳は、気にしないで……」
声が震えている。まったく大丈夫そうに見えない。
ゾンビ化する直前の生存者かよ。
佐倉がこんなふうになるのを、俺は初めて見た。
いつも軽口ばかり叩いている男だし、女子に対しても、ある程度は耐性があると思っていた。
二人は知り合いなのだろうか。
だとしても、この怯えようは尋常ではないだろう。
「あなたのお友達、面白いね」
そう言って彼女が佐倉に視線を向けると、やはり彼は石のように固まってしまう。
蛇に睨まれた蛙とは、まさにこのことだろう。
この女子は一体誰なんだ?
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