21.恋の協力者
あの日から何日が過ぎただろう。
レッスンの合間にペットボトルの水を飲みながら、わたしはまた同じことを考えていた。
枯れ尾花先生とショッピングモールを歩いた日のことを。
思い返すたびに口元がゆるんでしまう。
鏡張りのスタジオで一人だけにやけているわたしは、きっと、相当あやしい。
「クレア、次いくよー」
「あ、はい!」
慌てて列に戻る。振り付けの確認が始まっても、頭の片隅ではまだ先生の声が響いていた。
彼と過ごす時間は、どうしてこんなにも特別に感じるんだろう。
クレープを一緒に食べたという、たったそれだけのことが、今も胸の奥で小さく光っているようだ。
先生はきっと、間接キスだと意識して固まっていた。
あの不器用な反応を思い出すと、また笑ってしまいそうになる。
でも……わたしがこの気持ちを、いつまで「憧れ」や「感謝」で片付けていられるのか。
目を逸らしていたわけじゃない。
心の奥底ではとうに理解していた。
わたしは——先生のことが好きだ。
一人の読者として、ファンとして。
そんな言い訳は、とっくに限界を超えている。
もちろん恩人だからという入り口はあった。
憧れの気持ちも持っている。
ただ、それ以上に今のわたしは、一人の女の子として、あの人の隣にいたいと思っている。
(ああ……だから気づかないふりをしてたんだ)
世の中には、気が付かなければ感じないものがある。
どこかを切ってしまった時とか、まだ症状が浅い段階の風邪とか。
それと同じで、先生への恋心を自覚してしまったから、色々な想いが溢れてきてしまう。
先生の声が聞きたい。先生に会いたい。先生の書くものを一番近くで見ていたい。
膨らんだ想いは、もう自分の胸には収まりきらない。
だけど、同時に冷たい現実が立ちはだかるように感じた。
わたしはアイドルだ。恋愛は許されない。
表向きだけの話ではなく、何万人ものファンが、わたしに夢を見てくれている。
その人たちの想いを裏切って自分の恋を優先することが、果たして許されるのか。
もし、わたしと先生のことが表に出たら。
先生にまで迷惑がかかってしまうかもしれない。
あることないこと書かれて、彼の穏やかな日常が壊れてしまうかもしれない。
せっかく、また書きたいと思ってくれているのに。
わたしのせいで、その火を消すわけにはいかない。
だから……進むことができない。
好きだと気付いてしまったのに、その気持ちをどこにも持っていけない。
手のなかで膨らむばかりで行き場がない。
人に恋をするという事が、こんなに苦しいものだとは知らなかった。
それでも、先生のことをもっと知りたいと思ってしまう。
会えない日に先生が何をしているのか。
ちゃんとごはんを食べているのか。
一人で無理をしていないか。
取材のとき以外の、素顔の先生を知りたい。
近くにいられない分、せめて。
彼の全てが知りたくなった。
全部独り占めしたくなった。
この重い気持ちを先生に知られたら、きっと引かれてしまう。
だから絶対に見せられない。
・
その日の夜、わたしはミオを自分の家に呼んだ。
七星ミオ。同じグループのメンバーで、たった一人だけの、なんでも打ち明けられる親友だ。
表向きは天真爛漫な人気者で通っているけれど、二人きりになると、彼女は途端に年相応の女の子になる。
「で、話ってなになに! クレアがわざわざ呼び出すなんて珍しいじゃ〜ん!」
ソファに寝転がりながらミオが言った。
すっぴんにジャージ姿で、テレビで見る華やかな姿とはまるで別人だが、彼女のファンであれば一目でその人だとわかる。
「あのね、ミオ……相談があって」
「いいよ〜! 次のヒット祈願なにやるんだっけ、その練習とか?」
「わたし……好きな人が、できたかもしれない」
その瞬間、芋虫のように伸びていたミオが勢いよく起き上がった。
「んえぇ!? クレアに好きな人!?」
「こ、声大きいからっ!」
「いやいや、こんな分厚い壁、誰にも聞こえないから。てか、それどころじゃないでしょ。クレアが? 恋愛に一ミリも興味なさそうだったクレアが!?」
目を丸くして詰め寄ってくる。
わたしは気まずくなって視線を落とした。
「嘘でしょ……相手は誰なの!? まさか、この前のドラマで一緒だった——」
「違うよ、違う…………その、作家さん……なの」
「作家ぁ?」
ミオが首をかしげる。
それから、はっと何かに思い当たった顔をした。
「あっ! クレアがテレビで紹介した、あの本の?」
「うん、枯れ尾花先生」
「この前のライブでメッセージを送ってくれた、あの!?」
「そ、そうだって……」
頬が熱くなるのを感じた。
名前を口にするだけでこうなってしまう。
ミオはしばらくの間、わたしを呆れ顔で見つめていた。
「……それ、けっこう重症じゃない?」
「重症?」
「だって、先生の名前言っただけで顔が緩んじゃってるし」
「——ッッ?!」
両手で頬を押さえる。
自分でも抑えがきかないのが分かっていたけれど、そんなに分かりやすいとは。
「……それで? もう会ったりしてるわけ?」
「うん、二回。最初はお話を聞かせてもらって、次は取材に同行させてもらったの!」
「取材?」
わたしはこれまでのことを打ち明けた。
メッセージのやり取りから、初めて会った日のこと。
河川敷に連れていったこと。
電話をして、取材と称してデートをしていること。
ミオは途中から頭を抱えていた。
「クレアって、変なところで行動力えぐいよね……アイドルとして色々アウトすれすれだよ……って言いたいけど、別にウチって恋愛禁止ルールとかないし、いいんじゃない?」
「えぇ……」
あっけらかんとしているが、そう簡単に片付けられることではないと、彼女も理解しているはず。
「その、自分でもやり過ぎって分かってるんだけど、止められなくて」
「気持ちは分かるけどね〜」
ミオはため息をついてから、少しだけ真面目な顔になった。
「で、私に相談って何? 惚気を聞かせたいだけじゃないんでしょ?」
わたしは意を決して切り出した。
「その人のこと、もっと知りたくて」
「ほほう?」
「会えない日に、どんなふうに過ごしてるのかとか。ちゃんとしてるのかとか、心配で」
自分でも重いことを言っている自覚はある。
ミオの目が、じとりと細くなった。
「……それ、ストーカーの入り口じゃない?」
「ち、違うの! 監視したいとかじゃなくて、ただ心配で……近くにいられないから、せめて元気にしてるか知りたいだけで」
必死に弁解すると、ミオは「はいはい」と手を振った。
「ちなみにだけどクレア……先生の名前って知ってるの?」
「…………あっ」
とんでもないことに気付いてしまった。
「まさか……ここまできて名前すら知らないの?」
「いや、その……喫茶店に行った時に、店員さんが先生の名前を言ってたんだけど……声が小さい人で、聞き取れなくて……」
「おっけ、一旦名前のことは忘れようっ! で、その先生がどこにいるか分かんないから、どうしようもないって話だっけ!」
「えっと……居場所はたぶん、わかる……」
「それは分かるのね!?」
「先生ね、前に電話で大学の話をしてくれたことがあって。法学部だとか、講義がどうとか。あと……バズったとき、先生の昔の投稿がたくさん掘り起こされたりしたんだけど、その前からわたしは全部読んでて……」
「誰にマウント取ってるの!?」
そんな気はなかったが、先生のことになると負けられない気持ちになってしまう。
「それにしても……全部?」
「そもそも、そんなに投稿数はないんだけどね。その中に、たまに写り込んでる景色とか、行きつけのお店の話があって。あと、先生が渋谷の代々木公園によく行くって書いているから、それと繋げたら……大学、たぶんここじゃないかなって」
スマホの画面を見せると、ミオが固まった。
「……ちょっと待って。ここ、私の大学なんだけど」
わたしは思わず身を乗り出した。
「ほんとに!?」
「いや、ほんとにって……こっちが聞きたいよ〜。え、じゃあ何、その先生、私と同じ大学に通ってるってこと?」
「多分……ミオって何学部だっけ」
「政治経済。ほぼ法学部みたいなもんだね」
ミオが額に手を当てて天を仰いだ。
「世間、狭すぎ……」
わたしにとっては、これ以上ない幸運だった。
会えない間の先生を知る手立てが、思いがけず目の前に転がってきたのだから。
「ねぇミオ、お願いがあるんだけど……」
「…………その顔、なんかヤバいこと考えてない?」
「考えてないからっ! ただ、先生の様子、見てきてほしいなぁって……」
ミオは眉を寄せる。
「あのねぇ、私にスパイしろって言ってるわけ? このミオちゃんに、潜入捜査を」
「す、スパイじゃないよ。ただ、どんな人か、遠くから見てくれるだけで——」
「めっっっっっちゃ楽しそうじゃん!」
彼女のテンションが爆発する。
「私も気になってたんだよねぇ。クレアがあんなに泣くぐらい好きな人なんでしょ? いやぁ気になるね!」
「ちょ、ちょっと待って。遠くから様子を探るだけで——」
「もっちろん、捜査の基本は聞き込みだからね! 先生と話してくるし、名前もしっかりゲット!」
「そうじゃないって!」
ソファをぴょんぴょん飛び跳ねるミオを捕まえようとするが、上手く逃げられてしまう。
「まぁまぁ安心しなさいな。私、言っていいことといけないことの区別はつくんだよねぇ」
「そ、それならいいけど……」
彼女も鬼じゃないし、状況を悪くするようなことはしないだろう。ひとまず、わたしは胸を撫で下ろした。
これで、会えない日も少しだけ先生を近くに感じられる。
そう思うと、抑えていたはずの気持ちがまた大きくなってしまう。
先生。あなたは今、何をしていますか?
わたしの知らないあなたを、これから少しずつ知っていけますように。
クレアの熱愛報道が出て、会長が許すと思いますか!?(許す)
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