20.クレープの理由
書店を出ると、俺たちは三階の通路を歩いた。
雑貨店の前を通りかかった時に彼女の足が止まり、ショーウィンドウに並んだ小物を、じっと覗き込んでいる。
「かわいい……」
小さく漏れた声に、こちらまで足を止めることになった。
並んでいるのは、手のひらに乗る大きさの動物の置物だった。
犬なのか猫なのか、なんとも言えない正体の何かで、どれも間の抜けた顔をしている。
彼女は真剣な目でそれを見比べていた。
「そういうの、好きなんですか?」
「好きです。でも、あんまり買えないんですよね」
振り返った彼女が、少し困った顔をした。
「部屋に物を増やすと片付けられなくて。あと、部屋の写真とかを載せた時に、意外なものが写り込むと騒がれちゃうので」
「意外なもの?」
「前に会ったのが……メンバーの子にゲームが好きな子がいるんですけど、その子が部屋にマスコットキャラクターのフィギュアを置いたってブログに書いたんです」
「いいですね。推しと同じフィギュアを置きたいって人もいそうですし」
「でも……偶然その日に、まったく関係ない二.五次元俳優の方が同じような投稿をSNSにして……」
「あ、あぁ……匂わせだと思われたわけですね」
クレアは「そういうことです」と肩を落とした。
「自分以外の動きにも気をつけないといけないなんて、やっぱり大変ですね」
「でも、見るだけなら自由なので。いっぱい見て満足しちゃいますっ」
ガラス越しに眺めるだけで良いと、彼女はそう言った。
欲しいものを買わずに、見るだけで引き返してしまう。
そういう小さな諦めを、日常的に積み重ねてきたのだろう。
それを不満そうに語るでもなく、当たり前として受け止めている。
俺はノートを開き、短く書きつけた。
『欲しいものを見るだけで帰る』
クレアが俺を見つめた。
「先生、もしかして今の、メモしました?」
「し、しました、けど……」
「わたしの話ですか!?」
「そうですけど……もしかして、これもやめた方が良かったですか? すみません、今すぐ——」
「悪くないです! むしろ光栄です! 嬉しいなぁ、先生がわたしの事を書いてくれた……!」
彼女は嬉しそうに笑ってから、また置物の前に戻っていった。
・
昼を過ぎて、俺たちはフードコートに落ち着いた。
休日の午後とあって、席はほとんど埋まっている。
トレイを持った家族連れが空いた場所を探して行き交っていた。
俺たちはなんとか隅の二人がけを確保して、向かい合って座る。
彼女はクレープを、俺はコーヒーだけ頼んだ。
「先生、それだけですか?」
「お腹あんまり空いてないんですよね」
「もうー、ちゃんと食べなきゃダメですって。はい、先生も食べてください」
言うが早いか、彼女はクレープを差し出してきた。
「い、いや……いいですよ」
「遠慮しないでください。一人だと多いんです」
俺が言いたいのはそういう事じゃなく、間接キスとかそういうやつだ。
だが、彼女は一向に退く気配がなく……俺は自分の口内が渇ききっていることに感謝しながら、一口だけいただくことにした。
生クリームとイチゴが挟まった、見るからに甘そうな代物。
普段なら絶対に選ばないが、食べてみると意外と美味しい。
想像していたより、ずっと甘いが。
「どうですか?」
「甘いです」
「そうでしょう!」
なぜか得意げだった。
周囲を見渡すと、同じ光景があちこちにあった。
カップルがフライドポテトを分け合っている。
誰かと食べ物を分けるというのは、こんなにも当たり前の行為なのか。
俺にとっては記憶にないくらい久しぶりのことだ。
「先生、また考えごとですか?」
「取材ですからね」
「今回のお話って、こういう場面も書くんですか?」
「……書きますね。というより、こういう場面こそ書くんです。派手な事件よりも、食べ物を分け合ったりする何気ない瞬間のほうが、二人の距離が分かりやすいじゃないですか」
「距離が分かりやすい……ですか?」
「たとえば、相手の食べものを受け取るって、よく考えたら結構な距離感じゃないですか。出会ったばかりの頃とか、好意のない相手にはやらないでしょう?」
そう言ってから、俺は自分の発言の失敗に気付いた。
彼女は今、俺にクレープを渡した。
それはつまり——俺に好意があるんじゃないかと、そう受け取ったと伝えてしまったわけだ。
最悪だ。最も避けるべき事態を、自らの手で作ってしまったのだから。しかし——
「……確かに」
彼女はぽつりと呟いて、手元のクレープに視線を落とした。
耳のあたりが少しだけ赤くなっている。
クレアはしばらくの間、何も言わなくなった。
俺はコーヒーを飲み、彼女はクレープの残りを小さく齧っている。
「あの、先生」
顔を上げた彼女が、こちらを見た。
「デートって、普通は何をするものなんでしょうか」
「……俺に聞きますか? それを」
「あっ、そうでした、経験豊富そうなんですけどね」
悪びれもせずに言われる。
「真昼さんこそ、どうなんですか」
「わたしもないですよ。この仕事ですし、そもそも、そんな時間もなくて」
二人揃って未経験。
取材としては最悪の布陣じゃないか。
「じゃあ、今日みたいなのは……どうなんですか?」
彼女が身を乗り出して聞いてくる。
「モールを歩いて、本屋さんを見て、こうやってご飯を食べて。これって……傍から見たら、どう見えるんでしょうね?」
「それは……」
どう見えるか。表現するのは簡単だが、言葉にするのは難しい。
答えを口にした瞬間、この関係の名前が変わってしまう気がしたからだ。
「……取材です」
絞り出した言葉は、我ながら情けなかった。
「ふふ、そうですね」
彼女は笑ったが、その目は笑っていなかった。
何かを飲み込んだ顔だった。
・
日が傾きはじめた頃、俺たちはモールを出ることにした。
駅までのバスに揺られ、前回と同じで改札の前で別れる。
彼女は帽子を目深にかぶり直してから、こちらへ小さく手を振った。
「今日はありがとうございました! とっても楽しかったです!」
「俺も楽しかったです。たくさん付き合わせてすみません」
「そんな、今日は幸せな気持ちで寝れそうですっ! 取材、また付き合いますからね! すぐ行きましょう!」
「……助かります」
人混みに紛れて、その背中はすぐに見えなくなった。
帰りの電車はそこそこ混んでいた。
俺は吊り革につかまりながら、片手でノートを開いた。
今日書き留めたものを、記憶の熱があるうちに整理しておきたかった。
新作の材料になりそうな断片を拾い直すつもりで。
ページをめくっていくが、やがて手が止まる。
書いてあることの大半がクレアのことだった。
彼女が言った言葉や、彼女の仕草。
何もない棚を指差した指先。
ガラス越しに置物を見つめる目。
クレープを渡す距離。
街の風景や店の配置、人の流れ。
そういう場所の資料が欲しくてノートを持ってきたはずだった。
それなのに、実際に書き留めていたのは、隣にいた一人の人間の言葉と仕草ばかりだ。
俺はページを閉じて、窓の外へ目を逃がした。
電車が揺れ、ノートを持つ手に力がこもった。
普段、秒速で関係を進めたりヒロインをシバく作品ばかり書いているので、脳が麻痺してきました
評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!
作品作りにご協力いただけると幸いです!




