19.ここに並ぶんです
「……ちょっと早かったかな」
時は流れて週末。
待ち合わせの二十分前に着いてしまった。
駅前のロータリーに立って、俺は手持ち無沙汰でスマホをいじる。
取材だと思っているのに、家を出る前に何度も鏡を確認している自分に気付いた時から調子が狂っている。
こういう時間も人間観察に利用できると思い、スマホをしまって通行人の流れを眺めていると、視界の端で誰かが立ち止まった。
「先生、お待たせしました!」
真昼クレアだ。
(……失敗した。今回は変装を控えめにしてくれって言えばよかった……)
脳裏に過ったのも束の間、彼女の格好は深夜の露出狂コーデではなく、つばの広い帽子とレンズの薄い眼鏡。マスクはしていない。
前回の顔面を全部覆い隠す完全武装と比べて遥かにマシで、周囲の人間も特に気に留めた様子はない。
「きょ、今日はマトモな格好してるんですね」
思わず、そんな感想が口をついて出る。
「む〜、マトモってなんですかマトモって! 先生に言われたので研究したんです。自然に見えるようにって」
「進歩しましたね」
「でしょう? もっと褒めてください」
得意げに胸を張るクレア。
その体勢は少しばかり俺の心臓に悪くて目を逸らす。
なんと返せば良いのだろう。
褒めろと言われて素直に褒められるほど器用な性格はしていないのだ。
「えっと…………メガネも似合うんですね」
「本当ですかっ!? わたし、家ではメガネなんですよね。ちょっと地味かなって思って、外に出る時はコンタクトにしてて」
日頃から嫌というほど褒められているはずなのに、俺の言葉に「今度からメガネでも出かけようかな」なんて機嫌をよくしているのは、さすがアイドルの対応力といったところか。
それにしても……変装らしい変装をしていないのに、誰も彼女に気付かないなんて。
おそらく人は「トップアイドルがこんな場所にいるはずがない」という前提で世界を見ているのだ。
前提が違えば目の前にいても見えない。都合のいい話だ。
「よーし、先生との時間は貴重で有限なので、さっそく行きましょう! わたしも案はいくつか考えてきたんですけど、行きたいところはありますか?」
彼女が首をかしげる。
あざとい仕草なのに、彼女がすると自然に見えてしまう。
「ショッピングモールです。ここからバスで十分ほどの」
「モールですか?」
「新作の舞台は固まってないんですけど、恋愛とかラブコメなら日常的な場所は外せないと思って。人が集まる場所の空気を実際に見たり、店から店への導線を確認したり……と、思って……」
説明しながら、自分でも理屈っぽいと思ってしまう。
取材と言いながら、要するに二人で買い物に行くだけだと呆れられないか?
彼女がどう受け取るか、内心では身構えていた。
「わぁ、いいですね!」
だが、返ってきたのは弾んだ声だった。
「わたし、モールってあんまり行けないんです。人が多いので、デー……男性となら尚更。だから、ちょっと憧れてたんですよね!」
当たり前に行ける場所へ行けない。
彼女の立場を思えば当然だが、本人の口から聞くと重みが違う。
俺が退屈だと切り捨ててきた日常は、誰かにとっては手の届かない場所なのかもしれない。
「……行きましょうか」
「はい!」
今さら「異性と出かけるのはやっぱり……」とは言えなかった。
・
バスに揺られること十分。
到着したショッピングモールは、休日らしく賑わっていた。
吹き抜けの天井から柔らかい照明が降り注ぎ、ベビーカーを押す家族連れを照らしている。
手を繋いで歩く学生、紙袋を提げた買い物客、スマホの買い替えを狙う客引き。
人の流れがあちこちで交差していた。
俺は鞄からノートを取り出した。
「先生、そのノート、何ですか?」
「取材用のメモです。気付いたことを書き留めておくので」
彼女が目を輝かせる。
「おおっ! 本格的ですね……!」
「こ、これでも一応、プロの端くれなので……」
何をそんなに感心されているのか分からないが、悪い気はしない。
俺は吹き抜けを見上げながら、頭の中で場面を組み立てていった。
この空間で二人の人間が出会うとしたら、エスカレーターですれ違うのか、それとも書店の前で偶然かち合うのか。
人混みの中で相手を見つける瞬間、視線はどう動くのか。
「先生、いま何を考えてるんですか?」
隣から顔を寄せて問われ、我に返る。
「あっ……すみません、真剣に考えてるのに邪魔しちゃってますよね」
「そんなことないですよ。インプットした情報をアウトプットする時、誰かに話したりする方がスッと入ってくるんです」
「……ということは、つまり……」
「バンバン話しかけてくださいってことです」
「やったぁ! ……で、何を考えたんですか!」
切り替えが早いな。
「……ここで登場人物を歩かせたら、どう見えるかを考えてました。たとえば、そこのエスカレーター。上りと下りですれ違ったら、一瞬だけ目が合いますよね。でも、手も届かないし声もかけられない」
「あ、それドキドキします」
「そうですか?」
「します! 声をかけに行きたいけど、相手にわざわざ追いかけたことが分かっちゃって引かれるかもしれませんし、逆に『必死に追いかけてきてくれた』って好感度が上がるかもしれないですよね」
「そう、それです! 現実世界なら引かれる寄りだと思うんですけど、フィクションの海に潜ってれば憧れのシチュエーションになるっていうか!」
うん、どこかで使えるかもしれない。俺はノートに書きつけた。
エスカレーターですれ違う。手が届かない。声も届かない。
「先生って、街を歩きながらたくさんのことを考えてるんですね」
俺のどこが面白かったのか、クレアは嬉しそうにしている。
「いつもじゃないですよ。書くようになってから、少しずつ変わっていったんです」
自分で物語を紡ぎ始める前、俺は何を見ても何も感じなかった。
街も人も、背景として流れていくだけだった。
だが、小説を書くようになってから……今は違う。
目に映るものが物語の材料に変わっていく。
この変化がどこから来たのかは考えるまでもない。
それを認めるのが照れくさいだけで。
俺たちはモールの中をあてもなく歩いた。
一階は食品と生活雑貨、二階は衣料品、三階は書店と雑貨。
案内板を眺めながら、俺は上階へ向かうエスカレーターに乗った。彼女が一段下からついてくる。
「先生、次はどこに行きましょう!」
彼女のテンションが、だんだん探検隊みたいになってきた。
「本屋です。現地取材と言いつつ、結局そこに行き着くんですよ」
「作家さんっぽい!」
三階の書店に入ると、平積みの新刊が目に飛び込んできた。
自然と足が文庫の棚へ向かう。
恋愛小説の並びを眺めながら、俺は背表紙を目で追った。
売れている作品はどんな顔をして棚に並んでいるのか。
装丁、帯の文句、タイトルの付け方。
書き手の目で見ると、棚は情報の塊である。
「先生、いつになく真剣な顔ですね」
「そういうものです。ここはいわば……戦場なんです」
「戦場」
おうむ返し。
「大げさに聞こえますか? でも、この棚に並ぶために何千人もの作家が数十時間を費やして、それでも評価されないことばかりで、そのうち何冊かだけが生き残れるんです」
俺自身も、かつては戦場に立っていた。
だが、戦えたのはほんの一、二撃だけで、あとは敗走だ。
感傷に浸りかけたところで、隣から視線を感じた。
彼女が俺をじっと見ている。何か言いたげに。
「どうしたんですか?」
「わたし、先生の本が並んでないのはおかしいと思います」
「ぜ、絶版なので……当然ですよ」
「でも、あんなに面白くて、感動して、元気をもらえる作品なのに。そんなの他にないのに」
「それは……需要と供給というか、たまたま俺の書いた言葉が、たまたま——」
「先生の次の本が出たら、わたし、絶対に買いに来ます」
彼女はそう言って——新作の入荷用に空けているのだろう——何もない棚の一角を指差した。
「ここです。ここに、先生の本が並ぶんです」
あまりに真面目な口ぶりだったので、笑い飛ばすこともできなかった。
俺はただ、その何もない棚を見つめる。
並ぶ日が来るのかどうか。
歩く魚の作品も書店に並べてみませんか???
評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!
作品作りにご協力いただけると幸いです!




