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第7章 閑話:小林美咲の違和感――通知多すぎ、熱量バグってる

翌朝、小林美咲は出社してすぐ、社内チャットを開いた。


新入社員の初日は、連絡漏れが起きやすい。集合時間、持ち物、提出物、研修資料の保存先。どれも大したことではないようで、最初につまずくと本人の不安は大きくなる。


だから小林は、毎年この時期だけはいつもより早めにチャットを確認することにしていた。


だが、その朝の画面は、いつもの新入社員対応とは少し違っていた。通知欄の上の方に、秋山昭人の名前が何度も並んでいる。


既読、リアクション、短い返信、確認しました、ありがとうございます、承知しました。時刻を見ると、昨夜の二十時台、二十一時台、二十二時台、そして日付が変わる少し前まで反応が続いていた。


「……通知多すぎ」


小林は思わず声に出してしまった。


もちろん、秋山が悪いことをしたわけではない。むしろ、礼儀正しく、反応も早い。案内に対して無視をするよりはずっといい。


既読だけで済ませず、確認したことを伝える。質問にも早く返す。社会人としては、丁寧だと言える。


けれど、その丁寧さが、少し過剰だった。


小林が送った「明日の集合は九時二十分、九時十分以降に会議室へ入ってください」という案内に、秋山はすぐ「承知しました」と返していた。


その後、近藤が「資料のリンクここで合っていますか」と質問すると、秋山が小林より先に「たぶん合っていると思います」と反応している。


相原が共有したメモにも、早川のスタンプにも、井上の軽い雑談にも、秋山はほぼすべて何らかの反応を残していた。


小林は椅子に座ったまま、画面を少しスクロールした。


秋山の返事はどれも短い。説教じみているわけではない。だが、頻度が高い。反応が早い。早すぎる。まるで、誰よりも先に状況を把握し、誰よりも早く動くことで、自分の存在を証明しようとしているようだった。


「熱量、バグってる……」


小林はそうつぶやき、すぐに苦笑した。


言い方は軽いが、感じていることは軽くない。秋山の反応は、本人にとっては誠意なのだろう。


連絡を放置しない。相手を待たせない。仕事を前に進める。その姿勢自体は、確かに強みだ。


だが、新入社員のグループチャットで一人だけ深夜近くまで反応し続けていると、ほかの同期たちはどう感じるだろうか。


近藤は気にしすぎるかもしれない。相原は合理的に線引きするだろう。早川は通知をミュートするかもしれない。井上は面白がるかもしれない。城山は、自分も返さなければいけないのではないかと気を遣うかもしれない。


問題は、秋山にそのつもりがなくても、周囲に「この速さが標準なのか」と思わせる可能性があることだった。


小林はチャットの入力欄に「夜遅い時間帯の返信は、急ぎでなければ翌営業日で大丈夫です」と打ちかけて、手を止めた。


正しい。けれど、今それを全体に送れば、秋山を名指しして注意したように見えるかもしれない。かといって、何も言わずに放っておけば、秋山は今日も同じように反応し続けるだろう。


小林は深呼吸してから、上司の橋本に短くメッセージを送った。


「秋山さんのチャット反応について、少し相談させてください。熱量はありがたいのですが、周囲への影響が気になります」


返事はすぐに来た。


「いい観察です。本人の前に、一度話しましょう」


午前の研修が始まる前、橋本は会議室の隅で小林の話を聞いた。小林は、秋山の反応が悪意ではないこと、むしろ丁寧で責任感があること、その一方で、夜間や時間外の反応が周囲に圧として伝わる可能性を説明した。


橋本はうなずいた。


「秋山さんらしいですね」


「らしい、ですか」


「はい。反応が早い。放置しない。相手を待たせない。そこだけ見ると、とても大事な力です。ただ、その力を常に全開で使うと、周囲は疲れます」


小林は、昨夜の自分の感覚が言葉になった気がした。秋山の問題は、熱量があることではない。熱量の出し方が、一人だけ常時フルパワーなのだ。周囲に合わせて強弱をつけるという発想が、まだない。


「止めた方がいいでしょうか」


小林が聞くと、橋本は少し考えてから答えた。


「止める、というより、使い分けを教える方がいいと思います。秋山さんにとって、早く返すことは誠意なんでしょう。そこを否定すると、本人は自分の強みまで否定されたように感じるかもしれません」


「確かに……。昨日も、残ることを否定されたわけではないと分かってから、少し聞く姿勢になっていました」


「そうです。秋山さんは、納得すれば変われる人だと思います。ただ、納得するまでに、自分の過去の正解を一度通します。そこを責めずに、今の職場ではどう見えるのかを一緒に整理してあげてください」


一緒に整理する。


小林は自分が昨日、新入社員たちに言った言葉を思い出した。


全部こちらが答えを出すわけではない。一緒に整理する。まさか、初日から自分自身がその言葉を試されるとは思っていなかった。


その後、朝の研修前に秋山が会議室へ入ってきた。


集合時間より十五分ほど早い。手にはスマホと資料。顔には、昨夜遅くまで確認していたことを隠しきれない疲れが少しだけ出ている。それでも、秋山は小林を見ると、きちんと会釈した。


「おはようございます。昨日の案内、確認しました。資料のリンクも全部開けました」


「ありがとうございます。確認が早くて助かります」


小林はまず、そう伝えた。秋山の表情が少しだけ明るくなる。やはり、反応の早さを評価されることに慣れているのだろう。そこで小林は、続けて言った。


「ただ、夜遅い時間の反応は、急ぎでなければ翌日で大丈夫です。秋山さんが早く返してくださると、ほかの人が“自分もすぐ返さないといけないのかな”と感じることがあります」


秋山は、すぐには返事をしなかった。


眉間にしわが寄る。小林は、責めているように聞こえないよう、少しだけ声をやわらげた。


「反応が早いこと自体は、秋山さんの強みだと思います。困っている人を待たせないし、仕事を前に進める力があります。ただ、その強みは、場面によって出し方を変えると、もっと伝わりやすくなります」


「出し方を変える……」


秋山は、言葉を確かめるように繰り返した。


反応が早いことを否定されたわけではない。だが、早ければ早いほどよいとも言われていない。秋山には、その中間がまだよく分からなかった。


小林は、そこで一つ例を出した。


「たとえば、業務時間中に誰かが困っていて、秋山さんがすぐ気づいて返せるのはすごく助かります。でも、夜遅くの雑談や急ぎではない確認まで同じ速さで返すと、周りは休みにくくなるかもしれません」


秋山は黙っていた。


昨日、定時で帰る同期たちを見て感じた違和感が、また別の形で戻ってきた。


会社を出ても、仕事のことを考える。通知が来れば返す。資料があれば読む。それが普通だと思っていた。だが、その普通が、周囲には圧として伝わることがある。


「……俺が返すことで、ほかの人が返さなきゃいけないと思う、ということですか」


「そう感じる人もいます。特に新入社員同士だと、“このくらいやるのが普通なのかな”と比べてしまうことがあります」


秋山は、少しだけ視線を落とした。


自分は、誰かに強制したつもりはなかった。だが、強制しなくても、行動だけで空気を作ってしまうことがある。


課長だったころ、部下たちは同じように感じていたのだろうか。自分が夜中にメールを返すたびに、自分が休日に資料を直すたびに、誰かが「自分もやらなければ」と思っていたのだろうか。


小林は、秋山が黙ったことに気づいた。否定されたから黙ったのではない。何かが胸の奥に届いたときの沈黙だった。ここで畳みかけてはいけない。小林はそう判断した。


「まずは、夜の返信は急ぎかどうかを一度考える、くらいで大丈夫です。全部止める必要はありません。秋山さんの速さは、必要な場面で使えば強みになります」


秋山は、ゆっくりとうなずいた。


「分かりました。……たぶん、すぐには慣れないと思います。でも、少し意識してみます」


その返事を聞いて、小林は小さく息をついた。


秋山は頑固だ。だが、壁ではない。問いを投げれば、時間はかかっても中で考え始める。厄介ではある。正直、しんどい。でも、完全に無理ゲーというわけでもない。


研修が始まる直前、近藤が秋山に声をかけた。


「秋山さん、昨日めっちゃ反応早かったですね」


秋山は一瞬、小林を見た。それから、少しぎこちなく笑った。


「早すぎると、パケットじゃなくて空気を使いすぎるらしい」


近藤はきょとんとしたあと、吹き出した。


「その言い方、やっぱり平成っぽいです」


小林も思わず笑った。


まだ先は長い。秋山の熱量は強すぎるし、言葉選びも時々ずれている。けれど、昨日とは少し違う。秋山は、止められたのではなく、向け方を変えるという選択肢を受け取り始めていた。 


小林はチャット画面を閉じ、研修資料を開いた。


次に扱うのは、秋山自身の過去の仕事観に近いテーマだった。なぜ彼は、そこまで早く動こうとするのか。なぜ、反応し続けることで安心しようとするのか。その答えはきっと、秋山がまだ手放せずにいる“エリート課長としての自負”の中にある。


小林は、秋山の背中を見ながら思った。


熱量を消すのではなく、周囲を照らす方向へ変える。それが、自分に与えられた教育係としての最初の課題なのだと。


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