表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/23

第5章 同期 近藤の違和感――だいたい平成初期

小林美咲が近づくよりも先に、秋山は同期たちの輪の中で、すでに少し浮いていた。


本人にその自覚はない。むしろ秋山は、自分なりにかなりうまくやっているつもりだった。


初対面の同期たちに対して、必要以上に偉そうにしないよう気をつけている。


課長時代のように腕を組まない。相手の話を遮らない。まずは名前を覚える。社会人として当然の基本を、丁寧に実践しているつもりだった。


だが、近藤千翔から見ると、秋山は最初から少し不思議だった。


近藤は、初対面の人をすぐに決めつけるタイプではない。むしろ、相手の言葉の端に出る癖や、周囲への目線をしばらく観察してから距離を測る方だった。


だから、秋山に対しても最初は「落ち着いた人だな」くらいに思っていた。


けれど、数分話しただけで、その印象は少し変わった。


落ち着いているというより、慣れすぎている。


緊張していないというより、なぜか初日の流れを上から見ている。新入社員の輪の中にいるのに、どこか新人を見る側の人の空気がある。


「秋山さん、チャット入りました?」


近藤がそう聞くと、秋山はスマホの画面を見たまま眉間にしわを寄せた。


「入ったことは入ったんだけどな。この携帯、朝から通知が多すぎないか。メールならまだしも、チャットでこんなに来ると落ち着かないな」


近藤は一瞬だけ黙った。


携帯。スマホではなく、携帯。もちろん意味は通じる。自分の親世代や少し上の先輩なら、今でもそう呼ぶ人はいる。だが、同じ新入社員の口から自然に出てくると、少しだけ時代がずれる。


「まあ、最初は通知多いですよね。設定である程度まとめられますよ。あと、通信量も会社のWi-Fiならそんなに気にしなくて大丈夫です」


「通信量か。パケットがすぐ上限いくんじゃないかと思ってな」


「パケット……」


近藤は、思わず復唱してしまった。笑ってはいけない。笑うほどのことではない。意味は分かるし、昔はそう呼んでいたのだろう。


けれど、同じ新入社員の口から出てくると、どうしても頭の中に「平成初期」というタグが貼られてしまう。


「今はギガって言う人が多いかもです。でも、言いたいことは分かります」


近藤はできるだけ自然に言った。秋山は少しだけ驚いたように顔を上げた。


「ああ、そうか。ギガか。パケットって言わないのか」


「言わないこともないですけど、ちょっと……懐かしい感じはします」


近藤がそう言うと、早川翔太が横からのぞき込んだ。


「パケットって、親が言ってるやつだ」


井上陽斗が笑った。


「でも分かる。うちの父親もスマホのこと全部“携帯”って言う」


城山純平はまじめにうなずいた。


「地方だと、普通に言う人もいますよ。年上の人とか」


秋山は、同期たちが悪意なく話していることは分かった。だから怒るようなことではない。むしろ、場が和んでいるならいいことだ。


だが、自分の言葉が「親が言ってるやつ」と同じ棚に置かれたことには、少しだけ胸がざらついた。


「まあ、呼び方は何でもいいだろう。大事なのは、通知を見逃さないことだ。仕事の連絡は早く返す。これは基本だと思うぞ」


その瞬間、近藤はまた少し違和感を覚えた。


言っている内容は間違っていない。確かに仕事の連絡を放置するのはよくない。だが、秋山の言い方は、同期同士の会話というより、新人に注意する先輩社員のそれに近かった。


近藤は、相手を傷つけない言い方を探した。


「秋山さんって、なんか説明が上手いですね。新入社員というより、研修担当みたいです」


「研修担当?」


秋山は一瞬、素で聞き返した。褒められたようにも聞こえる。だが、近藤の表情には、ほんの少しだけ困ったような笑みが浮かんでいた。


「悪い意味じゃないです。ただ、同じ新人のはずなのに、言葉の置き方が落ち着きすぎてるというか。だいたい平成初期っぽいというか」


「平成初期……」


秋山はその言葉を、口の中で転がした。


平成初期。嫌な響きではない。むしろ自分にとっては、必死に働き、勢いがあり、何とかなると信じられた時代の匂いがする。


だが、近藤の言い方からすると、それは褒め言葉というより、少し遠いものを見るときの表現だった。


小林美咲は、少し離れたところからそのやり取りを見ていた。


近藤はうまい。真正面から否定せず、笑いに変えすぎず、でも違和感はきちんと言葉にしている。


小林が同じことを言えば、指導になってしまう。同期である近藤が言うから、秋山も受け止める余地がある。


一方で、小林は秋山の表情も見逃さなかった。


秋山は笑っているが、少しだけ傷ついている。自分が同期から“少し上の世代”として見られたことに、戸惑っているのだろう。


それでも、秋山は言い返さなかった。そこには、橋本の言葉を受けて、何かを飲み込もうとしている気配があった。


「平成初期っぽい、か。まあ、そう見えるなら仕方ないな」


秋山は苦笑した。


「でも、仕事の連絡を大事にするのは、時代が変わっても同じだろう」


「それはそうです」


近藤はすぐにうなずいた。


「ただ、今は“いつでも即レス”が正解じゃない場面もあります。集中して作業する時間もあるし、時間外なら急ぎかどうか分けた方がいいですし」


秋山の眉がまた動いた。


即レスが正解ではない。そんな考え方は、秋山の中にはあまりなかった。連絡が来たらすぐ返す。急ぎかどうかは、相手が決めることではなく、受けた側が先回りして判断する。そう思ってきた。


「時間外って言っても、必要なら返すだろう。仕事なんだから」


秋山がそう言うと、近藤だけでなく、早川と井上も少しだけ顔を見合わせた。


城山は何か言いかけて、口を閉じた。相原は画面から目を上げ、感情を出しすぎない声で言った。


「緊急なら返します。でも、緊急じゃないなら、翌営業日でいいと思います。そういう線引きがないと、ずっと仕事している感じになりませんか」


秋山は言葉を失った。


ずっと仕事している感じ。それは、秋山にとってはむしろ誇らしい状態だった。いつでも対応できる。誰よりも早く動ける。そういう人間が信頼されるのだと思っていた。


だが、同期たちの表情を見ると、それは共有された価値観ではなさそうだった。少なくとも、この場にいる若手たちは、仕事への責任と、自分の時間を守ることを対立するものとは考えていない。


秋山には、それがまだうまく飲み込めなかった。


「なるほどな。じゃあ、今日の研修が終わったら、みんな帰るのか」


秋山としては、何気なく聞いただけだった。入社初日なら、終わったあとに資料を読み返したり、明日の準備をしたり、同期で軽く情報交換をしたりするものだと思っていた。少なくとも、自分ならそうする。


近藤は少し首をかしげた。


「今日の予定はここまでですよね。私は帰ります。明日からまたちゃんとやります」


早川も「自分も帰ります。夜に予定あるので」と言い、井上は「初日から詰め込みすぎても続かないですよ」と笑った。城山も申し訳なさそうに、「復習はしますけど、会社には残らないと思います」と答えた。


秋山は、またしても言葉を失った。


新入社員なのに、帰る。入社初日なのに、帰る。いや、予定が終わったなら帰るのは当たり前なのかもしれない。


頭ではそう考えようとしたが、身体の奥に染みついた何かが、それを簡単には受け入れなかった。


小林は、秋山の表情を見ていた。


怒っているわけではない。けれど、明らかに衝撃を受けている。近藤の違和感は、秋山の言葉遣いだけではなかった。仕事に対する前提そのものが、少しずつずれている。


近藤は最後に、少しだけ申し訳なさそうに笑った。


「秋山さん、なんか面白いです。たぶん悪い人じゃないんですけど、言葉も考え方も、だいたい平成初期なんですよね」


悪い人じゃない。だいたい平成初期。


秋山はその二つの言葉を胸の中で反芻した。褒められたのか、注意されたのか分からない。


ただ一つ分かったのは、自分が思っている以上に、この時代では少しずれているということだった。


そして、そのずれは、まだ始まったばかりだった。


研修終了の時刻が近づくにつれ、秋山はさらに大きな衝撃を受けることになる。


同期たちは、本当に、何のためらいもなく帰るつもりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ