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第24章 質問が尋問になる――事件は会議室で起きている

正論を少し後ろに下げる。


前回で学んだその感覚を、秋山昭人は自分なりに意識するようになっていた。


相手が何を不安に思っているのかを受け止めてから、必要な確認をする。


言葉にすれば、ずいぶん研修らしい言葉だ。


秋山はノートの端に書いた「受け止めてから、正しさへ」という一文を何度も見返していた。


ところが、正論を急がなくなった秋山の前に、次の落とし穴が現れた。質問である。


その日の演習テーマは、チームで進めていた資料作成に小さなミスが見つかった場合の対応だった。配布されたケースには、提出直前の共有資料に古い数値が残っていた、という設定が書かれている。原因を確認し、関係者へどう伝え、再発をどう防ぐかをチームで話し合う課題だった。


秋山にとっては、現世で何度も見てきた場面だった。ミスは起きる。大切なのは、早く見つけ、原因を確認し、次に同じことが起きないようにすることだ。そこに異論はない。


チームでは、城山純平がミスを見つけた担当者役になった。近藤千翔が進行役、小林美咲が観察役として少し離れた場所に立つ。秋山は、原因確認を行う先輩役を引き受けた。


「では、状況確認を始めてください」


秋山の脳内には、なぜか低い効果音が鳴った。


事件は会議室で起きている。


もちろん、事件といっても、古い数値が資料に残っていただけである。だが、秋山の中の平成ドラマ担当係が、勝手に非常線を張り始めていた。


小林の合図で、秋山は城山に向き直った。机の上には、ケース資料とメモ用紙が置かれている。秋山はまず、前章で学んだことを思い出した。いきなり正論を出さない。相手の不安を受け止める。相手の言葉を待つ。


「まず、見つけてくれてありがとう。提出前に気づけたのは大事だと思う」


城山は、少し安心したようにうなずいた。秋山も、ここまでは悪くないと思った。受け止めてから、確認へ。ノートに書いた通りである。


「で、どの資料の、どの数値が古かったんだ。誰が最後に更新した。いつの版を見ていた。確認者は誰だ。共有前にダブルチェックはしたのか」


言い終えた瞬間、秋山は自分がかなり落ち着いて話したつもりでいることに気づいた。声は荒げていない。責める言葉も使っていない。ただ、必要な確認を順番にしているだけだ。


しかし、城山の表情は少しずつ固くなっていった。手元のメモに視線を落とし、答えようとしては止まり、また別の質問を思い出したように顔を上げる。


「えっと、古かったのは、三ページ目の実績数値で……最後に更新したのは、たぶん僕です。ただ、元データは共有フォルダにあったもので、確認者は……」


「たぶん、では困る。事実で教えてくれ。確認したのか、していないのか」


そこまで言ってから、秋山は近藤が小さく息を止めたことに気づいた。城山は「はい」と答えかけたが、その声は少し細くなっていた。


小林が、軽く手を上げた。


「一度止めましょう」


秋山は驚いて小林を見た。今回は正論を振り下ろしていない。むしろ、最初に感謝も伝えた。確認は必要だ。事実を曖昧にしたままでは再発防止にならない。何がいけなかったのか、秋山にはすぐには分からなかった。


「秋山さん、質問の内容は必要です。ただ、いまは質問が一つずつ積み重なるのではなく、相手の上に落ちてきている感じがしました」


「落ちてきている……」


近藤が小さく首をかしげた。


「今、秋山さんの顔、完全に“容疑者を落とす直前のベテラン刑事”でした」


「落とすな。あと、容疑者じゃない」


秋山はそう返しながら、自分の眉間に入っていた力に気づいた。言葉だけ柔らかくしても、顔の字幕が『追及中』になっていては意味がない。


秋山は、頭の中で刑事ドラマの取調室を思い浮かべてしまった。古い蛍光灯、机、湯気の立たないカツ丼。もちろん、ここは研修室であり、城山は容疑者ではない。だが、自分の質問の並び方は、たしかに少しだけその空気に近かったのかもしれない。


しかも、秋山の脳内では、誰も頼んでいないのに「取調べ可視化」という字幕まで出ていた。可視化すべきなのは城山の供述ではなく、自分の質問の圧だった。

近藤が遠慮がちに言った。


「質問されているというより、正解を間違えたらアウトみたいに聞こえました。たぶん、秋山さんは責めてないんですけど」


秋山は、言い返したくなるのをこらえた。責めていない。問い詰めてもいない。必要な事実を確認しているだけだ。そう言いたかった。


だが、近藤の「責めてないんですけど」という言葉の後ろには、それでも責められているように聞こえた、という小さな影があった。


小林はホワイトボードに、縦に三つの言葉を書いた。


目的。順番。間。


「質問自体が悪いわけではありません。確認しないと、ミスの原因は分かりません。ただ、質問の目的が相手に見えないまま数が増えると、相手は“協力して説明している”より、“裁かれている”ように感じやすくなります」


「目的を先に伝える、ということですか」


秋山が聞くと、小林はうなずいた。


「はい。たとえば、“責任を決めたいから聞く”のではなく、“同じことを繰り返さないために流れを一緒に確認したい”と先に置くだけで、かなり違います。それから、一度に全部聞かずに、相手が答えられる順番にする。答えを待つ間を怖がらないことも大事です」


秋山は、現世の会議室を思い出した。後藤悟が、ミスのあった資料を前にして立っていた場面だ。秋山はそのときも、声を荒げたつもりはなかった。


ただ、「誰が確認した」「なぜ見落とした」「再発防止はどうする」と、必要なことを順番に聞いた。


後藤は、すべてに答えた。だから秋山は、対応はできていたと思っていた。


だが、あのとき後藤が机の端を見つめていたのは、単に反省していたからではなく、答えを一つ間違えたら自分の信頼が終わると感じていたからかもしれない。


「もう一度、やらせてください」


秋山は城山に向き直った。今度は、質問を並べる前に、少しだけ椅子を引いた。真正面から向かい合うのではなく、資料を一緒に見る位置に座る。小さな動きだったが、城山の肩がわずかに下がった。


「責任を決めたいわけじゃない。同じミスを防ぐために、どこで古い数値が残ったのか、流れを一緒に確認したい。まず、城山が気づいたきっかけから教えてもらっていいか」


城山は、すぐには答えなかった。秋山は、そこに別の質問を重ねそうになるのをこらえた。沈黙があると、つい埋めたくなる。


だが、小林の言った「間」を思い出し、ペン先を止めた。


その沈黙の数秒間、秋山の中の古い刑事ドラマなら、ここで机を指でとんとん叩いていたかもしれない。


だが、令和の会議室では、その音だけで相手の言葉を急かす圧になる。秋山は、指先を膝の上に置いた。


「提出前に見直していたら、前に使った資料と数値が違う気がして……それで元データを見に行きました」

「そこで気づけたのは大きいな。次に見るなら、資料の版と元データの版の関係か」


秋山は言いながら、今度は城山の返事を待った。城山はメモを見ながら、共有フォルダの中に似た名前のファイルが二つあり、古い方を参照していた可能性があることを話した。秋山は途中で「命名ルールが悪い」と言いかけたが、飲み込んだ。まだ原因を決める場面ではない。


近藤が、横から小さくうなずいた。


「さっきより、話しやすいです。質問の数は減っていないのに、追い詰められている感じがしないです」


小林は、ホワイトボードの「目的」の横に丸をつけた。


「同じ質問でも、“あなたが悪いことを探している”と聞こえるか、“一緒に仕組みを直そうとしている”と聞こえるかで、相手の答えやすさは変わります。目的が見えると、質問は責める道具ではなく、状況を一緒に照らすライトになります」


「ライトも、直接目に当てたらまぶしいですからね」と近藤が言った。


「机の上を照らすくらいが、たぶんちょうどいいです」


秋山は、ライトという言葉に少し救われた。質問は相手を囲い込む網ではない。暗いところを照らして、どこでつまずいたのかを一緒に見るためのもの。そう考えると、確認すること自体への罪悪感は少し薄れた。


演習の終盤、秋山たちのチームは、再発防止策として、最新データの置き場所を一つにすること、古いファイルには更新停止の表示を付けること、提出前の確認観点を共有することをまとめた。


誰か一人の注意不足で終わらせるのではなく、間違えにくい仕組みに変える。秋山にとっては、納得しやすい結論だった。


ただ、その結論にたどり着くまでの道のりは、いつもの自分とは少し違っていた。急いで犯人を探さなかった。答えをせかさなかった。沈黙を、相手が困っている証拠ではなく、言葉を探している時間として待った。


休憩時間、秋山はノートに三つの言葉を書いた。


何のために聞くのか。どの順番で聞くのか。どれだけ待てるのか。


現世に戻ったら、後藤に同じことを聞くだろうか。いや、同じ言葉では聞けない。もしもう一度あの会議室に戻れるなら、秋山はまずこう言う気がした。


責めたいわけじゃない。一緒に直したい。だから、分かっているところから教えてほしい。


その一言を言えなかった過去が、秋山の胸の奥で少し重くなった。


けれど、重さを感じられるということは、まだ変えられる場所が残っているということでもあった。


質問は、相手を追い込むためのものではない。事実を取りに行くだけのものでもない。相手が安心して事実を出せるように、場を整えるためのものでもある。


秋山は、ノートの端に小さな電気スタンドを描いた。


尋問のライトではなく、机の上をそっと照らす灯りだ。


その灯りの下なら、誰かの失敗も、言い訳ではなく、次に進むための材料として見えるのかもしれない。

会議室で起きていたのは、事件ではなかった。小さなミスと、それをどう聞くかという、もっと日常的で、もっと見えにくい出来事だった。秋山は、その見えにくさの方にこそ、静かにライトを向ける必要があるのだと思った。


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