第22章 自分は相談しづらいのか――だんごより対話
「おじさん臭い」という言葉は、秋山昭人の中でしばらく尾を引いていた。
年齢の問題ではない。相手の話を聞く前に、自分の物差しを差し出してしまう癖。そのことには、昼休みの雑談を通じて気づいたつもりだった。
近藤の推しを、顔か、トークか、キャラかに分類しようとした自分。相手の好きなものを理解しようとしながら、実は自分の箱に入れようとしていた自分。
その夜、秋山は自宅でノートを開いた。
ページの端には、最後に書いた一文が残っている。
相手の言葉を最後まで待つ。文字にすると簡単だ。
だが、実際には難しい。相手が何かを言いかけた瞬間、自分の頭の中ではすぐに整理が始まる。原因は何か。論点は何か。次に何をすべきか。相手がまだ話している途中でも、秋山の中では答えが形になっていく。
それは、秋山にとって仕事の速さであり、強みだった。
営業時代、相手の言葉の奥にある課題を素早く読み取り、提案につなげることで成果を出してきた。本社管理部門でも、複雑な話を分解し、関係者の役割を整理し、詰まっている案件を前に進めてきた。その力がなければ、今の自分はなかったとさえ思う。
けれど、その速さは、相談する側から見たときにはどう映っていたのだろう。
秋山は、現世の部下たちの顔を思い浮かべた。会議室の端で資料を抱えていた後藤。報告の前に何度も言葉を選んでいた若手。質問をすると、なぜか「大丈夫です」とだけ答えて席に戻っていった新人。秋山はそのたびに、もっと主体的に相談してくれればいいのに、と思っていた。
だが、相談しづらい空気をつくっていたのは、もしかすると自分の方だったのかもしれない。
翌朝、その問いは思いがけない形で現れた。グループ演習の時間、小林美咲が新入社員たちに小さな課題を出した。
「今日は、分からないことをどう相談するかの練習をします。ペアになって、一人が相談する側、一人が聞く側になってください。相談する側は、まだ整理しきれていない状態で話してもらって大丈夫です」
秋山は、その説明を聞いて、少し違和感を覚えた。
整理しきれていない状態で相談する。そんなものは、相談ではなく丸投げではないか。相手の時間をもらうなら、せめて論点をまとめ、選択肢を用意し、自分なりの結論を持ってくるべきだ。そう思いかけて、秋山は手元のペンを止めた。
今、自分はまた、相手が話す前に答えを決めようとしていなかったか。
「相談って、だんごみたいなものかもしれません」
近藤千翔が、課題用紙を見ながらぽつりと言った。
「だんご?」
秋山は思わず聞き返した。頭の中に、昔流行した団子の歌がよぎる。だんご三兄弟。小さな子どもが口ずさみ、テレビから何度も流れていたあの曲。秋山にとっては懐かしい記憶だが、今の同期たちに通じるかは怪しい。
近藤は、秋山の表情を見て少し笑った。
「たぶん、今、秋山さんの中で別のだんごが流れましたよね」
「いや、まあ……少しだけな」
秋山は咳払いをした。平成の記憶というものは、本人の意思に関係なく脳内で再生される。しかも、妙に音量が大きい。
「私が言いたかったのは、そういう一体感の話じゃなくて」
近藤は課題用紙の余白に、小さな丸をいくつか描いた。そして、その真ん中に一本の線を引く。
「相談って、全部をきれいに串に刺してから持っていくものだと思われがちじゃないですか。原因、論点、選択肢、自分の考え、みたいに。でも、本当に困っているときって、まだ丸がばらばらなんです。何が不安なのかも、どこで詰まっているのかも、自分ではよく分からない」
秋山は、思わず反論しかけた。そこを整理してから来るのが社会人ではないか。そう言いそうになって、口を閉じる。
小林が、その沈黙に気づいたように微笑んだ。
「秋山さん、今、かなり頑張って飲み込みましたね」
「……顔に出てましたか」
「少しだけ。通知に出る前から、顔に“言いたいことあります”って表示されてました」
近藤が吹き出し、城山純平も遠慮がちに笑った。秋山は苦笑しながら、ペン先をノートの上で止めた。言われてみれば、口を閉じていても、考えていることは案外外に漏れているのかもしれない。
演習では、秋山が聞く側、城山が相談する側になった。城山は少し背筋を伸ばし、手元のメモを見たり閉じたりしながら話し始めた。
「えっと、来週の発表資料なんですけど……担当範囲は分かってるんです。でも、どこまで自分で調べて、どこから先を先輩に確認すればいいのかが、ちょっと分からなくて」
秋山の頭の中で、すぐに整理が始まった。担当範囲、確認範囲、期限、成果物の基準。まずは全体構成を作り、分からない箇所を赤字にして、確認事項を一覧化する。それで終わる話だ。
「それなら、まず――」
そこまで言いかけたところで、小林が軽く手を上げた。
「一回止まりましょう。今は答えを出す時間ではなく、城山さんの中にある言葉を一緒に探す時間です」
秋山は、口を閉じた。正直に言えば、もどかしかった。目の前にほどけそうな糸があり、自分ならすぐにほどける気がする。ほどけるなら、ほどいてやった方が親切ではないか。
しかし、城山はまだ話している途中だった。
「自分で考えずに聞きたいわけではなくて……むしろ、考えたんです。でも、考えれば考えるほど、どこで確認すればいいのか分からなくなって。こんな段階で聞いたら、準備不足だと思われるかなって」
その言葉に、秋山の胸が小さく鳴った。現世の会議室で、後藤悟が資料を抱えて立っていた姿が重なる。
後藤は、いつも丁寧に準備していた。質問すれば答えた。指摘すればすぐ直した。秋山は、だから問題ないと思っていた。
だが、後藤も本当は、もっと早い段階で迷いを話したかったのかもしれない。秋山が完成度の高い報告を求めるほど、後藤は未完成の不安を持って来られなくなっていたのかもしれない。
秋山は、城山に向き直った。
「今の話だと、分からないこと自体よりも、“この段階で聞いていいのか”が不安なんだな」
言い終えてから、秋山は自分の声の硬さに気づいた。確認しているつもりだったが、言い方だけを切り取れば、同期というより、部下の報告を受ける課長に近い。
少し言い直した方がよかったかもしれないと思いながらも、今の自分にはすぐに別の言葉が出てこなかった。
城山は、少しほっとしたようにうなずいた。
「はい。そこです。自分でも、何を聞きたいのかがまだちゃんと言葉になっていなくて」
秋山は、また答えを出したくなった。だが今度は、その衝動を机の下で握った拳に逃がした。
「じゃあ、まずは一緒に、何が不安なのかを並べてみるか。きれいに順番にしなくていい。出てきた順でいいから」
また少し、指示のように聞こえただろうか。秋山は一瞬だけ迷った。同期なら、もっと軽く「一緒に考えよう」と言えばいいのかもしれない。
だが、長年染みついた言い方は簡単には抜けない。それでも、今は命じるのではなく、横に座るつもりで言った言葉だった。
自分で言ってから、秋山は少し驚いた。いつもの自分なら、「まず論点を三つに分けよう」と言っていた。今の言い方は、どこか頼りない。だが、城山の表情はその方が少しだけ緩んだ。
城山は、ぽつぽつと話し始めた。資料の方向性が合っているか不安なこと。先輩の時間を取りすぎるのではないかという遠慮。地方の支社で見てきたやり方と本社の作法が違うのではないかという戸惑い。どれも一つだけなら小さな点だったが、串に刺されないまま皿の上に転がっていると、本人には大きなかたまりに見えるのだと、秋山は思った。
小林はホワイトボードに、城山の言葉をそのまま短く書いていった。まだ整理されていない言葉を、勝手に結論へ変えない。言い換えるときも、「こういう意味で合っていますか」と確認する。そのたびに城山は、自分の考えが少しずつ形を持っていくのを見ているようだった。
「相談は、完成品を納品してもらう場ではありません」
小林が静かに言った。
「もちろん、丸投げでいいという意味ではありません。でも、早めの相談には、まだ形になっていないものを一緒に形にする価値があります。聞く側が先に串を持ってしまうと、相手は自分の丸を出しにくくなるんです」
秋山は、だんご三兄弟の陽気なメロディとは別の景色を想像した。
皿の上に、不ぞろいな団子がいくつも転がっている。大きさも、形も、味も違う。それを見た瞬間に、自分は一本の串を持ち出して、きれいに並べようとしていたのかもしれない。
それは効率的だった。見栄えもよかった。けれど、串に刺した瞬間に、転がっていたときの迷いや、出てきた順番や、本人がなぜそこで立ち止まったのかは、見えにくくなる。
演習が終わるころ、城山は「最初に確認したいこと」が三つあると自分で言えるようになっていた。秋山が答えを教えたわけではない。秋山はただ、途中で何度か「それは、どのあたりが不安なんだ?」と聞き、城山の言葉を待っただけだった。
それだけなのに、相談は前に進んだ。
休憩時間、近藤が紙コップのコーヒーを持って秋山の隣に立った。
「秋山さん、さっき、途中でだいぶ我慢してましたね」
「分かったか」
口にした瞬間、秋山は内心で小さく苦笑した。
「分かったか」。たった五文字なのに、どうしてこうも上司の席から降りてこないのか。今は同期として返したいのに、長年使ってきた言葉の型だけが先に出てしまう。
「はい。顔が“今すぐ片づけたい課長”でした」
秋山は苦笑した。課長ではない。今は新卒だ。そう思うのに、その顔だけはなかなか辞令通りに変わってくれない。
「でも、途中から少し話しやすそうでした。城山くん」
近藤の言葉は、褒めているというより、観察結果をそのまま置いたような言い方だった。だからこそ、秋山には素直に届いた。
午後の演習後、秋山はノートに小さく書いた。相談される人とは、答えを持っている人のことではない。相手がまだ答えにならない言葉を探している時間を、急がせない人のことだ。
現世の自分はどうだっただろう。後藤が「少し相談したいことがありまして」と言った瞬間、秋山は時計を見ていなかったか。資料の不足を指摘する準備を、相手が一つ目の言葉を言い終える前に始めていなかったか。「で、結論は?」という便利な言葉で、まだ結論になっていないものを押し戻していなかったか。
秋山は、ノートの端に一本の串を描きかけて、やめた。代わりに、皿のような丸を描き、その上に不ぞろいな小さな丸をいくつか置いた。
きれいに並べるのは、もう少し後でいい。
相談とは、相手を自分の串に刺して並べることではなく、まだ形にならない言葉が転がり出てくるまで、同じ皿の前で待つことなのかもしれない。
秋山は、答えを出したくなる自分の指先を、机の上でそっと止めた。




