第16章 AIを使う同期 相原――ポケモン図鑑より賢い相棒
紙の資料をめぐる騒動が落ち着いた翌日、秋山昭人は、またしても自分の常識が揺さぶられる場面に出くわした。
きっかけは、研修で出された簡単な企画演習だった。
テーマは「若手社員向けに、情報管理の基本を分かりやすく伝えるミニ教材を作ること」。
各自が三十分でたたき台を作り、その後グループで改善するという流れである。
秋山は、こういう課題なら得意だと思った。
情報管理。研修資料。たたき台。どれも課長時代に何度も扱ってきた。現世では部下に指示を出し、最終的には自分で赤字を入れ、完成形に近づけてきた分野だ。
秋山はすぐにノートを開き、見出しを書いた。
情報管理とは何か。なぜ重要か。守るべきルール。違反した場合の影響。最後に確認テスト。構成は悪くない。むしろ、研修資料としては王道である。昭和の学級会から平成の社内研修まで、こういう形はだいたい外さない。
だが、隣の席の相原愛奈は、秋山とはまったく違う動きをしていた。
ノートを開くでもなく、まず生成AIの利用ルールを確認し、会社情報や機密情報を入れないよう注意しながら、一般的な教材構成の案を作らせている。
画面には、数十秒で見出し案、対象者別の説明、理解確認クイズ、注意喚起の例文が並んだ。
秋山は、思わず手を止めた。
「もうできたのか」
相原は画面から目を離さずに答えた。
「できたというより、材料を出してもらっただけです。ここから自分で選んで、直して、研修として使える形にします」
秋山は眉をひそめた。
材料を出してもらっただけ。そう言われても、目の前にはすでに資料らしきものがある。自分がノートに構成を書いている間に、相原の画面には見出しも本文案もクイズも並んでいる。
これでは、まるで試験中に隣の席だけポケモン図鑑を開いているようなものではないか。
「それは、ちょっとズルくないか」
秋山の言葉に、近藤千翔が小さく笑った。
「秋山さん、ズルっていう反応、ちょっと分かります。でも、電卓が出てきたときも、最初はそう思った人いたんじゃないですか」
「電卓と一緒にするな。これは文章まで作っているだろう」
秋山は少しむきになった。
電卓は計算を早くする道具だ。ワープロも、清書を楽にする道具だった。
だが、生成AIは、考えるところまで踏み込んでいるように見える。かつて家庭用ゲームで攻略本を見ながら進める友人に、「それでクリアして楽しいのか」と言いたくなった感覚に近かった。
相原は、秋山の反応を責めずに、画面を少しこちらへ向けた。
「私も、これをそのまま出すつもりはありません。むしろ、このままだと一般論すぎます。対象者がどこでつまずくか、会社のルールに合っているか、言い方が押しつけになっていないかは、人が見ないと分かりません」
「じゃあ、何のために使うんだ」
「最初の白紙をなくすためです」
その言葉に、秋山は少し黙った。
白紙をなくす。たしかに、資料作成で一番重いのは、最初の一行を書く瞬間だ。何から始めるか、どんな構成にするか、どこまで書けばよいか。その入口で手が止まることは、秋山にも覚えがあった。
課長時代、自分は部下に「まずたたき台を持ってきて」と言っていた。
だが、部下にとっては、そのたたき台を作ること自体が一番難しかったのかもしれない。
小林美咲が、二人の会話を聞きながら近づいてきた。
「秋山さん、生成AIは、答えを丸ごともらう道具というより、考え始めるための相棒として使うと分かりやすいかもしれません」
「相棒、ですか」
「はい。たとえば、地図アプリみたいに、目的地までの候補ルートをいくつか出してくれる道具だと考えると分かりやすいです。ただし、表示されたルートが、今の状況に必ず合っているとは限りませんよね。混雑しているか、雨が降っているか、途中で寄る場所があるか。どのルートを選ぶか、途中で変えるかは、使う人が判断します」
秋山は、思わず自分が初めてスマホの地図アプリを使ったときのことを思い出した。
紙の道路地図を助手席に置き、道路番号と交差点名を見ながら走っていた頃とは違い、今は画面が勝手に最短ルートを示してくれる。
だが、画面がそう言うからといって、狭すぎる道や、工事で混んでいる道までそのまま進むわけにはいかない。道具があっても、最後にハンドルを握るのは自分だった。
相原は、AIが出した教材案の一部を指さした。
「たとえば、ここに『会社の情報は外に出してはいけません』とあります。間違ってはいないです。でも、これだけだと抽象的です。新入社員には、どんな場面でうっかり外に出るのかが見えにくい。だから、私なら『外部アプリに資料を貼り付ける』『個人のクラウドに保存する』『カフェで画面を開いたまま席を立つ』みたいな具体例に変えます」
秋山は、相原の画面を見つめた。
たしかに、AIの案は整っているが、どこか教科書的だ。きれいだが、現場の匂いがない。危なさや面倒くささや、実際に新人がやりそうな失敗までは、こちらが補わなければならない。
「なるほどな。料理で言えば、下ごしらえまではしてくれるが、味付けと火加減は人間が見るということか」
「その例え、ちょっと昭和の料理番組感ありますけど、近いです」
近藤が笑いながら言った。秋山は少しだけむっとしたが、否定はしなかった。たしかに、自分でもそう思ったからだ。
演習が進むにつれ、秋山は相原の使い方を観察した。
相原は、AIの出力をそのまま信じていない。気になる表現には線を引き、会社のルールに関わるところは社内資料で確認し、曖昧な箇所は小林に質問している。むしろ、秋山が思っていたよりも慎重だった。
「AIに聞いたから大丈夫、ではないんだな」
秋山がそう言うと、相原はすぐにうなずいた。
「むしろ、そこが一番危ないです。AIはそれらしく間違えることがあります。だから、事実確認、社内ルールの確認、機密情報を入れないこと、最終判断を人が持つことは絶対に必要です」
秋山は、その言葉に少し安心した。
相原が魔法の道具で楽をしているわけではない。むしろ、道具の強さと危うさを理解したうえで、慎重に使っている。
昔、ワープロが出てきたとき、手書きの字には味があると言っていた先輩がいた。
表計算ソフトが広まったとき、電卓で検算しないと信用できないと言う人もいた。
だが、今や誰もそれらをズルとは言わない。道具は、使い方が定まるまで少し怖いだけなのかもしれない。
小林は、グループ全体に向かって言った。
「生成AIを使うときは、三つ意識してください。一つ目は、入れてよい情報かどうか。二つ目は、出てきた内容を確認すること。三つ目は、自分の考えを放棄しないことです。効率化は大事ですが、責任までツールに預けることはできません」
秋山は、その三つをメモした。
入れてよい情報。内容確認。責任は人間。シンプルだが、重い。自分がこれまで嫌っていたのは、AIそのものではなく、「楽をしているように見えること」だったのかもしれない。
だが、楽をすることと、手を抜くことは同じではない。余計な時間を減らし、本当に考えるべき部分に時間を使う。相原は、それを自然にやっているだけだった。
演習の最後に、各自のたたき台を見せ合うことになった。
秋山の案は、構成がしっかりしていた。情報管理の重要性、ルール、違反事例、確認テストまで、研修資料として必要な要素はそろっている。
ただ、少し硬い。見出しも本文も、どこか社内規程の解説に近かった。
相原の案は、逆に入り口がやわらかかった。
「そのスクショ、本当に送って大丈夫?」「無料アプリに貼る前に一呼吸」「便利すぎる道具ほど、会社情報との距離感が大事」。
若手が読み始めやすい言葉が並んでいる。ただし、細部の正確さは秋山の方が強かった。
近藤が二つの案を見比べて言った。
「秋山さんの案は骨がしっかりしていて、相原さんの案は入り口が入りやすいです。合体したら強そうです」
「合体、か。昔のロボットアニメみたいだな」
「そこに反応するのが秋山さんですね」
井上が笑った。
だが、秋山は少しうれしかった。
自分の案が古いだけではなく、骨として使えると言われたからだ。
相原のAI活用も、秋山の経験も、どちらか一方が正解ではない。たたき台を早く作る力と、内容を見極める力。入口を軽くする力と、芯を通す力。組み合わせれば、資料はもっとよくなる。
秋山は、自分の案を相原に見せながら言った。
「この硬い部分を、相原さんの言い方に少し寄せてもらえますか。ただし、ルールの表現は変えすぎないようにしたいです」
相原は少し驚いたように秋山を見た。
「もちろんです。秋山さんの構成、使いやすいです。私は入り口の言葉を少し整えます」
そのやり取りを見て、小林は小さくうなずいた。
秋山が、道具を使う相手をただ否定しなかった。相原も、秋山の経験を古いものとして片づけなかった。そこには、世代の違いをぶつけ合うのではなく、持っている強みを持ち寄る空気が生まれつつあった。
研修が終わった後、秋山は自分のメモにこう書いた。
AIは、考えなくてよくなる道具ではない。考え始めるための道具であり、考え続けるための相棒である。
秋山は、まだ完全に生成AIを信用したわけではなかった。
地図アプリのように便利な相棒に見える一方で、時々それらしく遠回りを示す、少し油断ならない相棒でもある。
けれど、相棒というものは、そもそも任せきりにするものではない。一緒に進み、こちらが判断し、必要なときには止める。
そう考えると、少しだけ付き合い方が見えてきた。
帰り際、相原が秋山に声をかけた。
「秋山さん、もしよければ次回、プロンプトの作り方も一緒に見ますか」
秋山は一瞬、聞き慣れない横文字に身構えた。
プロンプト。呪文のようにも、ゲームのコマンドのようにも聞こえる。昔なら「裏コマンドか」と笑って済ませただろう。だが、今回は少し違った。
「お願いします。ただし、会社の情報を入れていいかどうかは、ちゃんと確認しながらで」
相原は、少しだけ笑った。
「そこを最初に言えるなら、かなり令和です」
秋山は苦笑しながら、ノートを閉じた。
ズルだと思った道具は、使い方を誤れば危うい。だが、正しく使えば、白紙の前で立ち止まる人を支え、考える時間を増やし、チームの知恵を引き出す力にもなる。
昭和の根性、平成の経験、令和の道具。
その三つをどう組み合わせるかが、これからの仕事なのかもしれない。




