第14章 Teamsという異文化――携帯メールから既読リアクションへ
秋山昭人にとって、Teamsはまだ少し落ち着かない場所だった。
電話に出ない同期たちにも少しずつ慣れてきた。急ぎではない用件は、まずチャットで要点を書く。必要なら、相手に時間をもらって短く通話する。そこまでは理解したつもりだった。
だが、チャットそのものの世界には、まだ秋山の知らない作法が山ほどあった。
その日、小林美咲から新入社員チームのチャネルに、研修資料の確認依頼が投稿された。
「各自、担当箇所を確認し、気づいた点があればこのスレッドに返信してください。確認のみの場合は、リアクションで大丈夫です」
秋山は、その一文の前で手を止めた。
確認のみの場合は、リアクションで大丈夫。
リアクション。つまり、親指のマークやチェックのような絵で済ませるということだろう。
秋山の感覚では、確認したなら文章で返すものだった。
少なくとも、「承知しました。内容確認いたしました。担当箇所を確認のうえ、必要に応じて追記いたします。」くらいは書く。携帯メールの時代から、連絡には言葉で返すのが礼儀だと思ってきた。
秋山はすぐに返信欄を開き、丁寧に文章を打ち始めた。
「小林さん、ご連絡ありがとうございます。研修資料の確認依頼について、内容を確認いたしました。私の担当箇所につきましては、本日中に確認し、気づいた点があれば本スレッドにてご共有いたします。何卒よろしくお願いいたします。」
送信した瞬間、近藤千翔からチェックのリアクションがついた。相原愛奈も親指のリアクションだけを返した。井上陽斗は目のマークのようなリアクションをつけ、早川翔太は何も書かずに確認済みのチェックだけを押した。
秋山は画面を見つめた。読んだのか。分かったのか。了承したのか。目のマークは、いったい何を意味しているのか。既読なのに、返事がない。いや、リアクションは返事なのか。返事なら、なぜ言葉ではないのか。
数分後、秋山は自分の投稿にさらに追記した。
「なお、私の理解では、確認のみの場合も一言返信した方が確実かと存じますが、皆さんの運用についても確認させてください。」
その直後、近藤が返信した。
「秋山さん、確認だけならリアクションで大丈夫だと思います。全員が文章で返すと、スレッドが長くなって、必要な情報が埋もれちゃうので」
秋山は、少し傷ついたような気持ちになった。
丁寧に返しただけなのに、情報を埋もれさせると言われる。メールなら、丁寧な返信はむしろ評価されたはずだ。短すぎる返信は失礼に見えると教わってきた。
そこへ相原が、短く補足した。
「確認しました、だけならリアクション。判断や修正が必要なら返信。誰かに見てほしいならメンション。話題が変わるなら別スレッド、という感じです」
メンション。スレッド。リアクション。
秋山の頭の中に、また新しい横文字が並んだ。携帯メールなら、宛名を書き、本文を書き、最後に名前を入れればよかった。だが、Teamsでは、同じ画面の中で、短い合図、個別の呼びかけ、話題ごとの枝分かれが同時に動いている。
秋山は画面を見ながら、思わずつぶやいた。
「これは、携帯メールとは別の生き物だな」
ちょうど通りかかった小林美咲が、その独り言を聞いて笑った。
「別の生き物、という感覚は近いかもしれません。メールは手紙に近くて、チャットは会話に近いです。ただし、雑談そのものではなく、仕事の記録にもなる会話です」
「会話なのに、記録でもある」
「はい。だから、短くていいけれど、雑でいいわけではありません。誰に向けた話か、急ぎなのか、何をしてほしいのかが分かるように書く必要があります」
小林は、秋山の長い返信を指して言った。
「秋山さんの返信は丁寧です。ただ、全員が確認すればよい投稿に対しては少し重いかもしれません。読む人が、何か対応しなければいけないのかな、と感じることがあります」
「重い……」
秋山は、また新しい言葉を胸に受け止めた。声が大きいだけが圧ではない。文章が長いこと、丁寧すぎること、全員に見える場所で必要以上に説明することも、ときには圧になる。自分では礼儀のつもりでも、相手には作業の追加に見えることがある。
その後、資料確認で実際に修正が必要な箇所が出た。秋山は、今度は短く書くことを意識した。
「@近藤さん 確認シート二行目、前回資料と表現が違うかもしれません。急ぎではありませんが、今日中に見てもらえますか」
送信してから、秋山は少しだけ不安になった。短すぎないか。失礼ではないか。宛名に「様」を付けなくてよかったのか。だが、近藤からはすぐに返信が来た。
「見ます。今日中に直します」
その下に、近藤のチェックのリアクションがついた。相原がさらに「表記揺れなので、用語集も見た方がよさそうです」と返信した。
秋山は、その流れを見て少し驚いた。短いから伝わらないのではなく、短いから次の人が乗りやすいこともある。
ただし、早川が別の話題を同じスレッドに書き込んだ瞬間、相原がすぐに反応した。
「それは別件なので、新しくスレッド立てた方が見やすいです」
秋山は、心の中でそっとメモをした。
話題を混ぜない。
誰に頼んでいるか分かるようにする。急ぎかどうかを書く。確認だけならリアクションでよい。修正や判断が必要なら返信する。雑談に見えて、意外と細かい交通整理がある。
そこで、井上がふざけて、秋山の長文返信に拍手のスタンプをつけた。
「秋山さんの文章、社内報の巻頭挨拶みたいでした」
「巻頭挨拶って何だ。そんなに長かったか」
「長いというより、格式がありました。チャットで急に式典が始まった感じです」
会議室に笑いが起き、秋山も苦笑した。
たしかに、自分の文面だけ、チャットの流れから少し浮いていた。メールの丁寧さを、そのままチャットに持ち込むと、相手にとっては読み解く手間になる。
丁寧さは大切だが、場所に合った丁寧さがある。
研修の終わりに、小林は新入社員たちへ短くまとめた。
「チャットは、軽く使える道具です。でも、軽い道具だからこそ、相手に何をしてほしいのかをはっきりさせる必要があります。確認だけならリアクション、依頼ならメンション、判断が必要なら理由と期限を書く。これだけで、相手の負担はかなり減ります」
秋山は、手元のメモに書き込んだ。
チャットは短く。だが、雑にしない。誰に、何を、いつまでに。
それは、昔の秋山にとっては少し味気ない連絡に見えた。
だが、考えてみれば、必要な情報がすぐ見えることは、相手への配慮でもある。長く丁寧に書くことだけが、礼儀ではない。短く、分かりやすく、相手が次に動けるように書くことも、令和の職場では大事な礼儀なのだ。
席に戻った秋山は、小林の投稿に、初めて文章ではなくチェックのリアクションだけをつけた。指先が少しだけ迷ったが、押してみると、思ったよりもあっけなかった。
小林がそれに気づき、秋山の方を見て小さくうなずいた。秋山は、何か返したくなった。
「ありがとうございます」「承知しました」「今後ともよろしくお願いいたします」。
おなじみの言葉が頭に浮かんだが、今回は送らなかった。
チェック一つで済む場面もある。言葉を尽くすべき場面もある。その見極めが、チャットの作法なのだろう。
携帯メールから既読リアクションへ。
秋山は、また一つ、令和の職場の異文化に足を踏み入れた気がした。




