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おかげ様でめでたい色らしい

 あの日から一週間後。全てが焼き尽くされた灰まみれの集落で防護服を着た俺は、野蒜の後に続いて、瓦礫の山に足を踏み入れた。


 視界がゴーグルでぼやけている。耳元ではフィルターを通した自分の息の音だけが、ゴーゴーと響いていた。周りの音が何も聞こえないせいで、余計に密葉の手紙が頭の中でチラつく。


 職員室の野蒜の机に放り出されていた奴の適当な退学届に、今日この場所へ来いという指示が書き殴られていたらしい。香水の匂いが染みついたルーズリーフの切れ端に、俺宛の手紙もついていた。


────────────────


 光恩の家の可哀想な少年って、君やろ。

 君の地獄を、僕が全部奪ったるわ。

 奪わせていただき、おかげさま。

 一足先に還らせていただき、おかげさま。


────────────────


 手紙の主の密葉とは一度も話したことがない。古江を盲信するようなヤバい目をした、関西弁を話す奴くらいの認識しかなかった。それなのに、文字を追うだけで奴の喋り方が勝手に頭の中で鳴る。どうにも居心地が悪い。


 クソみたいな「おかげさま」の使い方をする奴だ。施設にいた頃、その言葉を耳にタコができるほど聞かされてきた。自分を押し殺して誰かの部品として陰に入るための、薄ら寒い感謝の言葉。


 奴はその言葉を、心中を建前にした教団への報復に使った。後処理に駆り出される奴らの都合は一切考えずに。俺は手紙の内容を野蒜と共有しちまったせいで、今ここにいる。


 聖堂に入ると、炭化した巨大なラフレシアの花弁が剥製のように折り重なっていた。


古江 志新(ふるえ しあら)、生きてるな」


 野蒜が声をかけると、炭化した五枚の肉厚な花弁が微かに揺れた。その中央に、原型を留めていない密葉の亡骸に守られるようにして、古江がうずくまっている。


「なんで……? 密葉くんと退学届、出したのに」


「あんな体裁もへったくれもないのを受理できるか。……ったく、これ密葉だろ。満足そうなツラして死にやがって」


 野蒜は欠けた右肩を軽く揺らし、俺を見た。


「樫、悪いが古江を運んでくれ。俺はあいにくこの通り、腕が一本足りねえ」


「え、樫くん? なんで、君が……。先生、苗床に今の僕を運ばせるなんて、正気ですか」


 狼狽する古江の言葉と裏腹に、指先から伸びる糸が蠢いているのがわかる。


「構わねぇよ。俺、頑丈だから」


「頑丈って、そういう問題じゃ……」


「退学届の余白に、書き置きを残してたのを先生が見つけた。密葉の手紙で俺が指名されたから、ここにいるだけだ。ロクに話したこともないがな」


 古江の身体を、無造作に抱え上げた。奴の蔦が俺の腕に絡みつき、防護服の生地を裂こうと食い込んでくる。その程度の抵抗は俺にとって、どうということもなかった。


「密葉にとって、俺は見届け役なんだろうな。この場所に近い、クソみたいな場の空気を知っている。奴は、お前を道連れにするフリをして、結局、先公にお前の後始末を託しやがったんだ」


「そうだ。みんな、僕が……」


 古江が周囲を指差した。視線の先には、教団の信徒たちが転がっている。どいつもこいつも、喉から焦げついた赤の花弁を覗かせて動かない。


「……恨むか? 密葉を」


 野蒜が問いかける。古江は俺の腕に抱えられたまま、動かなくなった密葉をじっと見つめていた。


「感情が、ぐちゃぐちゃなんだ。酷いやつだよ。僕が一番嫌がっていたことを、僕の手でやらせて……。僕、この人たちのことを何も知らないのに」


 野蒜は、俺の腕の中で暴れる蔦を眺めながら、ぽつりと呟いた。


「こいつらは、神樹とやらの苗床になるのが夢だったんだとよ。見上げた信仰心だな。密葉はお前を使って、親父に中指を立てたつもりんだろう」


「でも、和良くんに必要とされて嬉しかったのも本当なんだ。怪物として、道具としてでもいい。誰かの理由になれたのは、初めてだったから……」


 野蒜は、古江の頭を、大きな手で乱暴に撫で回した。


「まあ、多少の品種違いだったろうが、いいんじゃねえか。咲き方からしてお前だって、満更じゃなかっただろ。こうなっちまったら、もうこいつらには『腐葉土』としてセカンドライフを満喫してもらう他ない」


「……腐葉土って。亡くなった人達に、その言い草は流石に」


「ああ。天に届く神樹様にはなれずとも、お前という大輪の花を育てる土になれた。これ以上ない貢献だろ。……死んだ連中の理想なんざ、残された側が勝手に解釈してやりゃいいんだよ」


 一教師のものとは思えない乱暴な言葉は、古江の罪悪感を鮮やかに解体したらしい。


「先生も、大きな花が咲いちゃうよ」


「馬鹿いえ、種は違うが俺も寄生種だぞ。それ以前にお前達の教師だ。生徒の毒で死ぬほど、ヤワな教育は受けてない」


 野蒜は鼻で笑い、俺に顎で合図を送った。


「行くぞ。手続きの不備をたっぷり説教してやる。お前を不適合者として終わらせてやるほど、俺は物分かりのいい奴じゃないからな」


「和良くんも連れて帰る。この骨の一欠片なら、許して貰えるかな。どうして密葉くんがこんなことをしたのか……向き合いたい。この痛みが消えるまで、ずっと」


 古江は、半ば祈るようにして骨の欠片を強く握りしめていた。


「お前の好きにしろ。なにしろ、持ち出し許可を取らなきゃいけない密葉の親御さんがあのザマだ」


 野蒜は背を向け、移送車のハッチを開いた。


「いずれにせよここは、数年は禁足地になる。今連れ帰らなければ、平等に土に還るだけだ」


 俺も、古江を抱えたまま歩き出す。


「樫くん、重くない?」


「これくらい重くねぇよ。力使い果たしてるから、暫くは大丈夫だろって先生が言ってた。ついでに密葉も全部持っていくか?あれだけ焼けてりゃ、寄生とやらも平気だろ」


「ううん、大丈夫。僕がずっと持てる、この大きさにする」


 古江は、灰にまみれた密葉の亡骸の残りに最後の一瞥をくれた。自分を巻き込んで教団を村の全てを壊した、最悪でどうしようもなく、人間くさいやつを。


 俺は古江を抱え直し、灰の舞う聖堂を出た。防護服のせいで外の匂いは何もしない。ただフィルターを通した、ゴムみたいな味のする空気を吸い込むだけだ。


 移送車のハッチが閉まって、村が見えなくなる。ラフレシアが焼け焦げた残骸も、信徒どもの骨もそのうち風に削られて、ただの土に還るんだろう。


 除染室の重い扉が開く。喉がイガイガするような薬の匂いと、防護服についた肉の焦げた臭いがシャワーの勢いに負けて、足元の穴へ流れていく。重い防護服を脱ぐと、俺の体は、いつものようにただ空っぽだった。


 ◇


 部屋に戻ると、靭はいつものように窓際で柔らかな光を背負って座っていた。

 俺が近づく気配を察して、あいつは顔を上げる。その瞳には何も映っていないはずなのに、すべてを見透かされているような錯覚に陥る。


「おかえり、樫くん。……なんだか、すごく静かだね」


「ああ。少し、遠くまで行ってきた」


 俺は、靭の前に座る。密葉が死んだこと。古江が教団の信徒を腐葉土に変えたこと。集落で見た、肉厚なラフレシアの残骸。


 すべてを言葉にする代わりに、俺は靭の両手を取り、指点字をした。靭から教えてもらったものだ。密葉の書置きの最後の一行を思い出して、苦笑いする。


────────────────


 せいぜい、その真っ白な点字で、

 清澄クンにホラでもついといてや。


────────────────


 あいつは俺が清澄に何を隠して、どんなツラで隣に立っているか、全部わかっていやがったんだ。


「今日も、新しい色を練習してきた」


 静かな部屋に、トントン、と指先が靭の肌を叩く小さな音だけが響く。


 ラ フ レ シ ア(⠑ ⠭ ⠛ ⠳ ⠁)


指先が靭の肌の上で小さくおどる。


「大きな花の名前だよね。これは、何色?」


「赤だ。喉の奥にこびりついて、二度と取れないような、熱くて重い赤だ」


 俺の声は、自分でも驚くほど冷淡だった。靭は今、まっさらなまま受け取っている。


 俺はもう一つの言葉を打った。

 これが俺にできる、精一杯のホラだ。


 み つ ば(⠷ ⠝ ⠐⠥)


 右手の指を全部使って、アイツの名前を叩く。右の中指で一回だけ。一呼吸置いて、濁点を打ってから「ば」へ繋ぐ。


 ほ ね(⠮ ⠏)


 あれだけ勝手なことをやらかしたやつの命が、たったこれだけの乾いた音に変わっちまう。靭の息が止まる。みつばという名前に、彼はわずかに小首をかしげた。


「密葉君。教室でたまに聞こえる、関西の方言で話す人?柑橘みたいな匂いがする」


「ああ。そいつが、お前にこれを渡してくれってさ」


 俺はポケットから、志新が握りしめていた骨の欠片の一部を、靭にとってはただの固形物を取り出し、清澄の手に握らせた。


「これは、何色なの?」


「白だ。……何もしゃべらなくなって、香水の匂いも消えて、ただそこに転がっているだけの、冷たい白だ」


 靭の指先にあるのは、ただの言葉と石灰の塊だ。そこに込められた怨嗟も、俺が知る由もない奴の感情も、防護服みたいに厚い嘘の中に閉じ込めておく。


「赤と白が合わさると、めでたいらしいぞ。めでたいんだ……あいつは、満足して先に還ったからな」


「めでたい色って言う割に、樫君の指は、ずっと泣きそうな打ち方をしてたよ。


 靭の両手が、今度は俺の手の甲に触れる。


「樫くんはウソつきだ……古江君と密葉君の二人が、最近ずっと欠席してた理由がやっとわかった」

 

 あいつは何も言わなかった。ただ、俺がするよりもずっと速く、流れるような動きで俺の手のひらを叩く。


 ⢡⠊⡋⠠⡶⡷⣼⠖⣇⡊⣢⡂⠆⠠⡶


 正直、あいつが何を言ったのか読み取れない。靭はそれを口に出して教えることはしない。


「いきなり、なんだよ」


 狼狽えて手を引こうとしたけれど、靭の指は離れなかった。

 

「熱くて重い赤も、冷たい白も……樫くん、本当は一人で持っているのが、すごく痛いんでしょ?」


 喉の奥が、ぎゅっとせり上がる。

 密葉の骨を握らせた俺の手は、いつの間にか自分で自覚するほどにひどく震えていた。厚い嘘の中に閉じ込めたつもりだったものが、靭の指にすべて読み取られていく。


「うるさい。お前に何がわかる」


 靭は何も言わずに、ただ俺の頭を撫で続ける。その手の温かさが、嘘をつき通すことを許してくれない。


「何もわからないよ。だから、樫くんが話すか寝ちゃうまで、撫でるのやめてあげない」


「そうかよ」


 突き放そうとしたけれど、声は情けないほど掠れていた。真っ赤な花も、白い骨も、ただの静かな色に変わっていくような気がした。

靭が深蔭に打った指点字の対訳です


⢡⠊⡋⠠⡶⡷⣼⠖⣇⡊⣢⡂⠆⠠⡶

一人で抱え込まないで

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