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色を知らぬウツボは陽だまりを食べる

 面談室は、重苦しい沈黙と薬品の苦い匂いに包まれていた。こっちの都合も知らない大人たちの期待が狭い室内に充満していて、正直息が詰まる。


 隣には担任の野蒜が、置物みたいに黙って座ってる。その横で、白衣を着た研究員が熱心に説明を続けていた。目の前の資料には、これから俺の体に寄生する予定の清澄 靭(きよすみ うつぼ)の名前。


「彼が開花するためには、条件があるんです。地中深く……つまり苗床になる樫くんの体内に、根が定着しなければならない」


 研究員がスライドをカチカチ動かしながらシミュレーションを見せる。植物の根っこの概念が、人体モデルを内側から食い破って無理やり花で埋めつくしていた。慈愛だの共生だの言っていたが、そんなキレイなもんじゃない。乗っ取りに近い光景だ。


「本気でこれ、やろうとした奴いたのかよ」


「これまでに何人もいらっしゃいましたよ。皆さん失敗しましたが」


 研究員の声は、どことなくそいつらを見下してるような響きがあった。自分の内側、それこそ心臓まで他人に明け渡すなんて、普通に考えておかしい。歴代の苗床たちは、怖くなって発狂してやめるか、無理にやって体がボロボロになって死んだらしい。


「私たちは、絶滅危惧種の清澄靭を傷つけたくないんです。彼だって一人の少年ですから。少しでもメンタルが不安定な苗床は、リスクを考えてすぐに剪定してきました」


 こいつらの言う人権とやらに、俺らみたいな苗床の分は含まれてないらしい。研究員は顔を上げ、品定めするみたいに俺を見た。


「だが、君は違う」


 選ばれた理由は、俺がすごいからでも特別だからでもない。過去の資料を見て、俺の頑丈な体が、こいつらには都合のいい土に見えたんだろう。


 中身が空っぽで、得体のしれない何かが入り込んできても今さら動かない。いなくなっても誰も困らない、泥みたいな器。


「君なら彼を正しく飲み干せる」


 便利な道具を褒めてるみたいに聞こえた。俺は返事もせず、自分の手のひらをぼんやりと見つめていた。


 適正だか適合だか知らねぇが、てめぇらの勝手でレッテルを貼るのが大人の仕事らしい。研究所の野郎も、取調室にいた刑事と同じ目をしていた。


 案内された部屋に座っていた、清澄靭の現物は、驚くほど細くて透き通っていた。研究所という温室の中で、大事に大事に育てられた絶滅危惧種。


 そいつの肌には、外で太陽を浴びてる人間らしい色が全然ない。図鑑で見た寄生植物みたいに不自然なくらい白くて、この世の人間じゃないみたいな、今にも消えそうな儚さを纏ってた。


 研究員から淡々と引き継ぎをされ、俺が靭の身の回りの世話をすることになった。まずは着替えだ。視力がないという靭の体に触れるたび、俺は自分の手がひどく場違いな気がして仕方がなかった。


 誰かを殴ったり、叩いたりして生き延びてきた拳が今、壊れ物みたいなやつのシャツのボタンを一つひとつ留めてる。


 この手は、本当ならこいつみたいな存在を壊す側の手だと自覚するたびに、変な罪悪感で指先がうまく動かなくなる。


「僕の名前、変でしょ」


 靭が急に話しかけてきた。ピントの合わない目が、音のする方をさぐるみたいに、かすかに揺れる。


「僕の世話をしてくれた先生は、(すが)先生っていうんだけど、僕に一番好きな魚の名前をつけたんだって。そしたら、咲く予定の花も同じキヨスミウツボって名前で。すごく驚いてたんだ」


「魚かよ。適当な名前つけられたんだな、お前」


 ぶっきらぼうに返すと、靭は嬉しそうに笑っていた。


「先生、コーヒーカップもウツボの絵で、ネクタイもウツボ柄なんだって。どんな色なんだろう」


「ウツボなんて、見たことねーな」


「樫くんにも知らないものがあるんだね。良かった」


「あ? どういう意味だ」


「研究員の先生たちは、みんな物知りだから。僕の知らないを一緒に楽しめなかったんだ。樫くんとは一緒に探せそう」


 あいつの横顔を眺めながら、俺の胸の中は言いようのない苛立ちと困惑でぐちゃぐちゃになっていた。


(こいつ、自分一人じゃ息をすることすらままならないのか?)


 俺が今まで信じてきたのは、自力で這い上がって、誰にも頼らず生き抜く意地だ。他人に生殺与奪の権利を握らせるなんて、死ぬのと変わらない。


 なのに目の前のこいつは、純粋な依存を当たり前みたいに俺に預けてくる。疑うことも抵抗もせず、ただ俺という土に根を下ろそうとしていた。


 ◇


 食事の時間は、俺たちの変な関係が一番はっきりと形に現れた。靭のために、俺は慣れない手つきでスプーンを動かして、皿のどこに何があるかを教える。


「二時の方向に、カボチャのポタージュ……ええと、カボチャだ。黄色い。陽だまりみたいな、明るい色だ。四時の方向には、焼いた白身魚。こっちは、あんたの肌みたいに真っ白だ」


 説明するたびに、靭は喉を鳴らして喜んで、俺が言った色の言葉を確かめるみたいにゆっくり食べる。その様子をぼんやり見てたら、胸の奥が、ふっと軽くなるような感覚があった。


(ああ、こいつに教えるの、悪くないかもな)


 そう思った瞬間、心臓をぎゅっと掴まれたみたいになった。


(俺、今……エサの分際で、こいつにエサをやる時間を楽しんだのか?)


 苗床として食われるのを待つだけの身のくせに、こいつと楽しく過ごそうなんて。あまりのバカらしさに、胃の奥から何かがせり上がってくる。


「ひまわり? どんな手触りかな。種がボコボコたくさんあって、大きいんだよね。樫くんの声は、少しザラついてて、でも温かい。それが黄色……?」


 忘れていた。こいつには色の概念自体がない。俺が当たり前だと思ってる世界の見え方を、この白くて透き通った奴と共有するなんて、最初から無理なんだ。


 一瞬でも楽しいなんて思った自分が恥ずかしくなる。もどかしさは焦りに変わっていた。生徒会の連中みたいに、もっとスラスラ言葉が出てくればよかったのに。ここに来た初日、職員が言ってた言葉を思い出す。


 ――知性が高ければ、共鳴率が上がる。


 今の俺は、目の前のこいつに色が何なのかさえ伝えられない。まともな言葉も知らない欠陥品だ。


 九九の2の段すら怪しい、五代のことを笑えねえな。俺は、こいつに届く言葉なんて一つも持ってない。自分にムカついて、ため息が出た。


「研究所では大人の先生としか話さなかったから。樫くんみたいに、同じ年の子と話せるの、すごく嬉しい。説明してくれて、ありがとう」


 靭は、俺が葛藤してるなんてこれっぽっちも知らないで、無邪気に笑った。寄生種なんて、隙を見せれば喉元を食い破るような化け物だと思ってた。塀の中の掃き溜めで見てきた俺の同類どもの方が、よほど牙を剥き出しにしてた。


 でも、この白い部屋で俺に向けられるのは、ただのダチを求めるような、幼い信頼だ。その真っすぐな感謝の言葉が、荒みきった俺の心にどんな暴力よりも深く突き刺さる得物みたいに思えた。


 消灯時間が過ぎて、白い部屋が深い群青色に沈んでいく。ベッドで衣擦れの音がして、気配がすぐ近くまで寄ってくる。迷いながら伸ばされた靭の指先が、俺の胸元を探り当ててる。あいつは、そっと耳を寄せてきた。


「樫くんの鼓動、力強いね。生きてるって感じがする」


 薄い皮膚の向こう側から、俺の命を盗み聞きしてるみたいな仕草。


「そうか。お前の苗床になるやつの心臓の音だ。弱らねえように見張っておけ」


「うん……」


 短く答える靭の吐息が、シャツを抜けて肌に届く。その瞬間、自分の中にある俺という輪郭が、少しだけグラついた気がした。


 開花まではまだ時間があると研究員も言ってたし、体に変化なんて起きてないはずだ。それなのに、こいつに必要とされている感覚そのものが、俺という土をじわじわ湿らせ、変えていく。


 誰かに、それもこんなに真っさらな奴に頼られるだけで、自分が削り取られるみたいな感覚になるなんて知らなかった。


 静まり返った中で、靭が震える声で呟く。


「樫くん。僕が君の中に入ったら、君もいなくなっちゃうのかな。こわいんだ」


 薄々気づいてるんだろう。こいつ自身が、これまでの苗床どもを内側から食い破って壊してきたことを。俺の口は勝手に嘘を吐いていた。


「平気だ、俺は他の奴より頑丈だから。刺されても死ねなかったしな。リンチに比べりゃ、清澄の根っこ一本くらい、どうってことねえよ」


 根拠なんてどこにもない。それでも、俺は自分に言い聞かせるように言葉を重ねる。


「俺はただの土だ。中身なんて最初からないから安心しろ。学もねえ。だから、お前が全部入ってきたって……構わない」


 自分でも、なんでこんな恥ずかしいセリフを吐いてるのか分からなかった。ただ、この震えを止めてやりたい。それだけだった。


「じゃあ、樫くんのいい匂いは、土の匂いなんだね。……研究所の匂いと違うんだ。もっと、生きてる外の匂い。雨に濡れた土みたいな。僕、この匂い好きだよ」


 靭が、俺の胸に顔を埋めて息を吸い込む。不安そうに俺のシャツの裾を掴んでいた。一本の命綱を必死に掴んでるみたいに。


「樫くん。明日の朝ごはんも、僕に教えてくれる?」


「ああ。教えてやるから、残さず全部食え。魚のウツボみたいに俺を食い散らかすんだろ? まずはおやつみたいな量のメシを完食してからだな」


 気づけば、俺の手は靭の柔らかい髪を撫でてた。俺はこいつを、飼い主に懐く犬か何かだと思ってんのか。それとも、自分が育てる苗を可愛がってるのか。


 自分の行動の意味が分からなくて、暗闇の中で激しい自己嫌悪が襲ってくる。それでも、シャツを掴む指の力が少しだけ抜けたのを感じて、俺はそのまま、泥みたいに深い眠りに落ちるまで手を動かし続けた。

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