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未来形なんて知らねえよ

「今日から編入する、樫だ」


「よろしくお願いします」


 声が自分でも驚くほど乾いていた。やる気の欠片もない担任の紹介で、黒板の前に立たされた俺を視線が刺す。


 少年院で受けた敵意とも、孤児院の善意に見せかけた無関心とも違っていた。整列した机の上に、教科書が置かれている。真っ当そうに見えるのに、得体の知れない違和感がある。


 モデルみたいな顔面の男が、隣の席の奴を愛おしそうに撫でまわしている。撫でられているガタイのいい方は、椅子を引いて相手の膝に頭を預け、穏やかに目を閉じていた。


 友人、恋人? 雑にくくるには、互いを見る視線が密で重い。


「あ、昨日の子だ! 似合ってるよ、その制服」


 最前列で、沙倉が白い歯を見せて手を振っている。眩しすぎて、直視すると目が潰れそうだ。その隣で、与謝野が俺にだけ聞こえるようにフォローを入れてきた。


「分からないことあったら何でも聞いて」


 与謝野のまともな対応に当てられ、足元がふらついたその時だ。


「……チッ。供給ラグった。おい、メンテしとけやクソが」


「るせーな、てめーの吸い上げが強すぎるんだよ。心不全にさせる気か。死ね」


 舌打ちと共に、スマホゲームに没頭するヤツが窓際にいた。その隣で首筋に細い管を繋がれた相方が、スマホの光に顔を青白く照らされながら無表情で血を吸わせている。

 面食らっている俺を見て、沙倉が笑った。


「あは、驚いた? 樋口君たちは、この園の効率厨なんだ」


「ある意味この二人が一番、命を大事にしているかもしれませんね。もっとも、彼らのせいで余計な校則が増えて、僕たちが尻拭いをする羽目になっているんですが」


「は? 運営の理不尽なナーフに文句言えや。生徒会だろ」


 樋口ひぐちが画面から目を離さずに吐き捨てた。隣のヤツも、スマホを操作する指を止めない。


「また特級かよ。クソ運営のレギュが厳しくなるな」


「ルーキー、 あんまりそのキラキラした連中に当てられない方がいいぞ。先公に付け入る隙を与える」


 もし別の場所で会っていたら、普通にダチになれたかもしれないが、ここじゃ攻略情報を共有する相手としてしか繋がれそうにない。


「……っ、ん」


 静まり返った教室に、場違いな甘い吐息が漏れた。声の主は、真ん中らへんに座ってるペア。片方の袖や襟元から、無数の血管のような根が服の上からでもわかるくらい這い出している。相方の首筋や手首に、半ば締めつけるように絡みついている。


 少年院でリンチされてた野郎だって、あんな苦しげなのに悦に入ったようなツラはしていなかった。


「あの二人は幼馴染なんだ。ちょっと心が近すぎてね。先生も介入できない、二人だけの世界なんだよ」


 視線をずらせば、さらに意味不明な光景が続く。自分の腕を抱きしめてカタカタ震えてるヤツ。透けた肌の下では、赤黒い網目のようなものが這い回っていた。

 その隣に座る男の瞳には、世界の終わりを待ちわびる信者みたいな、薄気味悪い光が宿っている。


「樫、ここの席に座れ。一週間後にはお前のパートナーもそこへ座ることになる」


 担任の野蒜のびるが、教室の真ん中を指した。厚手のタートルネックから覗く首筋は土気色で、黒い血管のような筋が喉元まで不自然に這い上がっている。だらりと揺れる右側の袖は、そこにあるべき腕がないことを、無造作にさらけ出していた。


「樫、あまり深呼吸すんなよ。ここらへんはまだ、前に座ってたヤツの残骸が舞ってるからな」


 言われるまま席に向かう。そこだけぽっかりと、二席分が空いていた。


 向けられるのは、柔らかくて底知れない品定め。すぐ前の席では、エルフみたいな顔の奴が、優雅に頬杖をついて俺を見つめていた。


 その横で、必死にプリントと格闘している奴がいる。目に入ったそのプリントには、高校生のものとは思えない数字が並んでいた。


『2 ✕ 3 = 6』


『2 ✕ 4 = 8』


 ……2の段だ。しかも、7のあたりで盛大に間違えて、赤ペンで直されている。


「哀れに思うだろうが、この子のプリントをまじまじと見ないでやって。彼にとっては、かけ算を覚えることが園で暮らすための、一番高い壁なんだ」


眞継まつぐパイセン、呑気に見てないで俺の代わりに答え書いといてくださいよ。暫定でもペアなんだから、このままじゃ一緒に肥料行きっすよ?」


「おお、こわいこわい」


 少年院にもいた。読み書きができなくて、教官に学び直しをさせられてた、頭の悪い……でもどこか憎めない連中。ここに来て初めて、俺の知ってる人間の匂いがした気がして、少しだけ毒気を抜かれた。


「お前すげーじゃん! そこ、最高の席だぞ。学園始まって以来、最速で卒業したレジェンドの特等席っすよ」


 さっきまで算数のプリントで悶絶していたヤツ――五代ごだいが椅子を逆手に座って身を乗り出してきた。


「あいつらヤバかったんすよ。適合率なんてクソ喰らえって感じで。卒業の瞬間、教室中に黄金の胞子がブワッて舞ってさ!ガチでパワースポットっすよ!」


「卒業したのか。二人で」


「おう!」


 五代が親指を立てた一方で、沙倉が陶酔が入った目で空席を見つめる。


「まるで弾け飛ぶような開花だったよ」


 ――弾け飛ぶだと?


 パワースポットという言葉の裏側に、嫌な予感が走る。卒業なんて言ってたけど、絶対に穏やかなもんじゃない。


 少年院でも、脱獄しようとして高い塀から飛び降りて、そのまま消えた奴がいた。

 あいつらと同じ目をしてたんだろうか。


 俺は、熱気の残りカスがこびりついた椅子に腰を下ろした。背後から効率厨の二人の冷めた声が聞こえる。


「あいつらの真似は絶対にするなよ」


「あんなの、ただのオーバークロックだ。体をバグらせて焼き切って試合終了。低燃費でいかないと詰むぞ」


「でもあいつらの卒業で、学校側がリミッターの導入とか言い始めたのは傑作だったよな」


 教室のあちこちから、伝説のペアに対する憧れと嘲笑が混ざった言葉が飛んでくる。


 隣では、頭から草を生やした虫みたいな顔をした奴が、静かに会釈をしてから再び真面目にノートをとり始めた。さらにその隣の車椅子に座ったヤツが、教悔室みたいな重い香りを撒き散らしながら固まっている。


 情報量が多くてパンクしそうだ。俺は、自分の隣にあるもう一つの空席を見つめた。一週間後にここへ来る誰かを。


 机に手を触れた。黄金の胞子の幻覚が、脳をかすめた。ここで誰かが爆発したという椅子は、学校ならどこにでもある普通のものだ。


「お前ら勘違いするなよ」


 冷ややかな声が突き刺さる。見上げると、教卓に腰掛けた先生が、隻腕の肩を揺らしてこちらを見下ろしている。


「お前の席で弾けた連中は、別に特別な才能があったわけじゃない。管理不足を力技でどうにかしただけだ。できもしねえ開花なんてするな。カッコ悪くても泥水すすって、クソして寝るのが一番マシだってことを、今のうちに叩き込んでおけ」


 先生は吐き捨てるように言うと、振り返ることなく教室を出て行った。


(カッコ悪くても生きろ、か)


 少年院の看守ですら口にしなかったその言葉が、授業が始まっても、いつまでも耳にこびりついていた。理解不能な英語の長文と共に。俺の知らない言葉で、授業が進んでいく。


(未来形なんて知らねえよ)



――置いていかれている。肥料になるのを待つ列からすら、俺は弾き出されている気がした。


 そして、慌ただしく一日の授業が終わる。思ったよりもあっさりと、普通に。



 放課後の教室。教卓で野蒜が課題の採点をしてる。右側の袖が、動くたびにひらひらしてて。そこだけ中身がないことが嫌でも目につく。


「先生」


 呼びかけても、先公は顔を上げない。自分の声が誰もいない教室にやけに響いて、なんだか落ち着かない。


「初日はやり過ごせたか。綺麗すぎて、逆に居心地悪いだろここは」


「正直拍子抜けしました。もっとエグいことされるのかと思ってたんで」


「今日は一般科目だけの日だからな。お前にとっちゃ、寄生されるより教科書を開かされる方が、よっぽど酷だったみたいだがな」


「聞きたいことがあります。このクラスの中に、俺と同じ奴……刑罰でここに送られた前科者は、他にもいますか」


 先公の手が止まった。ようやく顔を上げたその目は、何も信じてないような、冷めきった光を宿している。


「そんなこと聞いてどうする」


「同類の成れ果てがいるなら、知っておきたい」


 鼻で笑われた。バカにされた気もしたけど、どこか存在を認められたような、変な感じがした。


「お前の言う同類は、確かにいる。けどそいつはもう、お前の知ってる人間の形はしてねえぞ」


「見た目がヤバい奴は何人かいましたけど、みんな普通に喋ってましたよね。不登校とかですか?」


「ついてこい。お前の進路の参考になりそうな、最初の材料を見せてやる」


 先公の後についていった先は、校舎の奥にあるバカでかいガラス張りの温室だった。


 西日が重なった葉っぱに遮られて、中は光が斑に落ちてる。湿った空気と一緒に、花のいい匂いと、何かが腐ったような甘ったるい臭いが混ざって鼻についた。


 奥に、朝の教室にいた車椅子のやつがいた。ぼーっと空を見て動かない。その背後で、眞継先輩が優しく車椅子を引いてる。


「おや、野蒜君。珍しいね、君が客人を連れてくるなんて」


 声が温室の中に鈴の音みたいに響いた。野蒜はぶっきらぼうに顎で俺を示した。


「新入りが、同類の行方を知りたがってな。眞継、お前の前のペアのことだ。あいつ、『院卒』だったろ」


「ああ。野蒜君が言っていた『樫くんは院卒』っていうのは、そういう意味だったのか。面白いね。少年院だっけ? 道理で、野性味があると思ったよ」


 眞継先輩は眉を少し上げて、納得したように返すと、車椅子から手を離して俺の目の前まで歩いてきた。足音が全然しなくて、なんだか人間離れした雰囲気がある。


「眞継先輩。前のペアは、どこにいるんですか」


「眞継でいいよ。無駄に留年してるだけで、偉くもなんともないから。……どこ、って言われると難しいな」


 俺が絞り出すように聞くと、眞継は自分の胸のあたりを指差した。


「彼は今も僕のここで、すごく元気な音を立ててるよ。……聞くかい? 野蒜君、聴診器貸して」


 眞継は先公から受け取った聴診器を、服の上から自分の胸に押し当てて、耳に当てる部分を俺に差し出してきた。


「ほら、耳を澄ませて。彼の鼓動だ」


 俺はそれを受け取って、耳に嵌めた。


 ――ドクン、ドクン。


 規則正しくて力強い音。人の心臓というより、巨大な根っこが地面の水を吸い上げてるみたいな、重くて粘り気のある音だ。


「生きてるのか。これが」


「生きているとも。彼は僕の一部として、最高の役割を果たしてくれている。僕は止めたんだけどね。……一度くらい社会を見に行けばいいのにって。でも彼は、社会の方がクソなんだって譲らなくてさ」


「そうだ。彼が人間だった頃の記録が見たいなら、僕の日記を貸してあげるよ」


 眞継が鞄から出したのは一冊の手帳だった。俺は、何かわかるかもしれないと思って手帳をひったくるように受け取り、ページをめくった。だけど。


「一文字も読めねえ」


 日記に並んでたのは、寺とか俳句で見かけるような、筆文字みたいなやつだった。目が滑る。ろくに学校に行ってなかった俺にとって、眞継が当たり前に使う文は、理解を拒む高い壁だった。


「おや、読めないのかい? 隠すことなんて何もないのに。僕もスマホの使い方がわからなくて五代目に助けてもらってるから、お互い様だね。与謝野君か沙倉君なら僕の字を読めるかな。あの子たちは賢いから」


「いや……なんか、あの人たちは住んでる世界が違いすぎる。やめておきます。こっちから聞いといて、すみません」


 眞継の微笑みは、どこまでも純粋だった。


 生きてる証拠だって音を聞かされ、中身を知るための文字を渡されて。それなのに、俺はそのどっちからも、元が人間だったという同類の面影を見つけることができなかった。

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