お前が多年草なんて聞いてねえぞ
暗い。いや、暗いというより何もない。
何か遠くで規則正しい音が降ってくる。
ピッ
ピッ
ピッ
重い瞼をどうにか押し上げる。
……天井が白い。
ぼやけた視界の隅で、透明なチューブの先から液が静かに落ちている。視線でチューブを追う。以前、靭の吸器を繋いでいた場所の真横に針が突っ込まれている。俺の手首から先は、両手とも斑に色が抜けていた。
「……は?」
砂を吐いたようなガラガラの声が出た。
喉が内側に張りついてる。
俺、食われたよな。ちゃんと。
開花したら終わるんじゃなかったのかよ。
困惑のまま腕を伸ばす。粘土のように重い。腕に刻んだはずの点字のケロイドは、もう自分の名前だと特定できないくらいに裂けた傷痕でガタガタになっていた。
腹へ手をあてる。靭が開花した痕跡が硬い引き攣れとなって指先に触れた。
確か、開花した後は実が成って枯れるはずだよな……。
服が前開きの患者衣に置き換わっている。
どうやら、どこかの病院に搬送されたらしい。
俺はベッドから床へずり落ち、壁を伝ってどうにか窓辺へ這い寄った。結露したガラスに、見覚えのない奴の顔が映っている。
……誰だ、これ。
目元を覆うほど伸びた前髪を払い除けて、ようやくそいつが自分だと気づいた。襟足も首元にうざったくまとわりついている。
開花したのは、六月の頭だったはずだ。天気雨が降った日の翌日。窓の外は雪がうっすら積もっている。髪の長さからして半年か?
いや、それとも──
カレンダーのない部屋で、時間の感覚が崩壊しそうになった、その時だった。
「よお、お目覚めかよ。死に損ない」
不意に背後から声をかけられ、俺は自嘲気味に振り返った。
「先生。俺、なんで生きてんだ」
「知らん、こっちが聞きてぇよ」
野蒜は、パイプ椅子を片手で引き寄せ腰掛けた。完全に珍獣を見るような目だ。
「医者曰く、こんなゴキブリみたいにしぶとい苗床は前例がないらしい。検体の鑑だな、お前は」
「……靭はどうなった」
「生きてる、お前の中でな。健やかに休眠中だとよ」
「は?」
あいつは二週間きっちりと白い花で部屋を埋めつくして、役割を終えたみたいに枯れたらしい。そして再び俺のなかにいる。
「そういや開花中、清澄は片っ端から知り合いを呼びつけては、お前の遺言を熱弁して回ってたな」
額を覆いたいのに手に力が入らない。寧ろ、今すぐ窓ガラスに頭を打ちつけたい。野蒜はUSBメモリーを取り出し、手で弄んでいた。
「見たいか。五代が撮ったお前らの開花記録。地獄みたいな感動巨編だぞ」
あいつはきっと自分が枯れる前に、俺の痕跡を全部配って回ったつもりでいやがる。悪意がないぶん、タチが悪すぎる。
「絶対見ねえ」
「だろうな。意識飛ばしてて、逆にお前は命拾いしかもな」
野蒜はパイプ椅子から立ち上がると、俺の背中に、ぽつりと声を落とした。
「映像で清澄が言ってた、シーツについた樹液――」
「野蒜先生、すみませんでした。本っっっ当に勘弁してください」
「まあ、無様でもクソして寝てりゃどうにかなる。とりあえず今日をやり過ごすことだな。……生きてんだからよ」
野蒜が病室を出ていくと、入れ替わるように菅が病室へやってきた。主治医からの伝言だというカルテの内容を、眉をひそめながら説明し始める。俺は、途中で放たれた一言に思わず声を裏返した。
「聞いてねぇぞ。お前、靭の保護者だろ? そういうの先に言えよ!」
「私だって今知ったのよ!」
「は?それでも研究者かよ」
「研究者が全知全能なんて思わないで頂戴!」
一年で枯れて終わると思っていたが、あいつは冬を越して何度も咲く多年草らしい。
医師が下した診断に内心で頭を抱えていると、視線が菅の耳元で揺れる小さな輝きに留まった。耳に噛みつく魚のウツボ。
靭が、もうすぐ菅の誕生日だから渡したいと言い出して、開花前日に代理で渡したものだ。
菅は俺の視線に気づくと、気恥ずかしそうに耳の裏を掻いた。俺の口元から、自然と小さな笑みが溢れていた。
「良かったな」
「これ、アナタが選んだんですってね。靭クンが言ってたわ。確か、シルバーの方が肌なじみが――」
「マジであいつ余計なことしか言わねぇな!」
「これだけバカみたいに大きな声が出るなら上々ね。心配して来て損した」
菅はカルテをデスクに置くと息を吐いた。開花前から張りつめていたものが、ようやく解けたように見えた。
「お前、ちゃんと寝れてるか? 目の下にクマができてる。放っておくと小皺になるぞ」
「一体、誰のせいだと思ってるの? あんたが病人じゃなかったら殴れたのに。……開花の間、毎日来てたのよ。勿論、データを取るためよ?」
最後だけ妙に強調するあたりが胡散臭い。靭が心配で仕方がなかったと言えばいいのに。どこまでも、こいつは素直じゃない。
「ずっと嬉しそうに話してたわ。深蔭はこういう人で、こんなことを言ってって。口を開けばアンタのことばっかり。……これじゃどっちが寄生されてたのか、わかんないわね」
一人になった病室で、五代が残していった映像を見る。真っ白な花の真ん中で、幸せそうに笑っている靭がいた。音声は最悪だが、映像の剪定スキルは上等だ。
ふとデスクの上に置かれた茶封筒が目に入った。主治医からの書類かと思って手を伸ばす。封は開いていた。中には写真が一枚だけ入っている。
「何だこれ」
俺はこんな写真撮っていない。寝転がったまま自分の身体を見下ろすような角度。白く色素の抜けた指先に絡む白い根の画像に、小さな厚紙が添えられていた。
⠪⠛⠐⠡⠐⠮⠩⠎⠳⠚ (これが僕の白)
「マジで余計なことしかしねぇな」
画面を消すと、暗転したモニターの液晶に自分の姿が映りこんだ。肌の上で喉笛のあたりが、色素が抜けたように真っ白に変色していた。靭に文字通り噛みつかれ、咲かれた跡だ。
俺は喉元の白い硬直に触れた。以前、消えねえように跡をつけろと煽ったが、ここまでやれとは言ってない。
「一体、誰に似たんだ……俺か」
数日後、俺は便箋を取り寄せた。かつて、俺がプラント行きを言い渡されたとき、本当のことを言えと、荒んでいた俺に迫った弁護士に手紙を書くためだ。
あの時は生きるのにも疲れ果てて、先生の手をはねのけた。執行直前、遺書のつもりで先生に手紙を出したが、適性検査で特級判定が出て、俺は靭の苗床として生き永らえることになった。
何度か先生には手紙を書いた。直近の五月下旬、開花を目前に控えた俺が送ったのは、教誨室で送りつけた雑な二重線でなく、本当に決別の手紙だったはずだ。
前略、死んだはずの……
ペン先を躊躇いがちに走らせる。
あんな手紙を送っておきながら、どの面を下げてと自分を呪っています。また、死に損ないました。どうか俺のことは忘れて軽蔑してください。
書き終えた手紙をポストに投函し、数日。
意外なほど早く、弁護士事務所の消印が押された返信が届いた。封を破り便箋を広げると、先生の生真面目な筆跡が並んでいる。
――樫君の生存を知り、職務中にもかかわらず涙が止まらなかった。生きていてくれてありがとう。君が苗床だと言うなら、来年の遺書の更新も楽しみに待っています。
追伸
遺書を書く前に、一度事務所に遊びにきなさい。茶菓子を用意して待っています。
手紙を胸に、俺は窓の外の冬枯れた景色を眺めた。
「……遺書の更新かよ。バカげてるな。靭、お前もそう思うだろ」
静まり返った部屋で、俺は再び自分の腹へ手を当てた。皮膚の奥で気恥ずかしいほど温かい脈動が、あいつの根と一緒にトクとはねた。
毎年雨の季節が来るたびに、狂おしく熱を交わし合う。俺が本当にくたばる日まで、何度でもバカみたいに「ただいま」と「おかえり」を繰り返すのだろう。




