僕の白をうそつきな君に捧ぐ
寄宿舎に戻った後、机へ向かった。机の上には点字タイプライターと放課後に現像したばかりの、天気雨の写真がある。
「ああ、薄雲から光がさしてたな。周りが全部、日向になって雨が降ると白く反射する」
写真の光景をなぞるように説明を打つ。
雨を待ち咲かんとするを知る故に
⠁⠿⠊⠵⠗⠀⠱⠡⠴⠞⠹⠙⠊⠀⠳⠙⠬⠋⠇
光さす雲いづこを見遣る
⠧⠡⠓⠱⠹⠩⠾⠀⠃⠐⠹⠪⠊⠷⠌⠙
去年の今頃、靭が話していたことを思い出していた。雨が降るとそろそろ咲く時間だと。ぼんやり考えていると、あいつが俺の指を借りて内側から躍らせている。カチカチと俺の指は勝手に動いて、タイプライターのキーを沈めた。
⠺⠵⠙⠥⠊⠀⠾⠕⠍⠵⠳⠚⠎⠀⠜⠙⠥⠅⠎
⠩⠗⠐⠧⠙⠊⠞⠹⠀⠁⠿⠎⠩⠗⠐⠝⠫
染まる葉を 持たぬ真白の 寄る花の――
思わず額に手をあてて顔を覆った。指の隙間から笑い交じりの溜息が漏れる。
「遠回しに煽ってんじゃねえよ」
そもそも中に潜ってるやつに、やる方法がない。試しに着ていたシャツのボタンをいくつか外し、自分の生肌に直接手を這わせた。手のひらで触れたのは、腹の刺傷痕。今は靭が潜りこんだ入口だ。
根は器用に肉の内側に隠されている。手のひらの体温で皮一枚下に潜んでいる靭の気配をさぐった。ちょうど心臓の裏っかわにあいつがいる。何を期待してるのか知らないが、甘ったれた様子で脈打っていた。
「できるもんなら今すぐにでもしてやる。勿体ぶってないで、さっさと出てこい」
促した瞬間、手のひらをあてた胸の奥から頭の芯まで、蕩けるような熱が一気に駆け巡った。俺の皮膚の下で靭が芽吹こうとしてるのがわかる。
白いものが皮膚の隙間を押し広げ、骨の檻をこじ開けていく。やがて全身の皮膚が音もなく内側から突き破られ、花びらの質量が溢れてくる。真っ白なキヨスミウツボの蕾が、身体の内側から次々と溢れ出していた。
衝撃が凄いのに痛みがないどころか、骨の髄まで痺れるような熱が身体を支配していく。
腹の傷痕から白い腕が伸びていた。
……いくら何でもチョロすぎだろ。
蜜の香りでおかしくなり始めた頭の片隅で、悪態をついた。煽り返されたからって、文字通り飛び出してくるやつがいるかよ。
俺の手は勝手に動いていた。花びらの奥から覗いた手のひらを、俺は力任せに掴んでそのまま胸元へ抱き寄せた。
細い肩が露わになり、白い髪が零れて目が覗く。ようやく捕まえた。久しぶりに聴く声が鼓膜を揺らす。
「お外、すごく明るいね」
白い花びらの奥で、靭は眩しそうに目を細めた。本当に生えてきやがった。視界が滲んで、あいつの輪郭しか追えない。
「おかえり」
「ただいま」
声が重なる。身体がバカみたいに熱い。花が咲いている。確実に靭の意志で、俺の身体を使って。視界の端から蕾が一斉に綻んで開いていく。
「待ちくたびれた」
「予定より二週間早いのに?」
答える代わりにあいつの髪をくしゃりと撫でた。腕の感覚が鈍い。触れるなら今のうちだろう。
今まで靭に見せた白が、花びらの内側から透けている。プリズムみたいだ。白しかないはずなのに、動くたび色が変わって見える。キレイなもんだけ見せればよかったが、実際は、あいつが俺の汚い泥を食いつくした後に辿り着いた白だ。
「好き放題に食い散らかしやがって……だいぶくすませちまったな」
白をお前に伝えたくて、バカみたいにシャッターを切って点字を打ち続けてきた。今さら気がついた。今まで持ちこんできた白は、お前を別の名前で呼び続けていただけだった。
⠉⠝⠐⠮⠀⠣⠛⠃⠐⠕
「お前なんか大嫌いだ」
⠁⠃⠳⠟⠙
俺は、目の前の本物の白に悪態をついた。胸焼けするくらい甘いな。身体中の骨はこいつの名前を叫んでいるみたいだ。身体がバカ正直すぎて笑うしかない。
「深蔭のうそつき」
「お前ほどじゃねーよ」
どちらからともなく、引き寄せられるように唇を重ねる。息が詰まるほど何度も感触を確かめた。唇が離れた拍子に銀糸がこぼれ、吐息が落ちた。
「ふふ、雨がいっぱい降ってきた」
「ほんと、しょうもねえな。満足かよ」
「満足だよ」
食い気味に答える小生意気な白を見つめる。そろそろ、引き延ばしてた答えを返さないといけない。俺がくたばりそうだからな。
「両手を貸せ」
靭の手の甲に、俺の左右の指をあてる。あいつは俺が何を打とうとしているのかを悟ったらしい。
「そうだな、お前の白は――」
まともに上がらない俺の指の腹を、靭の手が下から吸いつくようにして迎えにくる。
「次は『だ』……『か』……」
トントン、と、俺たちの合わさった指が靭の皮膚に点字を刻んでいく。半分あいつが打ったようなもんだな。
⠷⠡⠐⠫⠀⠇⠀⠐⠕⠡⠛⠟⠀⠱⠩⠀⠳⠚
「答えになってるか?」
力が入らなくなり、落ちていく俺の腕を靭が下からそっと拾い上げる。あいつは自分の首筋に俺の腕を回すと、自らそこへ収まりにいって俺の胸元へ深く身体を預けてきた。
靭の目から零れる雨が水たまりになって、俺という土塊に染みていく。
「これが僕の白」
「靭、ちゃんと残さず食えよ」
「っ……、あは」
靭の口から、ひゅう、と引き攣った呼吸が漏れる。大きな瞳からボロボロと大粒の涙を溢れさせているくせに、唇は嬉しそうに弧を描いていた。
「……うん、食べる。深蔭を全部」
靭が俺の頬を濡れた手で包み込む。お前、花の癖に鼻水出すんだな。こんな最高に笑えるツラを俺だけのものにできるなら、開花も悪くねぇ。
「残さない。最期まで咲いて、一緒に幸せになる」
朝になったら日が昇るくらい当たり前のことを靭がほざいてやがる。どんな嘘も思いつけないくらい、頭の中をお前という本物だけでいっぱいにされていた。
まだらに色の抜け始めた自分の腕が目に映る。自ら刻んだ皮膚の凹凸を。こいつが二週間分保つよう、後は頼んだぞ。
そこからは、言葉など要らなかった。もう二度と離さないために、靭は俺の肉へと牙を立てる。身体中を満たしていくのは、痺れと胸焼けするほどに甘い花の蜜の香りだけだ。
(ああ、やっと全部お前にやれる)
やがて靭の歯が、俺の喉笛へ深く食いこむ。骨の割れる音と満ち足りた幸福の中で、俺の意識はすとんと白の彼方へ落ちていった。
管理室の時計の針はとっくに深夜を回っている。眞継はパイプ椅子に深く背をもたせ、管理画面を眺めていた。
「あ。今、ステータスが開花に更新されたよ。タイムスタンプどおりに報告書に時刻を記載していいね」
「頼む。眞継、いつも悪いな」
「同期のよしみでしょ、このくらいはお安い御用さ。ところで……菅先生に教えなくてよかったの? 野蒜君」
野蒜は、樫から返却された一眼レフを弄りながら短く返した。
「あいつは開花してからのほうが仕事が大変になる。……今のうち休んでたほうがいい」
「そりゃそうか。カルテの書き換えやら何やら、菅先生がサインしなきゃいけない書類は山ほどあるもんね。あと、樫君が何か渡したみたいだし」
「それでなくても、二人に入れこみすぎてるからな。依子が変に立ち会ってパニックにでもなってみろ、余計にややこしくなる」
野蒜の声は淡々としていたが、撮影履歴の閲覧をいつまでもやめる気配がない。眞継はデスクの上に飲み物を置いた。
「カルピス牛乳割り。樫君の直伝の黄金比で拵えてみたのさ。清澄君が絶賛してたからね」
「人の許可なしに勝手に物事を進めるくせして、一丁前に飲み方だけ指定してくんのかよ」
野蒜はしばらくコップになみなみと注がれた白い液体を無言で見つめ、飲み干した。どんどん眉間に皺が寄っていく。
「真夜中に飲むもんじゃねーだろ。俺を糖尿病で殺す気か。……水、まだ冷蔵庫の中にあるよな」
エアコンの低い送風音だけが響く室内に、パタンと開閉音が鳴る。
「相変わらず野蒜くんはヘタクソだよね」
背後で小さく響く嗚咽に眞継は苦笑しながら、デスクの上に無造作に置かれた書類の束に目をやる。樫から託されたものだ。明日の朝にあの部屋の鍵を開けたとき、自分たちが何を見ることになるのかは、とっくに分かっている。
「明日の朝一で、五代に機材を持たせてあっちの棟に向かわせる」
「うん、段取り通りで。樫君の言いつけ通り、五代目には清澄君だけ映すよう言い聞かせておいて」
「わかってる。あいつの最後の我儘だ、それくらいは通してやる」
野蒜は肩で顔を拭うと手持ちのタバコに火をつけ、静かに煙を吐き出した。
翌朝、静まり返った部屋のドアが音を立てて開いた。朝の光が斜めに差し込む室内に、五代はカメラバッグを肩にかけて足を踏み入れる。
「おはー。お二人さん、調子どーよ」
野蒜がよこしたメッセージ通り、そこにはただ美しく咲き誇るキヨスミウツボの花の群生が静かに部屋を覆っていた。
「はは、傑作だわ。ツボちゃんの限界ヲタっぷりが極まってんじゃん!」
五代はカメラバックのファスナーを勢いよく開けあぐらをかくと、三脚を手際よくセットする。
「樫、おつかれ。あとはオレに任せとけ。最高にツボちゃんをマブく仕上げてやんよ。言っておくけど、剪定が上手いのは鋏だけじゃないからね?」
五代はファインダーを覗き込んだ。レンズの向こう側には、朝の光を浴びて艶やかに開いている純白の花弁の塊。樫の亡骸はおろか生きていた痕跡すら、白い花の群生はすべて優しく覆い隠してしまっていた。
「よっしゃ、集中」
小さく息を吐き、カメラを構え直す。樫の遺言をなぞるように、真っ白な清澄靭の姿だけを枠の中にそっと閉じ込めて静かにシャッターを切った。




