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なんか引っ越し前の部屋みてぇだな

「縦山君、そこの剪定鋏取ってくれる?」


 実習中に、眞継先輩がまた俺を弄ってきた。この人は顔がビビるくらい整ってるから、園内じゃ密かにエルフなんて呼ばれてるけど、口を開けばこれだからなぁ。


「だーかーらー! 樅山だよ、も・み・や・ま! 先輩、やることがいじわるなんだっぺよー」


「おや、違ったかい?」


 鋏を渡しながら声を荒らげた。当の先輩は悪びれもせずに笑みを浮かべている。


「よっ、モミ! 実習進んでっかー?」


 騒がしい足音と共に、クラスメイトのむっちゃんがひょっこり顔を出した。


「お、むっちゃん。俺はだいじだけど、先輩がポンコツすぎて目が離せねんだわ」


「失敬だな縦山君は。僕はとても真面目にやってるよ。五代目もそう思うだろ?」


「眞継パイセン、まだ縦山って呼んでんすか。モミの転入初日に、オレが盛大にやらかしたやつ!」


「本当おめぇ罪深いな! おめぇが豪快に読み間違えるから、先輩が気に入っちゃったべよ」


 ひとしきり騒いでいると、眞継先輩が視線を実習室の入口に向けている。ちょうど生徒が入ってくるところだった。デカいな。


「あ、ちょうどいいところに」


猫でも呼ぶみたいにそいつを手招きしてる。


「彼は樫君。縦山君の同類だよ」


 ピクリと眉が動く。同類ってどういう意味だ。こいつも中坊の時、俺みたいにヤンチャしてたってこと?


「眞継、変な紹介のしかたするな。俺は別に普通だ」


 嘘だと直感した。ただ突っ立ってるだけなのに、どこから襲われても即動けるような隙のない立ち姿。ただ者じゃない雰囲気の苗床。それがこいつの第一印象だった。


 俺がいる園は、大抵誰かとペアになって授業をうけている。俺の場合は眞継先輩。俺なんかより頭がいいはずなのに、なぜか留年しまくっててクソヤバい。


 むっちゃんは剪定師を目指してるからペアがいないのはわかるけど、樫からも相方の気配がしない。ペアを途中で失くした奴は、精神を病むかそのまま消えるらしいが。


 隣の席の檀先輩がまさにその状態で、今は俺と眞継先輩が交代で面倒見てる。こないだ先輩が「エロ本に反応したから望みはある」とか言ってたけど、絶対適当だべ。


 昼休みに俺がこれみよがしに武勇伝を語ったときに、樫、いや樫さんはただ者じゃねぇって確信した。


「こん時はマジで無敵だっぺ。隣の中学の頭がタイマン張りに来た時もよぉ、こう、ガツンと折ってやったかんな」


 スマホに映っているのは、絵に描いたようなヤンチャ時代の俺。ハンドルをカマキリみたいに跳ね上げ、荷台をこれでもかとカチ上げた改造チャリ。


 カップ麺をすする手を休めて画面を覗きこんできた眞継先輩は、ふふと優雅に肩を揺らしてる。


「前衛的だね。一緒に写ってる縦山君の髪も今よりだいぶ横に広がってるじゃないか」


「先輩、人の武勇伝よりそこ弄るのやめてくんねぇ!?」


 眞継先輩は楽しげに目を細め、俺たちのやり取りを一歩引いたところから黙って見ていた樫の方へ視線を向けた。


「ふふ、それで樫君の武勇伝は?」


「お、そうだ。ギータカさんなんかあるべ? 苗字はカタギのくせに、絶対そっち側の人間だっぺ。足音殺した歩き方とかよ、ただの一般人ができるわけねぇもんな!」


 元ヤンとしては、あの人のただ者じゃない空気の正体を暴いてやりたかったが、表情一つ変えないままボソリと返された。


「んなもんねえな。そもそも塀の中にいたからな」


「…………は?」


 耳が変になったのかと思った。塀の中? 近所のじいさんちのブロック塀か? いや、どう考えても。


「塀って……あの、コンクリートが高い、有刺鉄線とかついてるやつけ……?」


 自分で言っていて、冷汗が背中を伝うのが分かる。隣の中学のヤツとタイマン張ったとか、チャリを魔改造したとか、俺の武勇伝が急にママゴトに思えてきた。


「シャバはよく知らん。すまんな樅山」


「名前は合ってんだ」


 生まれて初めてシャバという単語を肉声で聞いた衝撃と、初めて一発で苗字を呼ばれた感動が、脳みそでマーブル模様を描いてキャパオーバーになりそうだった。


 午後の実習の合間の休憩時間のことだった。ふと視線をやると、樫さんが窓際の作業台に一人で座っていた。見慣れない器具を持って、小さな針が静かに動いている。


 トツ、トツ、トツ。規則正しい音。ポツポツと小さな丸が浮き出た紙が増えていく。


「なぁ、むっちゃん。あそこでギータカさんがやってんの何だ?」


「あー、点字じゃね? ほら、園のエレベーターにもあるじゃん。てか、そんな気になるなら直に聞きゃいいっしょ」


「バカ、おめぇ!」


 慌ててむっちゃんの口を塞いで声を潜めた。


「触れちゃいけねぇ過去の地雷だったらどうすっぺ……。ぶっくらすどこじゃ済まねぇべ、東京湾に沈められっかもしんねぇわ!」


 あんな殺気を隠し持った人の地雷を踏み抜くわけにはいかない。でも気になって仕方がないのも事実だった。プリントを渡すフリをして、樫さんの席へと近づいた。


⠭⠙⠋⠀⠑⠭⠛⠳⠁


⠡⠑⠱⠄⠀⠞⠉⠈⠝⠉⠡⠺⠉


⠜⠱⠎⠀⠌⠐⠞⠓⠐⠣


⠧⠐⠩⠗⠀⠝⠗⠁⠫⠐⠧


さっぱり読めねぇ。


「何……点字打ってっけ? なんかすげぇ手元が器用だなぁって」


「暇つぶし」


「暇つぶしで点字打つやつがあるかよ。そもそも、それ何て書いてあんだ」


「さあな、ただの練習だ」


 のらりくらりとかわされる。いつの間にか後ろに回っていた眞継先輩が、肩を揺らしてクスクスと笑い声を漏らす。


「あーもう、オレ、おめぇが何考えてっか本当にわかんねんだわ!」


「お前が知るようなことじゃないな」


 眞継先輩は、窓からの柔らかな光に照らされる、樫さんの横顔を眺めていた。


「ふふ、また煙に巻かれたね。でも、樫君が点字を打っている時はすごく優しい顔になるんだよ」


 改めて、紙に浮かんだ小さな突起に目を落とす。何て書いてあるかは全然分かんねーけど、どうしてもそれがただの暇つぶしには思えなかった。



 放課後、教室の真ん中で樫さんは机いっぱいに写真を並べていた。現像された四角い写真は、どれもこれも白いものばかりだ。


 雲、牛乳、シーツ、カルピス、

 ガードレール、チョーク、雪、

 ちり紙、雑巾、白米、

 むっちゃんの白紙のテスト用紙……

 

「いや、白なら何でもいいんかい」 


 昔のやつから順番に並べてるっぽい。空気感でなんとなく分かる。最初の方なんて、とりあえず目に留まった白いものを撮ってみました、と言わんばかりにただシャッターを押しただけって感じ。


 季節が進むにつれて、写真の中の白がだんだんリアルになってくる。


 降り積もった雪の光を使って、白い花の後ろにわざと木の影を持ってきて白をバチッと引き立たせたり、曇り空の中に白い鳥が溶け込んだ一瞬をきれいに切り取ってたり。



「ギータカさん、何してんすか」


 パイプ椅子を引きずる音が、誰もいない教室内でやけに大きく響く。樫さんは俺の問いかけに視線を返さず、黙々と写真を一枚ずつパネルに貼っていた。


「整理」


「卒業制作みてぇな?」


「そんなもんだ」


 点字が打たれた白い厚紙が何枚も積み上げられている。写真の下にその厚紙が足されて、ようやく俺にも点字の意味がわかった。


「誰が読むんだべ、これ」


「読むやつがいる」

 

 手持ち無沙汰になって、机の上を見回した。写真は山ほどあるのに、樫さん自身の爪痕みたいなものがどこにもない。


「ギータカさん、自分の写真ねぇの?」


「いらねえだろ」


 俺なら絶対に残す。後で見返して悶絶するような黒歴史になろうが、何でもいいから置いておきたい。自分が生きてた証拠なんだから。

 

「俺は別にいい」

 

 本当に、自分の存在なんかどうでもいいって思ってるやつの、少し怖いくらい静かな空気が混じっていた。


 まだ誰も踏んでない雪、光が強すぎて真っ白な曇り空、その辺に咲いてる名前がわからない白い雑草、線も何も引かれてない真っ新なノート。白い写真を、宝物でも扱うみたいに丁寧に揃えてる。


「その人、白が好きなんすか」

 

 気まずい空気に耐えられず、ぽろっと口からもれた。樫さんは、普段の鉄仮面からは想像もつかねぇ顔をした。……うまく言えねぇ。冬の終わりに溶けかけた雪を見る時みたいな顔だ。


「さあな」


 樫さんが写真を見せたがってる相手は、白を知らないんだ。生まれてから一度も、その色を見たことがない。そうじゃなきゃ、同じような色ばっかりこんなに必死に集める理由がわかんねぇもんな。


 机の端に目をやると、返却期限が明日になってる図書室の本が一冊と、薄汚れた作業手袋が転がってるだけ。この人は自分の荷物が少なすぎる。


「なんか引っ越し前の部屋みてぇだな」


 自分でもバカみたいな質問だと思った。樫さんは、しばらく真面目に考えこんでから、並べられた写真の中から一枚をそっと持ち上げた。


 背景の暗い木に守られるように、白い花がぽつんと浮かび上がってる。上の方にぼやけた花が雲みたいに広がっていた。説明の厚紙に点字が打たれてるけど、俺には読めねぇ。


⠁⠐⠳⠱⠃⠀⠞⠀⠣⠜⠹⠷⠉⠝⠐⠮


「これだけは俺の荷物だ」


 樫さんは目を細めてその写真を見つめていた。その姿は、これから遠くへ行く誰かに「忘れ物ねぇか?」って、手荷物を一つずつ確認してやってるみたいに見えた。 



 帰り道、廊下の窓向こうのベンチに樫さんが座っていた。隣には女の人が一人。遠目だから何を話しているのか、声までは聞こえない。菅さんというたまに生徒の検診にくる先生だ。


 彼女に紙束を渡している。菅先生は渡された紙を一枚一枚、じっくり見ていた。樫さんはその横で、熱心に何かを説明している。

 

「何見てんの」


「うおっ!?びっくりした!」


 心臓が飛び出すかと思った。振り返ると眞継先輩がいた。先輩は俺の横に並び、静かに窓の向こうへ視線を投げる。


 ちょうど樫さんが茶封筒を差し出しているところだった。菅先生は頑なに受け取ろうとしない。


 拒むような雰囲気で口を動かしている。樫さんは、先生を言い含めていた。今度は先生が俯いてしばらくした後、諦めたようにようやく封筒を受け取った。


 ――あ、樫さんが平手打ちされてる。


「何、女泣かしてるんすかね」


「ふふ、樫君も人が悪いね」


 先輩の声は軽かったけど、顔が笑ってない。急に落ち着かなくなって、無理やり話題を変えた。


「ギータカさんの写真をさっき見てきたんですけど」


 うまく説明できない。


「なんか……最近撮った写真は俺でも分かるくらい、その、ちゃんと見えるっていうか。

木とか、空とか、雨とか……シャッター切る前に考えなくても体が勝手に動いてるっぽいというか」


「そうだね」


 先輩は俺の語彙が死んでても、最後まで話を聞いてくれたけど、横顔が寂しそうに見えた。


「ほらよっと。檀先輩、段差だいじけ? 」


 ガタゴトと小気味いい音を立てて、俺は廊下で車椅子を押していた。


「ふふ、縦山君は介護の才能があるね」


「中坊ん時まで、ばあちゃんの車椅子押して同じことしてたから得意なんだ」


 廊下の曲がり角で、俺の視線はふと大きな窓の外に向いた。


「あれ……?」


 お日様は差してるのに、空から白くて細い雨がサーッと降り始めている。ばあちゃんが言ってたな。「こういう空ん時はな、きつねの嫁入りって言うんだよ」って。

 中庭の木々の間を傘もささずにふらふらと歩いていく影を見つけた。


「ギータカさん、何であんなことしてっけ?」


 眞継先輩も動きを止め、一緒に窓の外へと視線を向ける。


「きっと雨を見せているんだよ」


 見せている? 誰に?

 樫さんは一人で歩いてるのに。


 思わず窓を開けて「風邪ひくべ」と呼びかけようとしたけど、上げた手をそのまま止めてしまった。


「それにしても、いい雨だ」


 日の光を反射する雨粒を全身に浴びて歩くあの人は、なんて言えばいいか分かんねぇけど、めちゃくちゃ絵になっていた。


 やっぱり俺には、樫さんが考えてることなんてさっぱり分かんねぇや。

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