暗やみで根がはる様子を待つのさ
「おはよう、小鳥さんたち」
柊夜は、さながら童話に出てくる王子のようだった。僕の目の前で甘い顔立ちの少年は微笑みを浮かべ、朝の木漏れ日を浴びている。どこから集まってきたのか、彼の周りには数羽の小鳥たちがさえずっていた。
でもその頭部には、メルヘンとは程遠い現実があった。手入れが行き届いた栗色の髪の隙間から、青々とした肉厚の葉が生い茂っている。ヤドリギだ。開花という建前のもと、彼の頭部は僕の執着の温床と化していた。
「あはは。こら、そこはまだ新芽だから突いちゃダメだよ」
小鳥たちはヤドリギに実った淡い黄色の果実を容赦なくついばんでいた。
ザクザクと小気味よい音が放課後の廊下に響く。
「タモっちゃん、いいの?本当にガッツリいっちゃって。超キレイに実がついてるじゃん。もったいな!」
「必要なデータは全て揃いましたから。これ以上、柊夜の頭に雑草を生やしておく理由がない」
僕らの卒研のテーマは、ヤドリギの実を食べたレンジャク達の行動範囲を調べること。鳥達にタグもつけたし、あとは定期的に位置を捕捉して、定着の拡がり具合を地道に調べるだけ。
「自分の分身を雑草扱いって。あ!オレ、わかっちゃった。生徒会長がいつまでも鳥とイチャついてるのが許せなかったんしょ」
鋏の音と共に、柊夜の頭から枝葉が落ちていく。否定はしない。自分の気の迷いが結実したものを、どこの馬骨ともしれない存在が、当然のように横取りしていくのは見ていて不愉快だ。……馬ならぬ鳥だけど。
「もう、そういうことでいいですから、さっさと剪定してください。進路指導の面談に遅れちゃう」
「会長、根本からいっちゃうよ」
「了解。五代くん、どうせなら面白くして。野蒜先生を笑わせにいくから」
三十分後、教室には変わり果てた姿の柊夜が座っていた。
「じゃーん!名づけてタモフェード」
五代が鏡を掲げると、柊夜は首を傾げて自分の後頭部を覗き込んだ。耳の上から襟足にかけて、バリカンで描かれた滑らかな曲線が分岐しいくつも連なってる。
「クソみたいな命名ですね」
さっきまでのメルヘンな雰囲気は木端微塵に消え去り、なぜか剃り跡に僕の執着の残骸が居座っている。悪いヤツはだいたい友だちとか言いかねない勢いだ。
「野蒜っち、泡吹いちゃうんじゃない?」
「ははっ、頭が軽いね! 野蒜先生に、五代くんの剪定スキルを見せびらかしに行くから、期待しててよ」
柊夜は、いつも通りの甘いマスクで微笑んだ。来年以降、生徒手帳にバリカンで自分の髪に絵を描くなって余計な校則が加わります。後輩達、ごめんなさい。
「会長、短くすると本職と見た目の属性被るよね。ジャンル違うのになー」
五代が剪定鋏を持ったまま、頭を掻きむしって呻いてる。先端が頭に刺さりそうで、気が気じゃない。
「あ!八月の真っ昼間の、日向と日陰みたいな感じ。やっば、オレ言語化冴えてね?」
「自分で言ってたら世話ないですね。……五代くん、ありがとう。命拾いした」
「おうよ!じゃ、また明日な」
面談の開始時刻まで、あと十五分。廊下を歩いている最中、ふと柊夜の足が止まった。窓の外を眺めている。中庭へ向けられた彼の視線を追った。
ベンチに樫が腰掛けている。寡黙でどこか尖った佇まいのクラスメイトだ。一冊の本にじっと目を落とし、活字を追っていた。
彼と清澄が、全潜りの処置で入院していた間、僕はノートの写しを届けたついでに、図書室から代理で借りた原典の本を二人に渡した。
「ねえタモさん、本は清澄くんに貸したの?」
「どっちでしょうね」
「そっか。樫くん、何か心境の変化でもあったのかな」
「僕は義務を果たしただけですから。ほら、遅れますよ」
「またまたー、そんなこと言っちゃって。タモさんは素直じゃないんだから」
僕が進行方向へ視線を戻すと、柊夜は悪戯っぽく、探るような視線を僕に寄越した。手癖で髪をかきあげようとした彼の手が、何も掴めずに空を振るのが視界の端に見える。
僕は、思わず吹き出した。
進路指導室のドアをガラリと開ける。野蒜先生は柊夜の変わり果てた姿を見て、目を見開いた後、豪快に噎せた。
五代、君の剪定スキルは2.3メートルだよ。僕の制服に野蒜先生の吹き出した茶の飛沫がつきました。
「先生、大丈夫ですか?」
柊夜が追い打ちで背中を叩いている。絶対にわざとだ。可哀想に。野蒜先生の鼻から茶が少しはみ出している。
「さすがにこの髪なら、野蒜先生も絶対に間違えないでしょ」
「まだ根に持ってやがったのか。収穫祭のときに、また沙倉の兄貴を親御さんと間違えて頭下げちまったからな」
親族揃って株分けしたみたいにそっくりだからと、先生がボヤきながらソファーにかけ直す。先生の片袖が、ぷらぷら揺れる様子に冬を感じた。……短歌の季語にできないかな。
「──でね、重要文化財の元監獄をリノベーションした宿を閃いたんだ。放射状に廊下があって、当時の独房の鉄格子がそのまま残ってるんだよ」
進路指導室の長机を挟んで、柊夜の謎のプレゼンはすでに十分以上続いていた。推薦が既に決まっていた僕らの進路の話は、たった数分で終わってしまった。残りの時間は、ひたすら元生徒会長による雑談に費やされている。
「ヤドリギってさ、宿るに木って書くじゃない。鳥に運ばれて他の樹木にひとときだけ根づく植物……寝つく。つまり、ホテルなんだよね」
柊夜はすっかり軽くなった頭を小さく傾け、熱心に言葉を紡ぐ。
「独房という閉ざされた小さな空間、一筋の光の下で本をめくり、静かに思想が根づいていく瞬間を身体で感じるんだよ」
興が乗ると、ろくろを回すような手つきになるあたりが彼のお父さんそっくりだ。
「暗やみで根がはる様子を待つのさ。囚人が、自己の内側を見つめる時間を追体験できるストーリー。タモさん、ちょっと良くない?」
柊夜の口から出る言葉の端々に、さっき中庭で見かけた光景が混じっている。
園という箱庭で本を読む樫。その身体の内側では、清澄が他者の言葉を育てている。閉じた場所で何かを根づかせる。
……確かに、似ているかもしれない。
資料をパラパラとめくっていた野蒜先生の手がぴたりと止まった。先生の視線が、資料から柊夜の瞳へと移る。
野蒜先生にも見えているらしい。
「……沙倉。お前、相変わらずそういうのを見つけるの上手いな」
「どんどん褒めて。思考を根づかせる宿をチェーン展開できる青写真を見せられれば、タモさんが食いつく確証があるんだ」
「与謝野、お前はどう思う」
「ザル理論にも程がありますね」
僕が肩を竦めると、野蒜先生は苦笑混じりにペンを回した。
「毎回こんなのにつき合わされてるのか」
「ええ、気になっちゃって寝る暇がないんです」
柊夜は、思いつきを世界の真理みたいに語る顔で笑っていた。隣にいるのは、群体のなかの一つなんかじゃない。僕にとっては、明確すぎるくらい個体だ。




