やっちまったもんは仕方ねえだろ
「来ねぇな」
仰向けに寝転がったまま、俺は天井の隅をぼんやりと見つめていた。
防犯カメラ越しに常に監視されているはずなのに、引くほど静かだ。警報が鳴らないならセーフなんだろう。本当にヤバかったら、とっくに先公が踏み込んできているはずだ。
視界の奥が熱に霞んでいる。野郎一人分が原液みたいになって、俺のなかに入ってきた。身体の芯へ鉛を流しこまれたみたいだった。全身は重いが、動こうと思えば動けるし、息も吸えてる。
布団の横が広い。いつも当たり前みたいに埋まっていた場所にあいつの感触がない。
手足を広げて寝たのは久しぶりだ。
その代わり、心臓の裏っかわにあいつがいる。俺のなかに陣取った塊が、呼吸に合わせて嬉しそうに小さく膨らむのがわかる。
「お前、本当に全部入れたのか?……どう考えても、こんなもんじゃねぇだろ」
腹の傷に突き刺さった一番太い根っこをさすると微かに蠢く。俺の指先がどう甘やかすか、期待して擦り寄ってきやがる。根っこどころか、甘えた猫の尻尾だ。
視線をずらし、壁のカレンダーに目を向けた。赤いマジックで丸印がついている。月曜まで、あと一日。
時々、意識が沈みかけるたびに、あいつが俺の神経を一本一本、バカ丁寧になぞっているのがわかる。暗闇の中で手探りに俺の形を覚え直しているみたいだった。
「実質、俺がお前の着ぐるみみたいなもんだよな。ちゃんと動けてるか」
小さく脈が返ってくる。俺の身体なのに、もう半分くらいはあいつの巣だ。
……寒いから休眠するんだよな、余計な栄養を使わないように。でも、俺を吸うのに寝てる必要が本当にあるのか?
開花したら二週間しか保たないなら、普通につまんねぇだろ。
「靭……冬も起きてろよ 」
天井を見上げたまま、息を吐く。
もし本当に、こいつが俺の中から景色を見られるなら。俺の視界を、まるごと見せれるなら。靭は何を感じるんだろうと思った。
「俺の目を、お前の根でちゃんと繋いでみろよ。同じものを見たい」
光のない場所で生きてきたこいつが、俺の目を通して世界を見る。想像すると、自分で言うのも何だが、悪くないと思った。
「冬で白いもの……雪を見て、うそを見る。餅を食う。あと、コンビニの肉まんだな。ボサッと寝てる暇ねぇからな」
鼓動の隙間を縫うように、俺の皮膚の裏側から甘ったるく両手を叩かれる。俺にだけ伝わるやり方で。
⠐⠕⠃⠹⠣
脳裏に浮かんだ文字列に、ひどくむず痒くなった。炎症の熱とは別の理由で顔がじわりと熱くなる。
「いきなりなんだよ」
お互い派手にやりきったから、妙に気が大きくなってるんだろうな。あいつにしては直球な言葉に、俺はたまらず笑った。
熱い額を腕で隠す。
「……俺もだ」
月曜午前。管理棟内は流動化処置の準備で、慌ただしさに包まれていた。野蒜先生からの申し送りで、予定が丸一ヶ月近く前倒しになったせいだ。
異例中の異例だけれど、サポートなしで移行してしまえば、苗床の身体は激しいアナフィラキシーショックを起こし、寄生種もろとも共倒れになる。それだけは絶対に避けなければならない。研究成果としても、……私の立場としても。
デスクに置いていた私の端末が鳴り響いた。画面には『双葉台』の文字。嫌な予感がして通話ボタンを押した途端、スピーカーから裏返った悲鳴が飛び込んできた。
『樫が……樫 深蔭がさっき、保健室に来ました!「お腹の包帯が汚れたから、新しいのくれ」って……っ、めくったら、傷口から白いモノが、首まで……っ!!今、管理棟へ移送中です』
「は……?どういうことよ!」
私は電話口に向かって怒鳴り声を上げていた。野良の寄生ならショック死一択の緊急事態。心臓が早鐘を打ち、冷汗が背中を伝う。私はただ、執務室の入口を睨み据えることしかできなかった。
室内の空気が張り詰める中、ガチリとロックが外れる音が響く。部屋の中にいた全員の視線が、一斉に入口へ向いた。
「――え」
最初に声を漏らしたのは誰だったか。
樫 深蔭は、ひとりで立っていた。
いつになく気怠そうな様子で壁へ肩を預け、眠そうな目をしている。顔色は血液の巡りを全く感じさせないほどに白かった。
「……清澄靭は?」
誰かが呆然と呟く。この場にいる全員が同じことを考えた。暴走、あるいは定着の失敗。私の胃はキリキリと引き絞られる。樫は、ぼんやりした表情のまま、自身の腹へ手をやった。
「データ取るつもりだったんだろ、悪ぃな。こいつフライングで休眠しちまった」
私は我に返り、内線に手を伸ばす。
「医療チーム、処置室へ。今すぐ」
治療室へと慌ただしく搬送されていく樫の背中を、私はただ見送るしかなかった。拳を握りしめる手が震えている。
「……何で緊急停止が作動しないのよ」
管理画面にアクセスした職員のひとりが、青ざめた声を出した。
「か、管理棟PT-0921、異常なし。深夜帯異常検知ゼロ。拒絶波形、基準値以下です」
「画像認識は?ログを早く出して」
土曜未明から今朝にかけての映像が高速で流れ出す。そこに映っていたのは、血と植物の液でドロドロに染まったシーツの上で、ピクリとも動かず倒れている樫の姿だった。
「嘘でしょ。ふざけてるにも程があるわ……!」
頭がどうにかなりそうだった。樫という少年は死を恐れない。侵食される恐怖すら、当然のように受け入れてしまう。管理AIは彼らが生死の境で動けなくなっていた時間すら、ステータス正常と維持し続け、あろうことかシーツに広がった大量の赤を、靭クン由来の植物の分泌物と誤認していた。
「何なの、この欠陥システム。全潜りを本人判断に任せてどうするのよ!」
もし、あのまま手遅れになっていたら。靭クンのことも、この馬鹿な苗床のことも私は……。
医療チームの迅速な処置が終わり、安定剤が投与された。病室のモニターに表示される数値を確認し、私はようやくまともな呼吸を取り戻した。
ベッドの上の樫は、酸素モニターのコードを指へひっかけたまま、こともあろうに呑気に本を読んでいる。点滴の速度は最大。心電図の波形は異様なほどに安定していた。
あり得ない。本来なら、全身の血管は炎症で焼け爛れ、循環器はとっくに悲鳴を上げていておかしくないのに。
「樫クン、服をめくって」
「ん」
持ち上げられた院内服から覗く白い根が、彼の腹部から肋骨の下を這い、脇腹へ生々しく絡みついている。傷口は開いているというのに、内部では順調に定着が始まっていた。毛細血管に沿って、植物組織が綺麗に馴染んでいる。
喉がひくりと震えた。最悪なことに、全潜りとしては完璧に成功している。それどころか、目の前の苗床は意識を鮮明に保っていた。
「なんで当たり前みたいに動いてるのよ……自分が何したか分かってんの!?」
怒鳴り声にすらならなかった。
「週末、少し肌寒かったろ。あいつが寒がったから体温を分けようと思って……」
――ぱしん。
高い音が病室に響く。気づいた時には、私の手のひらが彼の頬を叩いていた。勢いで、樫の顔が横へ流れる。彼と私の年齢は十も離れていない。研究者と苗床、それだけのはずなのに。右手が痛みと共に熱を持つ。
「木曜までは野蒜が夜間巡回してた。先公が出張でいなくても、部屋に監視カメラがあるだろ」
あの子は、叩かれた頬に触れもしなかった。
「前に他班の奴らが事故った時、お前らはすぐに部屋に突っ込んできてた。本当にヤバい時は止めにくるのが園のルールだろ。あいつが潜ってから、アラートは一回も鳴ってないぞ」
「っ……、〜〜っ!」
どこまでも他人事のような物言い。人がどれだけ心配したと思って。気づけば目から、涙が溢れ出して止まらなくなる。
「これ以上カリカリすんなよ。まずは靭が生きてることを褒めてやったらどうなんだ。あいつ、ピンピンしてるぞ」
「……よかった。アンタたち生きてて……本当によかった……っ」
本当にバカな子達。靭の実質的な保護者として、彼らを見守る者として、私はただ涙を流すことしかできなかった。
「泣くほどかよ。ほら、化粧落ちるぞ。……拭くもんどこだ」
アンタも戸惑うことがあるのね。いい気味だわ。私は涙を拭いもせず、声を荒らげた。
「泣くわよ!!アンタは自分のことだけ考えてなさいよ!もう、アンタだけの身体じゃないんだからね!!」
ETCゲートを通過した直後、電子音が車内に響いた。ダッシュボードに固定した端末の画面に、本部からの緊急通知が表示される。スピーカーから流れてきた菅の声が、切羽詰まった響きを帯びていた。
『野蒜先生、全潜りです』
ワイパーがフロントガラスの雨滴を払う摩擦音の隙間で、声は事実を告げ直す。
『土曜未明に全潜りへ移行。現在、再構築フェーズに入りました。これより——』
「……は?」
無意識にブレーキを踏み込んでいた。
ハザードランプを点きっぱなしにした車が、高架下の暗がりに急停車する。タイヤが濡れたアスファルトを噛む音が、やけに遠く聞こえた。
「――すみません、火曜の午後五時頃にはそちらに私も向かいますので。よろしくお願いします」
——最近、空気がおかしかった。
兆候は確実にあった。あいつらは収穫祭以降、不気味なほど静かだった。嫌な予感が、張り付いていたからこそ、巡回の頻度を増やしたはずだった。
それなのに、よりによって外せない出張が重なった。現場環境を守るために、上の連中と泥仕合をしてでも通さなければならない必要な案件。頭では、嫌というほど分かっている。
「……クソ」
ステアリングを握る指に力が入る。自分が書類の山と格闘し、形骸化した議論に付き合わされている間に、一番目を離してはいけなかった生徒が危ない橋を渡ってしまった。
出張を無理にでも断っていれば。出発前、もう一度だけ彼らの部屋を巡回していれば。来週と言わず強制的に菅へ引き渡していれば——。
一度だけ深く息を吐いた。ハザードランプを消してアクセルを踏む。次の出張先まで、あと二時間ある。




