瞼から降る雨はしょっぱい
バタバタと準備に追われてる間に、収穫祭当日を迎えていた。園内はあちこちから呼び込みの声が響いて賑やかだ。なかでも、ひときわ人だかりができてる一角があった。生徒会の連中の販売スペースだ。
「ペア採蜜の詰合せ販売してまーす!」
「今期、初採蜜でーす。今ならシチュエーション音声つきの限定セットありまーす!」
机の上には、小瓶に詰められた琥珀色の蜜がずらりと並んでいる。その背後に飾られた特大のポスターには、白飛びした光に照らされながら、切なげに視線を絡ませ合ってる与謝野と沙倉の写真。顔の良さとポージングのクオリティが無駄に高い。小瓶のラベルには、これ見よがしな文字が躍っていた。
『相互定着記念 共鳴率80%の純度を君に』
「うわ、うさんくせぇ……」
「ストーリー性だよ。 今の時代、体験価値と関係性の提示が大事だから」
俺のぼやきを聞いて、沙倉が豪快に笑う。ヤツの頭には、プリプリしたクマ耳みたいな緑色の瘤が貼りついていた。
「ああ、これ? ついに僕はエナドリに勝ったんだ」
瘤を指さして、何故か勝ち誇った顔の沙倉。机の向こう側では、生徒会の役員どもが揃いも揃って、沙倉の瘤を完璧に再現した緑色のお団子カチューシャを着けて、キリッとした顔で並んでやがった。
「連帯感です!木を隠すなら森のなかといいますし!」
「樫君、この人たちを止めてください。こんなの公開処刑だ」
元凶である与謝野の頭にも、ぷりぷりのフェイクが載せられている。目は完全に死んでいたが、沙倉を吸って生気を取り戻したのか、ヤツの顔面にいつもこびりついてたクマは消えていた。
「ほらタモさん、お客様がきたよ。接客しよう」
沙倉が与謝野の肩をポンポン叩いて促す。
与謝野は言われるがままに、通りがかった客に蜜を垂らしたクラッカーを手渡した。わざわざ沙倉の手首に手を添えながら、上目遣いで客を見つめてやがる。
「これ昨日、生徒会長と二人で初めて採ったんです。味見してくれますか?」
見事なまでに台本くさい、公開イチャつき営業。スマホのレンズを向けられると、あざといまでの完璧な角度で微笑んでいた。
「え、すご……顔が良すぎる……」
「は、何これ……尊い。あの、二人のセットを3瓶ください!シチュボつきのやつ!」
ファンサービスのつもりなのか、客に品物を手渡すときも、いちいち距離がバグってる。与謝野、誰にやらされてるのか知らないが……お前も大変だな。
「樫君と清澄君も試食どう? もう少し客寄せしたいんだ。人が立ってると、黙ってても寄ってくれるんだよね。あまり声を張り上げてると、二日間もたないからさ」
「だとよ。靭、まずかったらこいつらに文句言ってやろうぜ」
俺は沙倉から差し出されたクラッカーを受け取って、靭の手に軽く触れさせた。指先がクラッカーの縁をなぞる。
「右側。そこ、蜜ついてるから気をつけろ」
「ん」
靭が口元へ運びかけたところで、蜜がとろりと指先を伝って垂れそうになった。反射的に手首を掴む。落ちかけた蜜を親指で受け止めて、そのまま角度を直してやった。
「悪い、こぼしかけた」
クラッカーが口に放り込まれるのを見届けて、指先に残った蜜をどうしようかと思っていると、靭がごく自然な動作で、俺の手を引き寄せた。躊躇なく、舌先が俺の親指を掠める。
「これ与謝野くんが採ったやつ?」
「よく分かったな。お前ちょっと怖えよ」
「わかるよ。だって甘さのなかに、隠しきれないケミカルな……あっ……」
これ以上余計なことを喋らせるわけにはいかない。俺は靭の背後に回り込むようにして、口元を腕で塞ぎにいこうとした。
「余計なこと言うなって」
別に、いつものことだ。吸器の位置を直してやるのも、食いづらそうな時に手を貸すのも。わざわざ意識するようなことじゃない。
なのに、なぜか周囲が急に静まり返った。
「……え、待って。今の見た……?」
「やば……ガチのやつじゃん……」
「今の演出じゃないの……?」
客の女どもが黄色い声を上げ、財布の紐をゆるゆるにしていく光景を見ながら、俺は眉間を押さえた。
「ね、タモさん。やっぱり作ってない関係性が一番売れる」
「商魂たくましすぎだろお前ら」
「あはは、ごめんね。僕らは全寄生ペアの生徒達みたいに命懸けじゃない分、せめて経済回して貢献しないと」
「それに、一般の来訪者があっちの展示区画に視線がいっちゃうと、お互い辛いでしょうから」
与謝野が全寄生の展示区画の方を見る。笑い声が弾けてるこの喧騒の向こう側で、あっちの方は妙に静まり返っていた。
生徒会のブースを適当に冷やかした後、靭と一緒に、全寄生の展示に足を運んだ。俺たちのこれからの参考にするために。
さっきまでの屋台の呼び込みや笑い声が、壁一枚を隔てた向こう側へ遠ざかっていく。周囲の家族連れの張り詰めた空気は、同じ収穫祭のはずなのに、明らかに温度が違っていた。
室内には、開花を終えた全寄生ペアの記録写真や報告書が、白いパネルに並んで照明に照らされている。
『母へ』
『担当教官各位』
『収穫祭来場者のみなさまへ』
報告書の書き出しは、遺書にしては柔らかすぎるし、感謝の言葉にしては息苦しい。
まるで進路相談会みたいなツラをして、人の最期がずらりと並んでいた。
「こちらが結実記録です」
野蒜が、家族らしい中年の夫婦に穏やかな声で説明していた。その声を聞きながら、すれ違いざまに白いパネルへ目をやる。
キレイに印刷された見出しのすぐ下。一週間前までクラスにいた奴の名前と、太字で『糖度:18.3度(良)』と書かれた文字が、嫌でも視界に飛び込んできた。瓶の横には、封のされた手紙。机を挟んで、年配の男女が涙ぐみながら何度も頭を下げている。
「ご子息さんは結実時の糖度が高く、適性も安定していて……」
ガラス瓶の中身を見る。赤黒いジャムの表面に、照明がぬるく反射していた。
「樫くん、ここは少し苦しい」
靭の白杖が、床を探るように小さく揺れる。目が見えないから、こういう都合の悪い、生々しいものは見えなくて済むだろうとどこかで油断してた。だけどあいつは、場の空気の変化を俺より敏感に拾っちまう。
「キツイなら、一回外出るか?」
「ううん、大丈夫……みんな静かだね」
来場者は展示を前にして、神妙そうな顔でパネルを眺めていた。並んでる開花標本はどれも完全に固まっていて、生きているというより、ただの彫刻を眺めてるみたいな気分になる。
「あー、いたいた。靭クン」
背後から、ヒールを鳴らす音と一緒に聞き慣れた声が飛んできた。さっきまで沈んでいた靭の顔が、ぱっと明るくなる。
「菅先生、来てくれたんだ」
「久しぶり。ちゃんと生きてるわね」
「出たな、クソババア」
「はぁ。まだくたばってなかったのね、この不謹慎苗床。ほんと不愉快だわ」
俺がぼそっと吐き捨てると、菅は露骨に舌打ちし、尖ったヒールの先が俺の足の甲を目がけて飛んでくる。反射的に一歩引いて避けた。
「避けてんじゃないわよ」
「踏まれる前提で突っ立ってるバカがいるかよ。……おい、それ持ってると邪魔だろ」
毒づきながらも、俺は菅の肩からバッグをひったくるみたいに受け取ってやった。資料だか靭への土産だか知らねぇけど、パンパンに詰まってて重い。
「あら、ありがとう」
さっきまで展示室の空気に気圧されてたくせに、菅が来た途端、靭はわかりやすく機嫌を戻していた。
「展示でも見てる」
適当に返して、俺は近くのパネルを眺めた。
特殊定着事例 回収標本
古江志空 / 密葉和良
寄生形態:完全全寄生
開花同期率:92.4%
結実安定期間:5日
二次定着:苗床側が完全に消失
現在:第七温室で経過観察中
直近の写真には、ラフレシアの分厚い五枚の花弁が、赤い艶を帯びて照明の下で光っている。古江のやつ、前より元気そうじゃねぇか。展示を見つめながら、俺はポケットに入っている、密葉の手紙の感触をそっと確かめた。
「菅先生、今日のネクタイはウツボ柄?」
「どうでしょうね。当ててごらんなさい」
背後で、靭が白杖を前に滑らせながら嬉しそうに菅に何か話しかけている。俺はあいつと繋がっている吸器が張りすぎない程度に、少しだけ距離を取った。背中のあたりで微かに引っ張られる感覚がしたけど、ちぎれるほどじゃない。
頃合いを見計らって、俺は展示個体の前にしゃがみ込んだ。炭化防止処理をされた、開花苗床だ。
「これ、まだ生きてんのか」
俺の独り言に反応して、説明パネルを読んでいた菅が、横目でこっちを見てくる。
「生命維持の定義によるわね。脳幹反射は残ってた。栄養循環も継続。寄生器官への供給も続いてたわ」
「じゃあ、苗床としては成立してるってことか。……この状態まで行ったら、もう元には戻らねぇんだろ」
「そうね」
試しに指先で、表面をコンコンと軽く叩いてみた。湿った肉の重い感触が指に返ってくる。
「木みてぇだな。でも中、空洞じゃ――」
次の瞬間、後頭部に拳が落ちてきた。
振り返ると、菅が仁王立ちしている。
「勝手に叩くな馬鹿者。反射が残ってる可能性があるでしょうが」
「……そうか。こんな状態でも、まだ感覚があるのか」
「痛覚の伝達がどこまで残ってるかは未解明。だから触診は最低限。刺激は必要なときだけ。靭クンに触らせるつもりなら尚更よ。アンタが先に乱暴な触り方してどうすんのよ」
「悪ぃ。知らなかった」
「知らないなら、なおさら慎重になりなさい」
菅は手袋をはめ、道管の拍動を探るみたいに、わずかな圧で表面をなぞっていく。
「樹皮化してても、内部の圧力は変動してるの。ここ、わかる? 呼吸に合わせて動いているでしょう」
俺は靭の手を取って、樹皮化したその表面へ導いてやった。あいつは指先でゆっくりと段差をなぞり、そのまま樹皮に顔を寄せてじっと耳を澄ませていた。
「ざらざらしてる」
「ああ。表面が木みてぇになってるな」
「でも、奥の方は動いてるよ。水が流れてるみたいな音がする」
改めて説明パネルを見上げた。栄養供給量、定着維持率、寄生側の生存時間……。まるで介護記録だな。
『開花後十二日目』と書かれた文字を見つめながら、俺は自分の腕の突起を撫でる。気づけば俺は、その展示個体に向かって、小さく頭を下げていた。
「……おつかれ」
「樫くん、どうしたの?」
「いや、こいつらはちゃんとやり遂げてて、すげえなって思ってよ」
菅の反応を見ると、苗床側が開花で食い破られた後も、くたばらずに意識がある可能性はゼロじゃなさそうだった。
「……なあ菅。この状態で二週間、本当に保つのか?」
「先生をつけなさい。……勿論、個体差はあるわ。安定状態にあれば、もう少し延びるケースもあるけど」
「苗床側は、どこまで生きてりゃいいんだ」
俺は、当たり前のことを確認した。
「循環維持と、最低限の代謝が機能してれば及第点ね。寄生側への供給経路には、場合によっては人工補助も使うし。……そんなこと聞いてどうするの。靭クンのため?」
「そりゃそうだろ。開花したあとで腹が減って枯れましたじゃ意味ねぇだろ。こいつが全力を出し切れるよう、保たせるんだよ。最期まで気合で」
菅が、小さく舌打ちする音が聞こえた。
「アンタ……自分のこと、なんだと思ってんのよ」
「苗床。お前だっていつもそう呼んでるはずだ。今さら何言ってんだよ」
「バカじゃないの? 根性論でどうにかなるわけないでしょ」
「実際、今までこれで保ってきた」
刺された時も、適性試験のときも。異常なまでの定着率も。俺は、何度も死に損なったからここにいる。ただの事実だ。
「樫クン。痛みを感じないことと、壊れてないことは別よ。アンタの体はもう正常じゃない。耐えられるから平気だって、自分で自分をごまかしてるだけでしょうが」
「靭が生きてるなら、何だっていいだろ」
「簡単に言わないで頂戴! 腹ぶち抜かれても死に損なったような奴が、自分の身体を消耗品みたいに――」
菅の顔色が一気に変わる。隣で、靭が小さく息を呑む音が聞こえた。
「……刺し傷? それ、どういうこと?」
「別に、大した傷じゃねぇよ」
静まり返る展示区画。周囲の来場者のざわめきが、急に遠くなった気がした。靭の呼吸がどんどん浅くなっていく。白杖を握りしめる手が震えていた。
「昔の話だ。今こうして普通に歩いてんだろ」
その返しが、余計にダメだった。靭の吸器が、不安定に波打つようにドクドクと脈打ち始める。
「だからアンタは説明が雑なのよ!」
自分の失言を塗りつぶすように、菅が俺を怒鳴りつけ、すかさず靭の肩を掴んだ。
「靭クン、落ち着きなさい。現在の循環値は安定。瘢痕は陳旧性。生命維持への影響は一切なし」
「でも……」
「でもじゃない。今ここで共倒れなんか起こしたら、誰がアンタたちを寮まで連れ帰るのよ」
菅は大きくため息をついて、ガシガシと髪をかき上げた。
「今アンタが優秀な苗床をやれてるのはね、靭クンが安心して根を預けてるからなの。そんな無茶な自己勘定を、本人の前で垂れ流すんじゃないわよ」
俺は、すかさず菅を睨みつけた。絶対にそれ以上言わせないだけの圧を込める。
「後で必ずあいつに話す。だから今はもう黙ってくれ」
菅は目を見開いて、呆れたような視線を俺に寄越すも、すぐに何かを察したようにフッと視線を落とす。
「そこまでにしろ三人とも。……ったく、ギャーギャー騒ぎやがって。来場者が気味悪がって展示を見られねぇだろ、邪魔だ」
気だるげな声が俺たちの間に割って入ってきた。振り返ると、いつの間にか保護者への面談を終えた野蒜が冷めた目で俺たちを見ていた。
「清澄、このバカの戯言をいちいち真に受けてやるな。……樫、てめぇがどんだけ頑丈だろうが、クソどうでもいい。だが、お前が身体を雑にすり潰す気でいるうちは、清澄はお前の命の重さにビビって、ろくに咲かないからな」
野蒜はのっそりと俺たちの背中を叩き、出口の方へと促した。
「お前ら、せっかくの収穫祭に小難しいパネルばっか見てないで、さっさと外の模擬店でも回ってこい」
菅はもうそれ以上、俺たちを追及するような視線は送ってこなかった。
そのまま、展示室を後にした。廊下に出ると、外の校庭から焼きそばのソースの匂いや、賑やかな声が一気に飛び込んできた。
靭は白杖を握りしめて俯いている。今にも泣き出しそうなほど、肩が波打っていた。自分の腹が裂けた過去なんて、俺にしてみればただの終わった事実だ。今さら痛くも痒くもない。なのに、あいつを揺さぶったことにだけは酷く焦っている。
「悪かった。不安にさせるつもりはなかった」
俺は靭の手首を取り、周囲の目を遮るように廊下の壁際に靭を押し込み背中で包み込んだ。
「嘘を言うつもりはねぇ。腹に二カ所、刺傷がある。全潜りのときまでには教えようと思ってた。その傷は」
――言えない。先を引っ張り出そうとした瞬間、脳の奥の分厚い鉄板がガシャリと音を立てて閉まる。ただ真っ暗で、何も掴めない。
「……後で、言えるところまでは話す。待っててくれるか」
俺の歪な心臓の音が、骨を通してあいつの吸器へ混ざり合っていく。カタンと、白杖が落ちる音がした。靭の細い腕が俺の背中に回る。
「言葉にしなくていい。僕に教えてくれようとしたことだけで十分だから」
残り時間を考えれば、俺が空白の正体が何かを説明できないまま、靭に丸ごと明け渡して終わりになることくらい、繋がっているあいつの根の方が、俺よりもよく知っていた。吸器の動揺がだんだんと静かになる代わりに、靭の目から雨みたいに腕へ雫が落ちる。
「樫く、」
呼びかけようとした靭の顎を、左手でそっと煽る。いつもの介助、溢れたものを拭おうとしただけのはずだった。わずかに上向いた靭の長い睫毛が、行き場をなくして小さく震えている。
この目は俺の過去を見ないし、俺の空白を責めもしない。でも、そんなふうに物分かりのいい顔で俺の空白をひとりで抱え込もうとするな。
言葉がダメなら、どうすればいい。
気づけば靭の閉じた瞼の上に、唇を寄せていた。
靭の身体がびくりと跳ねた後、背中に回されていた指先が、俺のシャツの布地をぎゅっと巻き込んだ。皮膚が薄くて柔らかい。言葉にできない俺の何かを、薄膜の向こう側へ無理やり押し込んで、ゆっくりと唇を離す。
「……しょっぱ」
気まずくなって、自分の唇を親指で拭った。




