樫くんは僕に甘いから
蝉の声がアスファルトの上で反響している。俺の頭にあるのは、どうやってこの暑さをやり過ごせるかだけだった。隣を歩く靭のTシャツが、汗で背中にぺったり張りついてる。周りの植物も萎れ気味だ。そもそも、この炎天下でバテないほうがおかしい。
「冷たいのでも食うか」
祭りの残り物みたいなかき氷の屋台を見つけた。暑さでダルそうにしてるおっさんに小銭を渡すと、削りたての氷が山盛りになって返ってくる。
「シロップはセルフなんだとよ」
「何味があるの?」
「当ててみろよ。十種類あるから、適当にかけてやる」
結局これ、全部同じ砂糖水なんだよな。色の違いで脳がだまされてるだけ。でも、視界が真っ暗な靭はどうなんだ。こいつにとっては、赤かろうが黄色かろうが関係なく、ただのみぞれ味なのかもしれない。
靭がどこにスプーンを挿そうと、シロップにあたるように。時計回りに四種類をあいがけする。
「靭、カップのせるぞ。手出せ」
並んでベンチに腰を下ろし、冷え冷えになったカップをさし出すと、靭は「うわっ」と目を細めて肩をゆらす。それを見て、ようやくこのクソ暑さがマシになった気がした。
「氷のてっぺんがここだ。山盛りだからがっつりいくと落とすぞ。気をつけろよ」
あいつに持たせたプラスチックのスプーンが、雪みたいにふわふわした氷をすくう。あいつは冬に休眠するから、雪を見たことがないんだっけか。
「いちごだ」
「チッ。即答かよ。つまんね」
サクサクと氷を削る音が心地よく響く。
「次はレモンで……これはメロン?」
「なんでだよ。お前、実は視えてんじゃねーの?」
「香りでわかる。食べたときに鼻に抜けるから」
いかにもといった、ウソくせぇいちごとメロンの匂いを味だと楽しそうに笑う靭の顔を見つめた。
(そうだな。別に俺も嫌いじゃねぇ)
「これならわかんねーだろ」
「あっ、ちょっ……樫くん?」
少し意地悪したくなって、靭の背後に回り込む。ひょい、と靭の鼻をつまんだ。鼻声になったあいつが、あわてて空をかく。
不意打ちで氷を口に放り込んでやった。
俺の腕を掴み返してくる靭の指先がやけに熱い。栄養になんなくても冷やさないとな。
「いちご?」
「残念。ブルーハワイだ」
「僕が外して喜んでるでしょ」
「当然だろ」
汗で張り付いた髪の匂いをすぐ近くで感じる。いつもの癖で、後ろから靭を羽交い締めにしていた。背後から胸元に腕を回して、あいつの身体を閉じこめている時が、一番落ち着く。
「これのどこらへんがハワイなんだろうな。靭、わかるか?」
問いながら、溶けて指についた青いシロップを、そのまま自分の口に入れた。
喉が焼けるほどクソ甘い。
「鼻つまんでなくても、何の味かと言われると正直わからないや」
「だよな。そもそもハワイなんて行ったこともねぇ」
人間は曖昧なものに名前をつけて、違うもんだと思い込んで生きてる。
「でも樫くんが相手なら、もう当てられる」
「吸器か? ずりぃだろ」
「ううん。何度も食べてたら当てられ……うっ、頭いたっ。氷が冷たすぎる」
「はは、ざまあねえ。お前もそうなるんだな。わ、喉冷てぇな。……大丈夫か?口ん中の天井、舌であてとけ」
「変なの。あんなに喜んでたくせに」
「黙って言うこと聞け。……吸器、変な感じしてねぇか?」
時間が経つにつれて、山盛りだった氷はどんどん溶けていく。
――境界が溶け合うことは美しい
ふと、沙倉あたりが言いそうなセリフを思い出した。同じ苗床なのに、俺は奴が言うようなきれいごとを素直に信じられない。実際、目の前の溶けかけのかき氷は、あいがけにしたシロップが混ざり合って、カップの底でなんとも言えない色ができあがっていた。
靭の方を見る。あいつが氷だとして、俺みたいな掃き溜めを流しこんだらああなる。あいつ、本当に白く咲けるのか……?
「もう何味かわかんねぇだろ」
「でも、甘いよ。……あと樫くんの味がする」
あいつが最後の一口を飲み干したのを確認して、靭の口元にこぼれたシロップを、親指の腹でそっと拭った。あいつの肌はようやくひんやりしたが、内側がやっぱりまだ熱い。
拭ったばかりの親指を見つめる。
……やっぱり、汚え色してるな。
そのまま自分の口に入れる。
「靭。……俺にはわかんねぇよ」
***
帰り道、夕陽が靭の白い髪をオレンジ色に縁取った。かき氷のシロップみたいだと思って、すぐに打ち消した。
日が落ちてきたにも関わらず、アスファルトの照り返しは、さっき胃に流し込んだばかりの水分を歩くそばから奪っていく。寄宿舎の玄関をくぐる頃には、山盛りのかき氷の水分なんてとっくに消えていた。それが夏のリアルだ。
共用の冷蔵庫の前で足が止まる。俺は飲み物を適当に掴み上げた。
「カルピスでいいか」
「知ってる。白だ」
「飲んだことあるのか」
「ううん。でも、樫くんは何でも白にしようとするから、すごくわかりやすい」
思わず舌打ちする。コップと氷を抱えて流し台へ向かいながら、紙パックを振った。
「牛乳割りでいいな。適当に薄めるぞ」
コップにカルピスを注ぎ氷を放る。白い液体がゆっくり渦を巻いた。そこへ牛乳を注ぐ。無理やり引き離されたものが元サヤに戻るだけだ。マズくなりようがねぇ。靭は、おれがかき混ぜる音をじっと聞いていた。
「ほらよ」
差し出したコップを靭は両手で受け取り、そっと口をつける。ごくり、と喉が鳴った。
「甘いか」
「うん、味が濃くて……え、なに? 膜? 口に残る。ふふ、なにこれ」
「謎だよな。なぜか口にくっつくんだよ。別に毒じゃねえから飲み込んどけ」
「これ、初恋の味って言うんでしょ?ラジオで聞いたことがある」
余計な知識仕入れやがって。俺も自分の分を飲む。冷えた甘さが喉を滑り落ちた。
「牛乳が入っていても、ちゃんと違うね。……合成肥料と樫くんも、このくらい違う」
「肥料と飲物一緒にすんなよ。いや、お前は同じモノ扱いで合ってんのか」
氷がカランと鳴る。
「でもよ、合成肥料と俺は別にかわんねーぞ。元は同じ掃き溜めのヤツだからな」
「合成肥料は均一なんだ。牛乳と一緒かな。紙パックの牛乳はずっと同じ味がして、牧場のは違う……?」
「そりゃ生モンだからな。体調とかあるだろ」
靭は首を傾けた。
「樫くんは毎日違う。怒ってる時は苦しそうで。眠い時は、あったかい味がする」
「そういうもんなのか」
「あとね、嬉しい時は甘い。今がそう」
耳が妙に熱くなる。そんなもん、知られてたまるか。俺はカルピスを一気に煽った。
「お前の舌どうなってんだよ。根っこに味覚でもあるのか」
「僕もよくわからない。不思議だね。でも樫くんだけは、絶対に間違えない。間違えようがない」
「おい、剪定鋏はどこだ」
「探してないくせに、ウソつき」
本当にやりづらい。あいつは俺のちょっとした動揺までも、俺以上に悟っている気がした。結局その日眠りにつくまで、ずっと目の前にいるはずのあいつの顔を見ることはなかった。
***
「いくぞ、せーの」
大きく腕を振る。靭が俺の声を頼りにシーツを弾ませると、真っ白な布が空中でアーチを描いた。視界を遮るように膨らんだ布の向こう側で、あいつが慣れた手つきで端を掴み、物干し竿にかけていく。
物干し竿の向こうとこちら。シーツをピンと張るたび、あいつの指先が布越しに何度も触れ合った。
「樫くん、そこ少し弛んでる」
「わかってるよ。……指どけろ。挟むぞ」
靭の指をどかそうとして、結局その手を丸ごと握って場所を直す。干し終わって布地を見つめる。光を透かした白は、目が潰れそうなほど明るい。
「樫くんの言うとおり、すぐ再会できたね」
「うるせーよ」
シーツの布地が俺を嘲笑うかのように、風にたなびいていた。




