世界でいちばん幸せな嘘つきになる
――思い切りよすぎだろ。
葉っぱの一枚すら持たず、咲くことだけに全振りした姿。黒板の前のモニターには、森の中で白く透き通るギンリョウソウと、ウインナーみたいな赤い実をぶら下げたツチアケビが映し出されている。
隣の席で、靭がヘッドフォンを耳に当てて、タブレットの読み上げを聴いていた。先公の声を追いかけるように、あいつが点字タイプライターを黙々と叩く音が響く。
「諸君が、このギンリョウソウのように美しく、ツチアケビのように鮮やかに咲くためには、条件が必要になる」
チョークが擦れる音と共に、黒板に硬い漢字が並んだ。
【広範囲種子散布における男性個体特化の利点】
「一般的にヒトは恋を経て繁殖し、家族という安寧を求める。しかし、そこに至ると命を燃やす強い熱が失われる。諸君らをあえて男子のみの閉鎖環境に置く利点、それは……」
黒板にTだかUだか記号が加わった後、『行き止まりを活かす』と大きく書いた文字が囲われた。
「おしべが本来持つ、種を遠くへ飛ばそうとするエネルギーに圧力をかけることで、膨れ上がる熱が最高質の開花へ至る源泉となる。寄生種諸君の想いは、苗床の内側へ深く潜り……」
俺は隣の四十八願に声をかけた。
「なあ。……この学校に女いねえの、やっぱりわざとなのか」
「ようやく理解した? ビギナー。そ、ここは最初から勝利条件がナーフされた、詰んでる盤面だよ」
四十八願は、手元のエナドリを一口啜り、鼻で笑った。
「てかあれ、クソ数式すぎるよな。エネルギー保存則をオカルトに持ち込むなよ」
「俺が黒板に書いてあることわかるわけねえだろ」
「あーね、要するに先公の理屈がキショいって話」
「で、話戻すが。平たくいうと、男同士じゃヤリようねぇってことか」
「半分当たり」
四十八願は首筋の管を指で弾いた。
「家族ができたら、恋愛とかまるで別ゲーになっから。色んなモン大幅デバフされる上に、母親はガキに愛情全振り。しかも腹の赤ん坊は母親から栄養とって当たり前だからな。生物的には正解ムーブでも、上の奴らにとっちゃ都合悪ぃらしい」
隣で、樋口が相変わらずスマホを叩いている。珍しくいつものアクションゲーじゃない。
「人間って無理ゲー強いられると、限突しようと生命力的なものをバーストできるっぽいんだよね。実際何度も見てっし。それを、技術的誤認に全ツッパさせるわけ」
「……寄生種はさ、多かれ少なかれ苗床を自分を受け入れる唯一のメスだってバグるようパラメーター弄られてんだよ。特に俺らみたいな全寄生は、寿命短いけど瞬間火力が壊れだから。タイパエグすぎて草」
樋口の画面では、煌びやかなアバターの女性がハートのエフェクトを飛ばしている。ヤツは、実体のない光を愛おしそうに見つめていた。
「生身なんてリソースの無駄。どうせ俺、すぐサ終するし」
「樋口、お前またそれかよ」
四十八願が呆れたように樋口の頭を小突く。
「こいつ、所属クランの姫にガチ恋してんだよ。オンラインの繋がりだから、本当に女かどうか怪しいけどな」
「……推しは俺を寄生種なんて呼ばないし、死ぬことも知らない。なんで、同じ空気吸ってるだけのヤツとガチ恋しなきゃいけねーんだよ。キモすぎる」
樋口の指が投げ銭ボタンを連打している。スマホの向こうで、アバターが「養分共、今日もナイススパチャ〜♡ 」と甘ったるい声を出していた。
「はは、養分呼ばわりされてニチャついてるし。寄生種のプライドどこ行った」
「ねーよ、んなもん。運営が用意したテンプレのクソEDなんているかよ。俺の最期はオンラインで推しのエイムで抜かれて死ぬ。完璧なヘッドショットで、一瞬でリス地なしの死に……それしか認めない」
「おいそこ、私語は慎め」
「教官も言ってるし、俺は画面の向こうに潜るから」
樋口は再びスマホに目を落とす。四十八願がエナドリを置く音、誰かがプリントをめくる音。靭が点字タイプライターを打つ音。ざわめきのなかで、俺はわざと左腕の力を抜いた。
靭が混ざってくる。吸器ごしに俺の中に入る、あいつの熱の行き先をただ見ていた。
種を飛ばすだけなら、あいつらはもっと単純な生き物のガワを被ればよかったはずなのに、わざわざ人間。先公は、心がどうこう言ってたが。
(人間なんてそんないいもんじゃねぇよ)
開花の足しになるような立派な心なんか持ってねぇ。それどころか、何もない空っぽだ。
(⠺⠴⠅⠪⠞⠅⠃)
いつの間にか靭は、俺の腕のなかで根っこの範囲を広げていたらしい。小器用に俺の皮膚の下から無駄口を叩いてきやがる。あいつはこの先、不便な身体のせいで何もないはずの俺に対して、誤認とやらにふりまわされることになるのだろう。
視線を横に逸らすとあいつの腕が見えた。相変わらず先公が眠たい授業を続けるなか、熱心に文字を打っている。
( ⠳⠁⠄⠻⠅⠀⠉⠺⠝⠣⠇⠀⠅⠙ )
(⠻⠡⠃⠐⠟⠀⠃⠗⠐⠥⠴)
(⠡⠕⠐⠣⠩⠴⠞)
「さっきから、何言ってるかわかんねーよ」
吐いた言葉とは反面に、自分のツラがにやけていた。時計の針の音がやけにゆっくり感じる。
カチ、と音がするたびに熱がくる。俺は、チャイムが鳴るまでバカみたいに数を数えていた。
(あいつの指が遠いな)
※
これ以上ないくらいの夏晴れだ。ベランダに出た瞬間、じりと肌が焼けるような熱気が身を包み、サンダル越しに足裏を刺す。
洗濯を終えたばかりの布地は、まだ水気を含んで重たい。あいつがシーツの端を指先で探り、握りしめるのを待ってから声をかける。
「そっち持ったな ……いくぞ、せーの」
大きく腕を振る。靭が俺の声を頼りにシーツを弾ませると、シーツが空中でアーチを描いた。視界を遮るように膨らんだ真っ白な布の向こう側で、あいつは腕を伸ばし、洗濯バサミで挟んでいる。物干し竿の向こうとこちらで半分ずつ。シーツをピンと張った。
物干しにかかったシーツは、風ではためくたびに生ぬるい風を運んできた。
「朝っぱらからシーツ剥がしてよかったな。暑いから即効で乾く」
「樹液なくなったね」
靭が乾いた部分に頬を寄せ、目を細めた。朝の生臭い気配なんてない、ただの清潔な布だ。
「おひさまの匂いがする」
白いシーツが夏の光に透けて眩しい。真っ白な光の中に、あいつの白い肌も、髪も、Tシャツも混ざり合っている。
急に風が吹いた。パンッ、とはりのある音を立ててシーツが大きく膨らみ、靭を包み込むようにバサバサ覆いかぶさってきた。
「わっ……!」
布を被ってお化けみたいになってやがる。
あいつはスンスンと鼻を鳴らしたかと思うと、被ったシーツの内側でじっとしていた。
「嗅ぐなよ、馬鹿」
「生きてる匂いもなくなっちゃった」
靭が寂しそうな声で呟く。石鹸と柔軟剤の匂いが、夏風に煽られて流れていった。
「そうかよ。どうせすぐ再会できるぞ」
見上げると、どこまでも青い空に真っ白な入道雲が浮かんでいる。
「お前のせいでな」
胸がこんなにざわつくのも全部。
言いたいことは蝉の声が飲み込んだ。
点字対訳
⠺⠴⠅⠪⠞⠅⠃
そんなことない
⠳⠁⠄⠻⠅⠀⠉⠺⠝⠣⠇⠀⠅⠙
しあわせな うそつきに なる
⠻⠡⠃⠐⠟⠀⠃⠗⠐⠥⠴
せかいで いちばん
⠡⠕⠐⠣⠩⠴⠞
かたぎくんと




