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不謹慎な脳みそのごほうび

 担任の野蒜から指定された、道管の開通確認の日が来た。授業を途中で抜けて、靭と一緒に実習室へ向かう。


「野蒜先生から聞いてると思うけど、今日は記念すべき一回目。靭クンの吸器が、苗床クンの血管に正しく接続されてるか確認させてもらうから」


 デスクでキーボードを叩きながら、気だるげに髪をかき上げた女がこちらを振り返らずに言った。今日の測定の立会いをする菅だ。靭がいた研究室から、わざわざ派遣されてきたらしい。


「測定項目に宿主組織への浸潤効率があるから協力してね。……簡単に言えば、靭クンがアンタの組織をどれだけ鮮やかに騙して、自分の一部だと思い込ませるかの検証。とにかく靭クンをリラックスさせて、心地いい餌場を提供すること。分かった?」


 菅の声を背中で聞き流しながら、パイプ椅子に座る靭の前に立った。茶化しつつ靭のシャツの裾に手をかける。


「そういや、お前の根っこ、まじまじと見たことなかったな。真田のよくわかんねぇ式で出てきた記号……なんだっけ、シグマ? ああいうヒゲみたいに、ひょろひょろなんじゃねーの」


「樫くん、あの記号そんなに気に入ったの?」


「まあな。で、お前、背中のどこに根っこなんて隠してんだよ。ここか? それともこっちか? ……俺の中に入る前に、ちゃんと挨拶しやがれ」


「ふふ、くすぐったい」


 靭の裾の下から覗く、白く細い糸みたいな根をじっと見つめて尋ねた。


「……なあ、靭。触ってもいいか?」


「待って。心の準備するから。……少しだけ、待って」


 靭は消え入りそうな声で言うと、シャツのボタンを一つずつ外していく。やがて布地が肩から滑り落ちて、剥き出しになった肌が空気に晒された。俺はゆっくり手を伸ばして、あいつの背骨から生えてる根をひとつずつ、確かめるみたいに指でなぞっていく。指先に根が吸いつくように触れた。


「……っ」


 心臓の音が、急に耳の奥でうるさく鳴り始める。触れてる場所から、じわじわ熱が体中に広がってく気がした。


「キレイだな。たてがみみてぇだ。白くて、ふわっとしてる」


「キレイだなんて、変だよ」


「変じゃねぇよ。お前の一部だろ」


「ほら、遊んでないでさっさと始める。失敗したら靭クンは栄養失調で枯れちゃうし、アンタはただの無駄死に。高い助成金かかってんだから、気合入れなさい」


「わかったよ。ほら。靭、来いよ」


 右腕を差し出すと、あいつの根が遠慮がちに伸びて、外科手術で刻んだ突起に触れる。ケロイド状に固定された俺の名前の六文字に。


 根で皮膚を刺された瞬間、血管の裏側をザラついた舌で舐められてるみたいな、妙にむず痒い感覚が走った。自分の腕を、どこか他人事で珍しいものを見る気分で眺める。


「おー、やってるやってる。ははっ……血管のカーブに手こずってやがんの。頑張れ、『た』を通り過ぎたから次は『か』だ」


 肘の内側から入り込んだ根っこは、モニターの中で血管を辿って、じわじわ指先へ進もうとしてる。俺の皮膚の下でモゾモゾ動く様が、歩き始めたばっかりのガキみたいで、なんだか笑えてきた。


 勢いでつけたブツブツが、ちゃんとあいつの道しるべになってると思うと、反吐が出るような自分の名前も悪くない。


「指まで届いたら、お前みたいに点字が上手くなるか? 神経乗っ取れるんだろ」


「脳幹まで這わせないと、そういうことはできないんだって。先生が言ってた」


「じゃあ、まだ先の話か。気が長ぇな」


 ついに、根の先端が人差し指の先まで届いた。透けた皮膚の向こう、青い血管の周りを靭から伸びた細い根が張ってるのが見える。


「届いた。樫くんの中に着いた」


 靭が手応えを感じたように呟いた瞬間、俺はモニターに向かって拍手したくなった。


「ついに完走か。……さっき一瞬迷子になりかけてたのに、最後はビシッと決めたな」


「先生、見ろよあいつ。血管の壁を、一生懸命ぶち抜こうとしてやがる。よし、……いい子だ。頑張れ」


「おーよしよし、なんてふざけてるところ悪いけど、耳だけこっちに貸しなさい。今あんたたちの内側でどれだけ凄いことが起きてるか、教えてあげるから」


 菅はキーボードを叩く手を止めて、大型モニターを指し示した。靭の言う通り、奴のデスクにあるマグカップには、口を大きく開けたウツボの絵が躍ってる。


「一般的に、寄生種が宿主の血管をこじ開ける際、ペクチナーゼやセルラーゼといった酵素を分泌して組織を強引に溶かすわ。当然、宿主の身体はそれを外敵と見なして激しい免疫拒絶反応を起こす。普通なら、拒絶反応の指標であるIL-6の血中濃度がベースラインの100倍……苗床クンの腕には壊死斑が出てもおかしくないはずなのに……」


 小難しいことをまくしたててる。一応聞いといた方がいいんだろうけど、そんなことより、俺の身体を使ってあいつが必死に命を繋ごうとしてるって事実に、どうしてもニヤついてしまう。


 今だって、吸われてる実感はない。ただ、自分の指の感覚が靭と同じ色に染まっていくような、柔らかい重みが降り積もる。俺の脈があいつの根を揺らしてると思うと、変な感じだ。


「お前、すげー頑張ったじゃん」


 静まり返った実習室で、モニターが鮮やかな断面図を映し出してる。ついに俺の血管に、靭の根が迷いなく入り込んだ。モニターから目を逸らさないまま、靭の手を強く握りしめる。


「根っこが一秒だって無駄にしねーぞって感じで、俺の血管を探り当ててやがる」


 あいつの根が、俺の血管を微かにトクトク叩いてるのがわかる。報酬系とやらが効いてるのか、靭の侵入を喜んでる自分がいた。


「さっきも言ったけど、根じゃなくて吸器ね」


「そんなの、どっちだっていいだろ」


「よくない。名称は大事なの。……それにしても、順調すぎて怖いくらい。免疫拒絶応答が2.1%って……」


「2%? 順調ならいいんじゃねーのか」


「小数点以下を端折るな。本来なら全力で排除されるべき靭クンの吸器を、樫クンの白血球は、傷ついた自分自身の組織だと誤認してる。排除どころか、むしろ健気に保護して、修復の手助けまで始めてるわよ」


 菅は淡々と測定機を操作しながら、俺に水を飲むように促した。靭がちゃんと吸えてるか確認したいらしい。


 言われるがままに水を飲む。しばらく待ってると、モニターの中で俺の血管をがっつり抱え込んだ靭の吸器とやらが、ゴクン、と脈打ち透き通っていく。


「おー、来た。今、俺が飲み込んだやつが、お前の中に入っていったぞ」


「えっ……? 分かるの?」


「分かるも何も、丸見えだ」


 モニターの光景を自分の目に焼きつける。靭が視えない分、俺が全部見届けておきたかった。


「そうなんだ。僕、樫くんの中でちゃんと生きてるんだ。すごいね……」


「ああ、すげーキレイだぞ。お前が頑張って食ってるのが、俺の体を通って繋がって……わ、今のなんかエロいな。血管の中まで指突っ込まれてるみたいだ」


「か、樫くん……っ? 変なこと言わないでよ、先生だっているんだから」


「だってよ、肉の内側まで入ってきて、血管一本まで抱き込まれるとか、普通ありえねーだろ」


 身をよじる靭の背中で、吸……根っこでいいや。とにかくそれが、さらに血管に食い込む。モニター上で、あいつの心拍数が跳ね上がっている。報酬系が加速したのか、侵食が生々しくなった。


「成程な。真田が言ってた侵食は、俺の全部を犯しにくるってことか。靭、やべーなお前」


「そんな言い方……っ」


 スコンッ!!


 後頭部に、分厚い報告書の束が叩きつけられた。


「痛っ……! んだよクソババァ」


 菅は眉間を揉みながら、報告書の角をトントン整える。


「クソババアじゃなくて、お姉さん。口を慎みなさい、このムッツリ少年。こっちは真面目に、特級検体の死活問題をデータ化してんの。自分の血管の中を覗かれて、そんなバカな感想しか出てこないわけ?」


「樫くん、菅先生に失礼だよ」


「失礼もクソもねーだろ、事実だ」


「もう一発必要かしら、これ」


「わかった、悪かったよ! でも、こいつに状況を教えるのが俺の役目だろ。言葉くらい好きにさせろよ」


 俺の体が、靭を自分の一部だと思って受け入れて、靭も俺の血を飲んで生きる。あいつの頑張りが、俺にはエロく見えた。ただそれだけのことだろ。


「はぁ……。脳波が跳ね上がった根拠に、アンタのセクハラ発言を正確に書かされるこっちの身にもなってちょうだい。ったく、無駄に報酬系を跳ね上がらせて。靭クンも、顔を赤くしてないで吸器を安定させる」


 菅の目は結合効率の数値を凝視していた。今のところ、数値を0.3の範囲内にしておかないと、あいつの体に負荷がかかって危ないらしい。


「なあセンセ。今日は魚のウツボ柄のネクタイしてきてねーのかよ。靭から聞いたぜ、ウツボが好きすぎてこいつにトンチキな名前つけたって」


「樫くん、ダメ。菅先生は本当にウツボのことになると止まらなくなるから、話振っちゃダメだって」


「え、私の推しの話聞きたい!? あの強靭な顎、一切の無駄がない流線型の肉体! 狭い岩陰に潜み獲物を確実に仕留める強さ! そもそもウツボって、実は咽頭顎っていう第二の顎を持っていて、獲物を食道まで引きずり込む機構が――」


「ほら、始まっちゃった……」


「あっ、話してる間に靭クンの吸器が苗床クンの血管をさらに抱き込んだわよ。見て、この吸器の食い込み方! まさにウツボの捕食そのものじゃない。……ゾクゾクする」


「んだよ、結局センセもエロいと思ってんじゃねーか」


「黙らっしゃい。私はアンタと違って、生物学的な機能美を褒め称えてるの! 苗床クンは靭クンの餌らしく、黙って大人しく座ってて!」


 菅は笑い、再びモニターに視線を戻した。奴のウツボ愛をひと通り聞き終えた俺は、繋がっている方の腕をぐいと持ち上げた。


「なあ。靭は、先生が言う魚のウツボみたいに、ちゃんと俺のこと噛めてるか?」


「モニターの数値は雄弁よ。基準値の12.5倍。普通じゃ、この同化速度はまずあり得ないわ。逆に休眠時期が来る前に全潜りしちゃわないよう、こっちで見張ってなきゃいけないくらい……」


 菅が呆れたように断面図を見つめてる。


「冬までは、いい感じに抑えてろってことか。でもよ先生、靭が名前に恥じねーくらい、立派な捕食者になろうとしてんだろ。お前、靭の先生なんだから、画面ばっかり見てねーで褒めてやれよ。素直じゃねーな」


 俺が毒づくと、菅は一瞬キーボードを叩く指を止めた。モニターを見つめるその横顔は、データしか見てねぇウツボ狂いの変質者には見えない。子供の成長を祈るような必死さが混じっていた。


 数値が安定しているのを確認して、菅が小さく溜息をつく。ホッとしてやがる。でも、あいつにはそれが見えない。靭は、菅の言葉だけを受け取って不安そうにしている。


「……菅先生、怒ってる?」


 靭の声に、菅はまた先生の仮面を被り直した。


「怒ってないわよ。ただ、あんたたちのバカげた同化速度をどう論文にまとめるか、頭を抱えてるだけ……はい、記録終了。Lによる出力増幅、理論値以上を確認。二人ともお疲れさま。ひとまずは及第点。苗床クンの不謹慎な脳みそが、靭クンの成長を助けてると思うと本当……反吐が出るほど、完璧な苗床ね。ムカつくわ」



 菅は吐き捨てると、椅子を回転させて背を向けた。そのまま、中身がなくりかけたマグカップを両手で包み込む。俺の腕に食い込む根を反射したモニターごしに見つめる先生の瞳は、さっきよりずっと柔らかな色が混じっていた。


「及第点だってさ。お前、ほんとすげーよ」


 俺は靭の肩を引き寄せる。素直じゃねぇ先公に代わって、あいつを抱きしめた。腕の中の靭は、ただ静かに俺の胸板に額を預けている。


 ――なんだよ、返事もなしか。


 繋がってる場所から何が流れ込んで、あいつが今どういう状況なのか。今の俺には、逆立ちしたって分かってやれそうにない。


 ……この胸の奥を焼くような、不快な熱を他の奴らは、どんな名前で呼んでるんだろうな。ただ、言葉の出口を塞がれたまま俺に縋りついているこの温度だけは、誰にも渡したくない。


「ほら、終わったんだからさっさと出ていきなさい。次の授業が始まるわよ」


 菅は、愚痴りながらデスクの脇に落ちていた靭のシャツを拾い上げた。慣れた手つきで布の皺を伸ばしながら畳んで、空いたパイプ椅子の上に置く。靭の前で何度も繰り返されてきたであろう、母親みたいなしぐさだ。


「靭。行くぞ」


 俺の声に、靭が椅子から立ち上がる。無防備に晒された白い肩に、俺は畳まれていたシャツをひっかけるようにして着せた。


「吸器、巻き込まないようにしろよ」


 俺の腕に食い込んだままのあいつの根っこが、布地に引っかからないよう脇のファスナーを滑らせながらボタンを掛けていく。


 吸器ごしに、靭の微かな熱が俺の脈に逆流してくる感覚がある。……あいつ、こんなに必死になってたのか。


「ごめんね、いつも」


「気にすんな」


 短く返し、椅子の背に立てかけられていた白杖を取って、靭の右手に握らせる。あいつが白杖を一度振って足元の感覚を確かめると同時に、俺は左腕を差し出した。


「外れそうになったらすぐ言えよ」


 靭の歩幅に合わせて歩き出すと、背後から菅のキーボードを叩く乾いた音が再び響き始めた。 


「靭クン」


 呼び止める声に靭が振り返る。菅はモニターを見たまま、顔も上げずに告げた。


「私の調整なんていらないくらい、苗床クンに馴染んでる。……自分の力を信じなさい」


 菅の声は、独り立ちしようとするあいつの背中を無理やり押し出す不器用なエールに聞こえた。

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