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俺がお前の終宿主でいいんだろ

 周りの連中の笑い声が、やけに遠く聞こえる。俺は教室で非常勤の真田からぶんどったスマホの画面を睨みつけていた。机の脇には、図書室から借りてきた漢和辞典が居座っている。


『研究報告書 全寄生種における神経同調の報酬系と全潜りの最適化』


1. 全潜りにおける拒絶の定義と物理的限界


 全寄生種が宿主の個性を完全に破壊し、全神経を簒奪する行為を全潜りと定義する――。


 真田が書いた論文を開く。見たこともない漢字と数式、専門用語ばかりで目がしょぼつく。中坊の時点で塀の中にぶち込まれた身からすりゃ、呪文と変わらねぇ。


「……さん、だつ」


 辞書を眺めながらルーズリーフに書き写した文字の一つひとつに、ふりがなを振っていく。靭は目が視えない。本当は点字の方がいいんだろうが、今の俺にこの長文を打てる気はまるでしない。


 あいつに、時期が迫ってる導管の結合テストと、これから向き合わなきゃいけない全潜りとやらに必要な知識を届ける。その一心で、喉元まで出かかってる「やってられねえ」って言葉を無理やり飲み込んでいた。


「何やってんすか、本職。だいぶ珍しいことしてんね。空から槍でも降ってくるんじゃない?」


「るせぇよ」


 背後からニヤついた声が飛んでくる。五代だ。そいつの声につられて、他の奴まで物珍しそうに寄ってきた。


「何これ、暗号? 一文字も読めねーんだけど」


「だろうな。ルビ振ってんだよ。清澄に読み聞かせなきゃいけねえからな」


 唸るように返すと、五代がわざとらしく指を鳴らした。


「それなら辞書なんて引かなくても、AIに読ませればいいじゃん。俺も漢字とか式とか意味わかんねーときに、全部食わせてるよ。じゃないと、俺の場合マジで日が暮れるし。タイパ重視っす」


「AI? なんだそれ」


「まあまあ、ちょっと借りるよ」


 俺が眉を寄せた隙に、五代の手が真田のスマホを勝手に操作し始めた。真田の文面をコピペして、何かのアプリにぶち込んでいる。


「とりあえず、数式とかグラフはバグるから飛ばして……よっしゃ、再生」


 スマホのスピーカーから、いかにも機械くさい、妙なアクセントの声が流れ出した。


『――ああ、運命の終宿主よ。君の胃の腑という柔らかな祭壇で、私はようやく完結した詩となる。幾万の私が君のすべてとなり、永遠に解けない白銀の鎖となるのだ――』


「……は?」


 間抜けな声が漏れる。再生されたのは、客観的な事実もクソもねぇ、真田のクソ痛いポエム。


「白銀の鎖……ブフッ! 条虫の分際で、随分ロマンチストなんだね彼は」


「わ、眞継パイセン汚ねっ! 鼻から茶が出てる。ああもう、拭いてくださいよー」


 五代の隣にいた眞継が盛大に茶を吹き出したらしい。引きつった笑い声を上げながら、猛烈に咳き込んでいる。


「うわぁ……コンプライアンス的にアウトな香りしかしないですね」


 遠巻きに様子を見ていた与謝野が、なんとも言えない顔で呟いた。その目は、今この瞬間も知らないところで自分のポエムを晒し者にされた、真田への同情に満ちている。


「これ、真田先生の……なんていうか、精神的なアレですよね。……流石にこのファイルが校内に広まったら、可哀想すぎる。とりあえず樫君、そのスマホ早く閉じてあげて」


「閉じるも何も、これ見ねえと清澄に説明できねえよ」


 五代からスマホをぶんどり溜息をついた。結局、何が言いたいんだ。真田の資料のどこに要点がある。


「清澄君に伝えるのが目的なら、樫君がルビ振ってたほうのドキュメントで合ってるよ」


 与謝野が俺のルーズリーフを覗き込んで、あきれたように笑った。


「清澄君、一般科目の成績良かったはず。全部にふりがな振るより、数式が書かれてる小見出しのところだけ教えてあげるといいよ。一緒に見てもいい?」


「おう」


「ここと、ここ、あと……ここ。清澄君なら、これだけで内容は大体理解できそう」


「これだけでいいのか? それに、あいつがそんなに頭いいなんて……。目が視えねえのに、本当かよ」


「寄生種だから、感覚的に知ってる箇所も多いんだ。それに、今の樫君が説明できそうなキャパ考えたら、箇所を絞るのが確実。ポエムは先生の名誉のために無視して、呪文だけ読んであげて」


「そういや、与謝野お前、半寄生だよな。お前より清澄のほうがキツイのか?」


「正確にはキツさの種類が違うな。全寄生は僕らより生命のサイクルが早いから」


 サイクルが早い――。つまり、あいつには時間がないってことだ。


「樫君、僕でどうにかできそうなことがあったら遠慮なく言って。その為に生徒会があるからさ」


 与謝野に指さされた場所には、アルファベットと記号がぐちゃぐちゃに絡まった式が居座ってた。俺が分からなくても、これで靭には真実を伝えられるはずだ。


 寄宿舎に戻ると、いつも通り静かだった。俺は喉を鳴らし、手元のメモを握りしめる。


「靭。内容はさっぱりだが、寄生虫学の先公の資料から式だけは拾ってきた」


 靭は何も言わず、顔をこちらに向けた。あいつの表情には、俺が持ってきたものがどんなに不格好だろうが、真っ直ぐ受け取ろうとする信頼がある。


「同調報酬ってのを求める式……これが大事らしい。式の左側にあるのがその報酬で、大文字のファイって記号だ。丸に縦棒が突き刺さってる。式の右側は、変換効率に拒絶度とかいうやつを、かけ算してるんだと」


 Φ=η・(σ・ΔR)


「大文字のファイ、イコール……エヌのしっぽがなげぇやつ。かける、カッコ……中身が、シグマ、かける、三角、アール。カッコ閉じる、だ」


「エヌのしっぽが長い……ってことは、イータかな?」


「俺がわかると思うか」


「じゃあ、こう?」


 靭が俺の手の甲に、指先で記号をなぞってみせた。


「くすぐってえな。……ああ、合ってる。それだ」


「シグマが、俺たちの繋がる深さらしい。種からひょろっと根っこが出て、横に長く伸びた変な形してる」


 今度は俺が、靭の手の甲にその形をなぞってやる。


「で、最後のRが……俺が食らう痛みだ。普通、体に異物刺したら痛ぇだろ? だから、根っこをブッ刺したときに俺がのたうち回らねぇよう、お前から出る痛み止めみたいな成分の記号なんだとよ」


 苗床が痛がるほど多く出るらしいから、寄生種も意外と気ぃ使ってんだな。俺はメモの続きを読み上げた。


「それにお前の効率ってのが合わさって、俺に流れてくる多幸感の量が決まるらしい。こんなことまで式にするなんて、先公ってのはつくづくすげぇな」


「……それにしても」と、俺は首を傾げて数式の一箇所を指差した。


「なんでRの前に、ちっこい三角がついてるんだ。おにぎりか」


「 ふふ、おにぎりって。デルタだね。変化した分って意味だよ。時と場合で痛さがちがうはずだから」


「じゃあ、気合でゼロになるか。俺が痛くねぇって思えばゼロで、ゼロに何をかけてもゼロだろ。そんくらいなら俺にもわかる」


「そういう無理な我慢はダメなんだよ」


 靭の手が、俺の手をそっと包み込む。


「痛いときは痛いって思ってくれないと、樫くんの身体が壊れちゃう。身近なものだと……お医者さんが死ぬ間際の患者さんに打つ、モルヒネに似てるかもしれない」


「モルヒネ? ああ、施設のばあさんがガンになったときに、病院で打たれたやつか」


 記憶の隅にある、薬品の匂いと痩せ細った背中が、今の靭の言葉と重なった。


「僕が全部入りこもうとすると、どうしても根が深いから……樫くんの身体がボロボロになるのは変えられない。だから代わりに、脳を溶かして『痛くない』『気持ちいい』って君に勘違いさせる。……そういう計算式なんだ」


 静かな部屋に、靭の淡々とした声だけが響く。あいつの表情は、すべてを悟りきっているように見えた。賢すぎるんだろうな。俺の身体を苗床にして、自分だけが一方的に命を奪い、咲く。あいつは本気で、そうなるしかないと思い込んでやがる。


「まだ続きがある。お前がちゃんと咲ける攻略法らしいから、耳かっぽじってよく聞いとけ。俺は中身がさっぱりわかんねぇから、ぼさっとしてると嘘を教えちまうかもしれねぇぞ」


「ふふ、そうだね。樫くんはたまに、自信満々に嘘をつくから。ちゃんと聞いてるよ」


 靭は笑うと、俺が握った手を意志を込めて握り返してきた。声のする方をじっと捉えようとする靭の気配を肌で受け止めながら、俺は式の羅列に再び目を落とした。


 同調飽和限界

 σ = Ψ / η (L) ・ΔRmax ≒ 0.82


「次の式もわけわかんねぇな。生理的シャットダウン……閾値? またフォークみてぇな変な形が出てきやがる。あと、妙なのはLの説明が……恋だ。なんで寄生の話なのに、急に色恋沙汰が出てくるんだ。捕食的執着……? 」


「寄生を成功させるために、恋を効率的に使えって、先生は書いてるんだと思う」


「ピンとこねぇな。……真田は頭沸いてんのか」


「さっきの式の変換効率を覚えてる? これが高いほど樫くんの苦痛を多幸感に変えられるけど、限界があるんだ。その限界を超えるために、恋という感情を利用しろ……って言ってるみたいだね」


 靭の説明を聞きながら、脳裏にクラスの光景が浮かぶ。休み時間に、妙に顔を近づけて話し合っていたやつら。授業中、ずっと手を繋ぎ合っていたペア。男子校のノリにしては、湿り気を帯びていた異様な空気。


「周りのみんなの距離感が不自然だったのは、たぶん意識的に恋を演じて、お互いの脳内麻酔を強めていたんだよ。そうしないと、深度が上がったときの痛みに宿主が耐えられなくて共倒れになるから」


 教室でベタベタしてた連中は、必死に変数稼ぎしてたってわけか。気色わりぃと思ってたが、あいつらなりに死に物狂いなんだな。


 そう考えると、樋口達がいかに異質かを思い知らされる。奴らは今の今まで、寄生のやり方に中指を立て続けていたんだ。どこまでも凪のままで。


「でも、それだけだと難しいみたいだね。σが1.0……完全同調に達していないといけない」


「なあ、靭。この0.82って数字、さっきから何度も出てくるけどよ」


 俺は喉の奥に張りついた熱を逃がすように問いかけた。


「平たく言うと俺たちが、嘘の感情で繋がってる限り、そこで行き止まりって意味だな?」


「うん。その先に行くには、脳を騙すんじゃ足りなくて魂が合意しなきゃいけない。死んでもいい、殺してもいいっていう不可逆的な恋」


 靭は、俺の手を握る力を強めた。


「真田先生は、僕にそれをしろと言っているんだよ。樫くんを本気で……」


 あいつの言葉が途切れる。その先を言わせるのが酷な気がした。


「靭。お前はどうしたいんだ。咲きたいか」


 俺は手のひらで、靭の背中にある根の予兆にそっと触れた。自分の指をあいつの指の隙間に深く絡め直す。


「樫くん、それは君を……」


「今、俺の話はしてねぇだろ。聞いてんのはお前の気持ちだ。他の奴らや先公のやり方もどうでもいい。お前が咲きたいなら、俺が見届けてやる」


 靭は、絡められた指先から伝わる熱を、じっと耐えるように受け止めていた。あいつがずっと自分の中に押し殺してきた飢えと、それでいいと認めちまいたい俺の温度が、静かに混ざり合っていく。


 長い沈黙の後、靭の唇がかすかに動いた。


「咲きたい。僕は咲きたいよ、樫くん」


「そうかよ」


 自分自身に言い聞かせるような呟き。あいつの返事を聞いて、意外にも俺の口元は緩んでいた。


「聞いていいか。お前、開花した後はどうなるんだ」


 落ち着かせるように、靭の背中をゆっくりと撫で下ろして問うと、あいつは肩を揺らした。寂しげな微笑を浮かべている。


「僕たちは一年草と同じだよ。咲いて受粉して、種を残したら……二週間もすれば、枯れてしまう。それが、僕たちの全うなんだ」


「二週間か。短けぇな、おい」


 鼻で笑い飛ばしてやったが、胸の奥が冷たく冷える。


「じゃあ、なんだ。真田のポエムに書いてあった終宿主ってのは、最期を看取る相手か。全寄生のペアが失敗し続けてんのは、深度が上がって死が見えちまうと、ビビってブレーキかけちまうからなんだろ」


 生き延びるための嘘で共倒れかよ。笑えねぇ冗談だ。靭の喉が、くくりと動く。あいつは何も言わず、ただ俺の次の言葉を待っていた。


「……俺もお前も、咲いたら終わりなんだな?」


「そうだね。終わりだよ」


「ならもう、計算もクソもねぇ。俺が、お前の終宿主になってやる」


 俺はあいつの手を、痛いくらいに握りしめた。真田の小難しい論文で、手ごたえを感じられる言葉はこれしかないと思った。


「腹括れよ。咲きたいなら半端な気持ちで足踏みしてんじゃねえぞ。ガチで俺を堕としにこい。お前の根だろうが魂だろうがありったけ全部ぶつけて、俺を本気で惚れさせてみろ」


 そうすりゃ、完全共鳴ってやつになって、お前は最高にキレイに咲けるんだろ。


「いいの? 僕が君を、本当に……簒奪しにいっても」


 俺が辞書を引いて、ルーズリーフに必死こいてふりがなを振った言葉だ。あいつは俺が読み上げた簒奪って響きを、そのまま俺に突き返してきやがった。


「上等だ。俺をトロトロに溶かして、ぶっ殺して、お前の花を咲かせてみろ」


 俺は靭の肩にぐっと顔を寄せ、根に触れそうな距離で囁いた。


「樫くんがそのつもりなら、僕も腹を括る。覚悟してね。君がよくわかってないまま口にしてる言葉を、二度と取り消せないくらいの本物に変えてみせるから」


「その勢いだ。……逃げんなよ?」


 あいつが俺の肩に額を預け返す。肩越しに伝わる重みが心地いい。不思議と気持ちは晴れやかだ。


 靭の背中で、白い根が静かに熱を帯びていく。俺たちで選んだ合意だ。真田が言う壁の向こう側が、どれだけとんでもねぇことになってようが、俺たちが決めたことならそれでいい。

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