第50話 天才を休ませるための組織
エマを休ませるために始めた仕事の分解は、北の市そのものを変えた。
ネルは記録を整理した。
ダリオは在庫を棚ごとに分けた。
サラは保存食工房の材料表を作った。
ミラは修繕依頼を木札で管理した。
ロウは通行札と巡回記録を一枚にまとめた。
最初はひどかった。
数字が合わない。
木札が足りない。
誰が何を持っているか分からない。
ネルが泣きそうになり、ダリオが謝り、ミラが黙り込む。
だが、誰も逃げなかった。
「間違えてもいい」
俺は何度も言った。
「ただし、間違えた場所を残して」
前世で、強い組織と弱い組織の差はここにあった。
弱い組織は、間違いを隠す。
強い組織は、間違いを次の手順に変える。
北の市は、まだ弱い。
だからこそ、隠してはいけない。
◇
三日後、エマが戻ってきた。
顔色は少し良くなっている。
だが目は怖い。
自分の机がどうなったか、気になって仕方がない顔だ。
「見てもいいですか」
「怒らないなら」
「内容によります」
怖い。
エマは机の上の新しい帳簿を見た。
ネルが緊張して立っている。
「ここ、計算が違います」
最初の一言で、ネルの顔が青くなった。
だがエマは続けた。
「でも、どこで間違えたか印がついています。直せます」
ネルが息を吐く。
「ここは、在庫表と配給表を分けた方がいいです」
ダリオが頷く。
「修繕収支は、材料費と手間賃を別に」
ミラが慌てて書く。
エマは次々に指摘した。
だが、それは以前のように一人で抱えるためではない。
みんなが使える形へ直すための指摘だった。
「どう?」
俺が聞くと、エマはしばらく黙った。
「悔しいです」
「うん」
「でも、良くなっています」
その一言で、部屋の空気が緩んだ。
◇
次の北の市。
黒鷲商会の出店は二台に増えた。
ケイル商会も商人を連れてきた。
保存食は三種類になった。
固焼きパン。
塩豆。
干し肉入りの高級携帯食。
高級携帯食は、予想外に売れた。
商人は、安い物だけを求めるわけではない。
時間を買う。
安全を買う。
腹持ちを買う。
そこに価値があれば、高くても買う。
修繕台には列ができた。
掲示板には新しい数字が貼られた。
通行札:百十二枚。
修繕:八十一件。
保存食販売:百六十四個。
荷消失:一件。
解決:一件。
備蓄:二十六日分。
目標の一か月分まで、あと四日。
通行量倍は、もう射程に入っている。
エマが掲示板を見て、小さく言った。
「届きますね」
「油断はできない」
「はい」
「でも、届く」
その時、遠くから馬が来た。
グレアム伯の使者だった。
また書状か。
そう思った。
だが使者が差し出したのは、封蝋のついた正式な文書ではなかった。
短い伝言だった。
『次の北の市に、グレアム伯爵閣下が視察に来られる』
広場の空気が止まった。
ついに本人が来る。
北道を奪おうとした男が、俺たちの市場を見に来る。
エマが静かに息を吸った。
ガルドは剣の柄に触れた。
セイルは笑った。
俺は掲示板を見た。
数字は伸びている。
人も育っている。
だが、まだ弱い。
弱いからこそ、見せる。
俺は使者に答えた。
「歓迎します、とお伝えください」
第1部の戦いは、ここからさらに熱くなる。
市場を作るだけでは足りない。
次は、敵の目の前で成果を証明する番だった。




