第48話 ネルの密告箱
ネルの密告箱は、思った以上に働いた。
働きすぎた。
翌朝、箱の中には紙が二十七枚入っていた。
「多いな」
俺が言うと、ネルは真剣な顔で頷いた。
「はい。多すぎます」
内容はさまざまだった。
黒鷲商会が値引きしている。
ケイル商会が量をごまかしている。
修繕班が順番を飛ばした。
配給であの家だけ多くもらっている。
ロウが怖い。
エマ様が怖い。
最後の紙を見て、エマが固まった。
「私、怖いですか」
ガルドが咳払いした。
セイルは露骨に笑っている。
「少しだけ」
俺が言うと、エマは本気で落ち込んだ。
「改善します」
「いや、そこまで深刻じゃない」
密告箱は便利だ。
だが、箱があるだけでは不満の投げ捨て場になる。
何を扱い、何を扱わないか。
基準が必要だった。
「分類しよう」
俺は言った。
「分類?」
ネルが首を傾げる。
「不正、苦情、提案、ただの悪口」
セイルが楽しそうに手を上げた。
「ただの悪口担当になりましょうか」
「君は不正担当」
「残念です」
ネルには提案。
エマには苦情。
セイルには不正。
俺は最終判断。
分類するだけで、箱の意味が変わる。
感情の山が、改善の材料になる。
◇
午後、最初の重大な紙が見つかった。
『保存食の材料が、夜に減っている』
サラの工房だ。
すぐに確認すると、確かに小麦粉の量が合わない。
サラは青ざめた。
「私ではありません」
視界に文字が浮かぶ。
【サラ】
保存加工:A
責任感:B
焦り:83
嘘:E
嘘は低い。
少なくとも、今の言葉は本当だ。
「誰が鍵を持っている?」
「私と、妹のリリです」
妹。
嫌な予感がした。
リリは十二歳の少女だった。
視界に文字が浮かぶ。
【リリ】
職業:村の子供
料理補助:C
記憶:B
空腹:71
罪悪感:88
推奨職:
工房見習い
犯人だ。
だが、盗人という顔ではない。
「リリ」
俺はしゃがんで目線を合わせた。
「材料を持っていった?」
リリは泣き出した。
サラが息を呑む。
「お母さんが、食べてなくて」
部屋が静かになった。
盗みは盗みだ。
だが理由は空腹。
またこの問題だ。
善意の横領。
飢えによる盗み。
規則と現実がぶつかる。
「リリ、勝手に持っていくのは駄目だ」
「ごめんなさい」
「でも、言ってくれてありがとう」
俺はサラを見る。
「工房材料と家庭用配給を分ける」
エマがすぐに書く。
「工房で働く家には、賃金とは別に試食用ではない食料枠を作る」
「甘くなりませんか」
エマが聞いた。
「曖昧にする方が甘い」
工房の材料を勝手に食べていいわけではない。
だが、働く家族が飢えれば、同じことが起こる。
仕組みで防ぐ。
罰だけでは、貧しさは止まらない。
リリには、材料管理の手伝いをさせることにした。
サラは驚いた。
「この子を?」
「記憶力がある。何がどれだけ減ったか覚えられる」
リリは涙を拭いた。
「やります」
その声は小さかった。
だが、逃げなかった。
夕方、ネルの密告箱に新しい札をつけた。
『不正・苦情・提案を受け付けます』
『悪口だけの紙は読まれません』
セイルが残念そうに言った。
「悪口もなかなか面白いのに」
「仕事して」
「していますよ」
その夜、ネルが俺に言った。
「箱を置くのは、少し怖いです」
「どうして?」
「見たくないものも見えるからです」
「うん」
俺は頷いた。
「でも、見えない方がもっと怖い」
ネルはしばらく黙り、やがて頷いた。
密告箱は、小さな箱だ。
だがその中には、領地の痛みが入っている。
俺たちはそれを、見なかったことにはできない。




