第4話 金貨一枚すら自由に使えない
翌日、俺は父に呼び出された。
執務室には父と家令、そして会計係がいた。
机の上には、俺がエマへ渡した在庫一覧が置かれている。
「使用人に商売をさせるとはどういうつもりだ」
父の声は低い。
叱責というより、理解できないものを見る声だった。
「売れ残りを現金化します」
「商売は商人の仕事だ」
「だから商人に売ります」
「使用人に任せる必要がどこにある」
「能力があるからです」
家令が鼻で笑った。
「エマは掃除も皿洗いも人並みです。特別な使用人ではございません」
「掃除が人並みだから、商売も人並みとは限らない」
「意味が分かりませんな」
そうだろう。
この世界では、人間は生まれた場所と今の職で判断される。
侍女は侍女。
兵士は兵士。
商人は商人。
だが前世の会社では違った。
営業で売れない人間が、管理部門で化ける。
現場で怒鳴られていた若手が、採用担当になって社員を増やす。
人間は、職名で決まらない。
場所で変わる。
「父上、金貨一枚だけください」
「何に使う」
「エマの仕入れと交渉のためです」
父は眉をひそめた。
「金貨一枚を、侍女に預けるのか」
「はい」
「失ったらどうする」
「授業料です」
家令が声を荒げた。
「この家が危ないと言いながら、金を捨てるおつもりか」
「金貨一枚を惜しんで、金貨二万八千四百枚の借金を眺めている方がよほど危険です」
空気が凍った。
言い方が強かった。
自覚はある。
だが、今は柔らかい言葉だけでは動かない。
父がゆっくりと口を開いた。
「レオン」
「はい」
「お前は剣も魔法もない。だから家の仕事に逃げているだけではないのか」
胸の奥が少しだけ痛んだ。
逃げ。
そう見えても仕方ない。
この家で力とは、剣と魔法のことだから。
「そうかもしれません」
俺は答えた。
父が目を細める。
「ですが、剣と魔法で赤字は消えません」
沈黙。
俺は机の帳簿を指で叩く。
「今必要なのは、敵を斬る人間ではなく、金を作る人間です」
「……」
「エマに一日ください。結果が出なければ、俺は二度と口を出しません」
家令が笑った。
「一日で何ができると?」
「分かりません」
「は?」
「だから試すんです」
父はしばらく俺を見ていた。
やがて、机の引き出しを開けた。
重い音を立てて、小袋が置かれる。
「金貨一枚だ」
俺は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ただし」
父は言った。
「失敗したら、今後帳簿には触れるな」
「分かりました」
執務室を出ると、扉の横でエマが立っていた。
顔が真っ青だった。
「聞いてた?」
「……はい」
「怖い?」
「怖いです」
「逃げる?」
エマは小袋を見た。
金貨一枚。
この領地では、一人の使用人が何か月も働いて得る額だ。
彼女は両手でそれを受け取った。
「逃げません」
声は震えていた。
でも、目は逸らさなかった。
「では行ってきます」
その背中を見送りながら、俺は思った。
人を抜擢する時、最初に必要なのは能力ではない。
任せる側が、先に腹をくくることだ。




