第38話 神官は、見たものだけを話す
バラム神官が入室すると、空気が変わった。
商人ケイルの時とは違う。
誰も笑わない。
彼は金で動く人間ではない。
だからこそ、証言が重い。
「バラム神官」
行政官が言った。
「北の村の状況を見たと聞いています」
「はい」
「あなたの見解を」
バラムは静かに目を閉じた。
そして言った。
「北の村は、飢えていました」
グレアム伯の表情は動かない。
予想通りの始まりだからだ。
「子供は痩せ、老人は弱り、倉庫には十分な備蓄がありませんでした」
審議室が重くなる。
「その原因には、村長の不正と、アルヴェルト家の監督不足があります」
エマが唇を噛む。
俺は黙って聞いた。
反論してはいけない。
これは事実だ。
「ゆえに私は、当初グレアム伯爵家の支援を受けるべきだと考えていました」
グレアム伯がわずかに頷く。
ここまでは、彼の望んだ証言だろう。
だが、バラムは続けた。
「しかし、私はその後の北の村も見ました」
記録官の筆が止まる。
「井戸を直す者がいました。道をならす者がいました。配給を記録する者がいました。働けない者には食料が配られ、働ける者には仕事が与えられていました」
バラムは俺を見なかった。
グレアム伯も見なかった。
ただ、審議官を見て話した。
「飢えは解決していません」
その言葉は厳しい。
「ですが、村は放置されていません」
その言葉は強い。
「私は救貧を預かる者として、飢えた民を救うためなら、領地の管理変更もやむなしと考えます」
グレアム伯の目が細くなる。
「ですが」
バラムの声が少し低くなった。
「救いとは、食料を与えることだけではありません。人から仕事と誇りを奪わないことも、また救いです」
審議室が静まり返った。
俺は息を吐きそうになるのをこらえた。
この人は味方になったわけではない。
ただ、見たものを話している。
それが一番強い。
グレアム伯が口を開いた。
「神官殿。あなたは、アルヴェルト家に北の村を任せるべきだと?」
「そうは申しません」
バラムは即答した。
そこは譲らない。
「では?」
「任せた後に、結果を確認すべきだと申し上げます」
行政官が顔を上げる。
「期限付きの監督継続か」
「はい」
バラムは頷いた。
「今奪えば、村人は救われるかもしれません。しかし同時に、立ち上がりかけた者たちの仕事を奪うことになります」
老貴族が顎に手を当てる。
流れが変わった。
完全勝利ではない。
だが、即時移管の空気は薄れた。
グレアム伯は静かに微笑んだ。
「なるほど。では、アルヴェルト家に猶予を与えるというわけですな」
嫌な言い方だ。
猶予。
つまり、まだ疑義は残る。
俺たちは潔白ではない。
立て直し途中の未熟な領地。
そう位置づけられる。
だが、それでいい。
今必要なのは、北道を奪われないことだ。
「レオン殿」
グレアム伯が俺を見る。
「猶予を得たとして、結果を出せるのかね」
審議官たちの視線が集まる。
俺は立ち上がった。
「出します」
「どれほどの期限で」
ここだ。
曖昧にすれば、相手に期限を決められる。
短すぎれば自滅する。
長すぎれば信用されない。
俺はエマの資料を思い出す。
収支。
通行税。
食料備蓄。
労働記録。
そして、人の変化。
「三か月」
俺は言った。
「三か月で、北の村の食料備蓄を一か月分まで戻し、北道の通行量を現在の倍にします」
グレアム伯の笑みが深くなった。
「できなければ?」
「北道管理の共同監督を受け入れます」
エマが息を呑んだ。
賭けだ。
だが、賭けなければ場は動かない。
グレアム伯は満足そうに笑った。
俺はその笑みを見て思った。
彼は、俺が自分で首に縄をかけたと思っている。
たぶん半分は正しい。




