第25話 父上、俺に領主代理をください
父は、しばらく何も言わなかった。
執務室の灯りだけが揺れている。
机の上には帳簿。
軍の再編案。
木材取引の契約書。
領道守備隊の名簿。
そして、黒鷲商会からの支払い誓約書。
この数週間で、机の上に並ぶ紙の種類が変わった。
以前は支出と借金ばかりだった。
今は、まだ小さいが、収入と計画がある。
「レオン」
父が口を開く。
「お前は何を望む」
「領地を潰さないことです」
「そうではない」
父は首を振った。
「お前自身は、何を望む」
俺は答えられなかった。
前世でもそうだった。
会社を立て直す。
売上を戻す。
組織を再建する。
それは得意だった。
だが、自分が何を望むかと聞かれると弱い。
「分かりません」
正直に言った。
「ただ、目の前で潰れそうなものを見ると、放っておけません」
父は目を閉じた。
「昔の私に似ている」
意外だった。
父が、自分の話をすることは少ない。
「若い頃、私は敵を見れば突っ込んだ。守るべきものを見れば、考える前に剣を抜いた」
「父上らしいです」
「褒めていない」
少しだけ笑いそうになった。
父は続ける。
「そのせいで救えたものもある。だが、壊したものもある」
沈黙。
「私は領主に向いていないのかもしれん」
その言葉は重かった。
戦場の英雄。
辺境伯。
この家の絶対者。
その父が、自分の不向きを口にした。
俺は軽く返せなかった。
「父上」
「何だ」
「俺に、領主代理をください」
父の目が開く。
空気が変わった。
家令が息を呑む。
エマも横で固まる。
「何を言っているか、分かっているのか」
「分かっています」
「領主代理とは、帳簿を見る役ではない」
「はい」
「民の命を預かる」
「はい」
「失敗すれば、お前だけでは済まん」
「分かっています」
分かっている。
つもりだ。
だが本当には分かっていないのかもしれない。
前世で会社を潰さないことと、領地を守ることは似ている。
でも同じではない。
ここでは、失敗すれば人が飢える。
敵が攻める。
家が滅ぶ。
それでも。
「今のままでは、三か月後に全部失います」
俺は言った。
「父上の名誉も、兵の誇りも、民の暮らしも」
父は黙っている。
「俺に剣はありません。魔法もありません。ですが、人を見る目と、組織を立て直す経験があります」
「経験?」
「前世の話です」
父は笑わなかった。
以前なら戯言だと言っただろう。
今は違う。
実績がある。
小さいが、積み上がった実績が。
「期限をください」
「どれくらいだ」
「三か月」
父の眉が動く。
「破産までの時間か」
「はい」
「三か月で何をする」
「赤字を止めます。食料備蓄を増やします。領軍を再編します。商人の取引網を作ります」
「できなければ?」
「代理を返上します」
「それだけか」
厳しい声。
俺は息を吸った。
「できなければ、俺を廃嫡してください」
エマが小さく声を漏らした。
父の目が鋭くなる。
「軽く言うな」
「軽く言っていません」
怖い。
本当に怖い。
だが、責任を取る形が必要だった。
立場を求めるなら、失うものも差し出す。
それが組織を動かす時の筋だ。
長い沈黙。
やがて父は、机の引き出しから小さな印章を取り出した。
アルヴェルト家の副印。
「三か月だ」
父は言った。
「今日からお前を、領主代理とする」
俺は膝をついた。
「ありがとうございます」
「ただし忘れるな」
父の声は低い。
「民は数字ではない」
その言葉だけは、
俺の胸に深く残った。




