第18話 休むことも、領主の仕事です
「休め」
ガルドにそう言われた時、俺は聞き間違いかと思った。
「誰が?」
「お前が」
「俺は大丈夫」
「大丈夫な奴は、帳簿を枕にして寝ねえ」
見ると、俺の頬には紙の跡がついていた。
どうやら机で寝落ちしたらしい。
エマも横で頷く。
「レオン様、昨夜はほとんど眠っていません」
「やることが多い」
「だから休むんです」
彼女の声は意外と強かった。
少し前まで、俺の前で震えていた少女とは思えない。
成長とは恐ろしい。
いや、嬉しい。
「今日一日、帳簿は禁止です」
「それは困る」
「禁止です」
「領地が」
「一日で滅びません」
エマは俺の手から帳簿を取り上げた。
完全に金庫番ではなく、執務番にもなっている。
ガルドが笑う。
「諦めろ。今日は休め」
◇
休むと言われても、何をすればいいのか分からない。
前世でもそうだった。
休日に会社の資料を読んでいた。
旅行先で経営本を読んでいた。
温泉に入りながら、再建計画を考えていた。
そして死んだ。
あまり学習していない。
城下町を歩く。
護衛としてガルドがついてきた。
エマもいる。
セイルはなぜか勝手についてきた。
「お前は留守番でいい」
「休暇の観察です」
「意味が分からない」
「働きすぎる主君は、部下に迷惑をかけるので」
詐欺師に正論を言われると腹が立つ。
市場は以前より少しだけ賑やかだった。
街道整備が始まり、商人の通行が増えた。
アルヴェルト布の噂も小さく広がっている。
子供たちが荷運びの賃金で焼き菓子を買っていた。
元兵士が屋台の荷台を直している。
リーナは布の端切れを売っていた。
領地は、まだ貧しい。
借金も消えていない。
食料問題もある。
敵もいる。
それでも。
少しずつ、人が動き始めている。
「レオン様」
エマが屋台の前で立ち止まった。
「これ、食べたことありますか」
「何?」
「蜂蜜焼きです」
小麦粉を薄く焼き、蜂蜜を塗っただけの菓子。
前世なら珍しくもない。
だが、この世界でこうして買うのは初めてだった。
「一つください」
エマが自分の財布から払おうとしたので、俺は止めた。
「俺が出す」
「今日は私が出します」
「なぜ」
「初任給の使い道です」
そう言われると断れない。
受け取った蜂蜜焼きは、少し焦げていた。
でも甘かった。
妙に、胸に残る味だった。
「美味しいですね」
エマが言う。
「うん」
「この蜂蜜、うちの倉庫にあったものです」
「……休みの日に商売の話をする?」
「すみません」
二人で笑った。
ガルドが呆れたように言う。
「似た者同士だな」
セイルが頷く。
「上に立つ人間が二人とも仕事中毒とは、将来が不安です」
「お前に言われたくない」
◇
夕方。
城壁の上から領地を見た。
畑。
街道。
小さな家々。
遠くの森。
その向こうに、グレアム伯爵領がある。
「怖いですか」
エマが聞いた。
「怖いよ」
「レオン様でも?」
「俺は剣術Fだからね」
エマは少し笑った。
だがすぐに真面目な顔になる。
「私は、怖いです」
「うん」
「でも、前よりは逃げたくありません」
その言葉は、どんな売上報告より嬉しかった。
人は変わる。
一日では変わらない。
でも、仕事を任せ、失敗し、また立ち上がるたびに少しずつ変わる。
俺も同じだ。
前世では、止まれなかった。
休むことを負けだと思っていた。
だが、組織を作るなら違う。
俺が倒れたら、皆が困る。
休むことも、領主の仕事だ。
そう思った時だった。
城門の方から鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
緊急の知らせ。
兵士が走ってくる。
「レオン様!」
「何があった」
「グレアム伯爵家の使者です」
やはり来たか。
兵士は息を整え、続けた。
「アルヴェルト領の木材を、正式に買い取りたいと」
俺は蜂蜜焼きの最後の一口を飲み込んだ。
休暇は終わりらしい。
だが、悪くない。
相手が焦り始めた証拠だ。




