第17話 無能な侍女だった私は、数字で戦う
私はずっと、普通の侍女だと思っていました。
いえ。
普通以下かもしれません。
掃除は遅い。
料理は苦手。
礼儀作法も、完璧とは言えない。
先輩侍女からは、よく言われました。
「エマは真面目だけど、要領が悪い」
その通りだと思っていました。
真面目。
でも、それだけ。
だからレオン様に呼ばれた時、私は叱られるのだと思いました。
何か失敗したのだと。
屋敷を追い出されるのではないかと。
なのに、レオン様は私に数字の問題を出しました。
小麦。
荷馬車。
輸送費。
利益。
それは不思議でした。
掃除より分かりやすかった。
礼儀より怖くなかった。
料理より、ずっと自然に答えが見えました。
レオン様は言いました。
「明日から君は、俺の金庫番だ」
あの時のことを、私はたぶん一生忘れません。
◇
商人ギルドで言い返せた時、少しだけ私は浮かれていました。
元侍女の私でも、商人と戦える。
そう思ってしまったのです。
でも翌日。
羊毛の買い手は消えました。
黒鷲商会の圧力。
グレアム伯の影。
私は初めて知りました。
商売は、数字だけでは勝てない。
相手には力がある。
人脈がある。
市場を閉じることができる。
私の計算は、紙の上でだけ正しかった。
だから私は負けました。
悔しかったです。
恥ずかしかったです。
そして何より怖かった。
レオン様に、見限られるのが。
けれどレオン様は言いました。
「君の仕事は、全部を自分でやることじゃない」
人を使う側へ回る。
そんなこと、考えたこともありませんでした。
使用人は使われる側。
命じられる側。
そう思って生きてきたからです。
◇
リーナさんは、最初とても困っていました。
「私に工房長なんて無理です」
私と同じ言葉でした。
だから、少し笑ってしまいました。
「私もそう思っていました」
「エマさんは違います。レオン様に選ばれた方です」
「リーナさんも選ばれました」
そう言うと、彼女は黙りました。
人は、自分の価値を言われてもすぐには信じられません。
私がそうでした。
でも、仕事は嘘をつきません。
布を見分ける時のリーナさんは、誰よりも厳しかった。
一目で糸の粗さを見抜きます。
端の歪みを見つけます。
触っただけで、乾きが甘いと分かります。
私は数字を書きます。
リーナさんは品質を見る。
村の女性たちは布を織る。
子供たちは羊毛を運ぶ。
元兵士たちは街道を直す。
少し前までばらばらだった人たちが、一つの商品を作っている。
私は初めて、レオン様の言葉の意味が分かった気がしました。
人は、正しい場所に置けば強くなる。
◇
その夜、私は一人で帳簿を見ていました。
アルヴェルト布。
売上、銀貨百三十五枚。
材料費。
加工賃。
輸送費。
残った利益は、想像より少ない。
でも、それでいいと思いました。
今作っているのは、お金だけではないからです。
働く場所。
品質。
信用。
噂。
そして、次の注文。
数字には、未来が少しだけ見える。
レオン様のように、人の能力は見えません。
でも私には、帳簿の中に小さな変化が見えます。
昨日まで支出だった人件費が、今日は商品の価値になっている。
売れ残りだった羊毛が、名前のある布になっている。
金貨一枚の失敗を怖がっていた私が、今は十人以上に仕事を頼んでいる。
私はまだ弱いです。
商人としては未熟です。
バノン様には一度負けました。
でも。
次は、負けたままでは終わりません。
翌朝。
黒鷲商会から使者が来ました。
「アルヴェルト布をすべて買い取りたい」
そう伝えられた時、私はもう慌てませんでした。
帳簿を閉じ、顔を上げます。
「お断りします」
私の戦場は、剣でも魔法でもありません。
数字です。
そして私は初めて、
自分の足でその戦場に立っているのだと思いました。




