第35話
次に、教主ジュリアンが発言した。
「私は、現在進行中の戦争について、三週間の停戦を提案する。そもそも、兵站の補給には時間がかかるであろうし、負傷兵の手当や戦力の整理も必要であろう。捕虜交換も行うと良い。いずれにせよ、現在の膠着した状況では、どちらも一撃で勝つことは望めない。そうである以上、今攻めるのは双方にとって損なのではあるまいか。なお、念のために言っておくが、和平を称して占領地を既成事実化することは、あってはならないと考える。
また、存在剥離については、さまざまな証言や事実が出揃ったようである。私は『過去の恩讐を進んで水に流すべき』という意見に賛成である。現在、存在剥離として記録・記憶の混乱が見られるし、また地面に穴が開いているとの証言もある。しかし、それだけで済めばどんなに良いことであろうか。私のような立場の人間は、常に最悪のケースを踏まえて、二手三手先を読んで行動しなければならない。もしより酷い混乱に世界が叩き落とされたら、どうなるであろうか。言うまでもなく、世界の滅びは誰にとっても得にはならないのである。
そこで、一つの提案がある。アペイロンの力を持ち合い、共同契約すると言う可能性を探るべきではないだろうか。そうすれば、パワーバランスが保たれ、一国が他国を征服するという事態がなくなる。そして、それぞれの独自性を棲み分けることができるのだ。確かに、アペイロンは永久機関、無限エネルギーであって、それは一種の怪物である。であるからこそ、ここは三国で手を取り合って、そのような火を共同管理するべきではないだろうか。さもなければ、さらに邪悪な人間がアペイロンを知り、そのような火遊びを始めることすらあり得るかも知れないからだ」
教主ジュリアンはこのように発言した。イール国の王の表情は全般的に固く、つぶさに読み取ることはできなかった。しかし、それもこれもソルヴァルの王の発言次第であった。
ジュリアンは、最後にソルヴァルの王ノルドガルドに発言を促した。ソルヴァル国の王は言った。
「私は、あくまでも我がソルヴァル国を守り抜く責務がある。しかし、この王の務めはどれほど重荷であることか。であるからこそ、私はイール国と軍事同盟を結んだのだ。もはや、一国だけではエルノールの脅威から国を守り切ることはできない。したがって、イール国の世界戦略の傘下に入ることを選んだのは、必然の趨勢であった。
そして、世界の存在剥離という厄介な出来事が起こったのだ。記録・記憶の混乱という現象については、我が国でも報告されている。その対処法としては、アペイロンを速やかに収集することであろうが、それはいかんせん、我が国には難しかった。したがって、今後はイール国と協力しながら……」
ここまでソルヴァル国の王が言い終えた時、誰もが予想のしない現象が発生した。ノルドガルドが、持っていた羽根ペンを取り落とし、その場で倒れたのである。しかも、それだけではない。その姿は次第に侵食され、輪郭を失い、そしてその場から消え去ったのである。
存在剥離だ、とケントは思わず口にした。それを聞いた場の全員に、緊張が走った。
「今、まさにソルヴァルの王が犠牲になった。では今度は……?」
誰ともなく、そのような発言が起こった。皆が自分自身の胸を押さえ、辺りに異変がないか見回した。
場は一時、うっすらとした恐慌状態になった。そして、十五分という長い時間が経った。
「皆、死なない。ソルヴァルの王だけだ。残りの人間は生きている」
そのように言ったのは、エルノール国の王であった。
「皆さん、大丈夫ですか」
教主ジュリアンは、辺りを見た上で、そのように確認した。
「ノルドガルドが死んだ。一体、どのような原因でそうなったのか」
そうイール国の王が言うと、エルノール国の王は首を振った。
「マルク王よ。存在剥離のため、いつ私たちもそうならないとは限らない。教訓はただ一つだ。共に手を結ぼう」
すると、イール国の王は言った。
「セレナよ、この異変をどう思う?」
「私はこう思います。ソルヴァル王の死は、何らかの魔術によって、謀られたものであると」
「やはり、そうか。私の直観は当たっていた」
そして、イール国の王はエルノールの王に向かい直ってから、言った。
「エルノール国の王ギルバートよ。私はあなたの主義主張を認めない。と言うよりも、教主ジュリアンを巻き込んで、よくもこのような卑劣な計略を企んだものだと、私は呆れているところだ。大方、騙し討ちによってソルヴァルの王を始末した後で、偽りの和平を結ぼうとの心積もりだったのだろうが、そうは問屋がおろさない。これでようやく決心がついた。世界は私が完膚なきまでに統治する。そして、そのために光明教団の権威を用いることも必要がなくなった。教主ジュリアンよ。大方、この騙し討ちの魔術にも一役買っているのだろうが、その腐った腕前には敬服せざるを得ない。もはや、あなた方と話すことはなくなった。次は、外交の場ではなく、戦場でお会いしよう」
そのように憤然としている王を見て、教主ジュリアンは言った。
「そうではないのだ。そうではない。誤解が我々の間にあるようだ。もう少し話し合おうではないか」
しかし、教主の制止にもかかわらず、イール国のマルク王と、セレナはその場を立ち去った。そこに残されているのは、疑心暗鬼と、侵食されずに床に落ちたソルヴァル王の羽根ペンくらいであった。




