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第36話

 三国会談がみじめな失敗に終わったことは言うまでもなかったが、そうなるとケントたち一行は、イール国の魔の手をますます恐れなければならなかった。その攻撃は、セレナや略奪の軍団に限らず、より激しくなることが容易に予想されたのである。ただ、不幸中の幸いであるが、ケント本人や世界の存在剥離については、すべての状況から判断すると、時間稼ぎがまだ可能だった。なぜなら、あのような人間の消失は偶発的な現象のようであり、他では一切報告されていなかったからである。


「アペイロンの収集は、着実に進めていきなさい」と教主は言った。「大きく焦ることはない。こういう重要なことに焦ったら、事をし損じるからだ」


「はい。分かりました」


 そう言って、ケントたちは二、三日、教主領で休ませてもらうことにした。


 すると、ある夜にケントは不思議な夢を見た。


 夢の中では、重力を無視して空中に浮かび上がることが少なくない。ケントの夢もここまでは良くあるパターンであったが、しかし地面はなく、すべて一面は海であった。むろん、水の中に入ったとしても、息ができなくなる心配はなかったのである。


 そして、足に羽根が生えたかのように、海の底から空の彼方まで、飛び跳ねながらケントは前へと進んだ。ずいぶん高く飛ぶことができたのはいいものの、コントロールがあまり効かずに困ったくらいである。


 しばらくすると、ケントは陸地にたどり着いた。その地面の上も、ふわふわと歩いていると、そこには小屋があった。そして、よく見ると、その小屋の中から一人の老人が出てくるではないか。


 すると、老人は朗々たる声で言った。「ケント・アーヴィングよ、アペイロンについて知りなさい」と。


 ケントがその瞬間、驚いていると、老人の顔はなぜか教主ジュリアンにそっくりであった。それがひどく印象的であった。


 するとケントはベッドの上で目を覚ました。ケントは普通、見た夢などをあまり覚えていない性質である。しかし、今回ばかりは鮮明に覚えていたので、何事かと思った。


 ケントは、その夢について、教主に報告した。すると、教主は驚いた顔をして、それから言った。


「実は、その老人が私にそっくりだったのは、当然の理由がある。これまで言っていなかったが、私には、腹違いの兄がいるのだ。その名前をセドリックと言う。南西の海にある孤島で、長年、世を避けて暮らしていたのだ」


「夢の中では、『アペイロンについて知りなさい』と言っていましたが、本当でしょうか」


「セドリックならば、重大な手がかりを握っていることも、あり得る話だ。彼はまさに信仰の天才だ。だからこそ、世を避けているわけである。もっとも、いつでも世に対して死ぬ訓練をしているのが兄だ。したがって、アペイロンについて適切な助言ができるかどうかは、分からない」


「行ってみる価値はあるのでしょうか」


「無駄足に終わるかもしれない。しかし、いずれにせよ、島伝いにアペイロンを探す必要もある。とすれば、その足で遅かれ早かれ、行ってみるのもよいかもしれない」


「では、今から行きます。詳しい場所を教えてください」


「海路か。それでは、あなた方は船足を手配しなければなるまいな。資金面では援助しよう」


 そう言って、ケントは次の冒険の行先を決めたのである。


 そして、ケントはアリシアとアインハルに、その旨を伝えた。


「すると、どういう道のりになるのかしら」とアリシアは言った。


「まず、港に出ることになる。そこまでは、大河グランヴェールに沿って移動すればよい」


「あの古代樹の森を貫いていた河ね」


「ただ、森そのものを抜けるのは厄介だ。だから、迂回路を通ることになる」


「そこから先は?」


「大河は王都のほとりを抜けてさらにうねり、やがて港町リヴァンナに至っている。そこから船足で、三日月群島へと向かおう。その一番陸から離れた『最果ての島』に、セドリックがいる」


「質問があります」とアインハルは言った。「正夢を見たというのは分かったのですが、そんなにはるばる海路を使ってまで、セドリックという人に会う価値はあるのですか?」


「いい質問だ。結論から言うと、僕は僕自身の『夢』を信じてみたいからだ」


「つまり、直観ですか」


「そう。だいたい、世界が危機に瀕しているのに、僕を含めた人間たちは、飽きもしないで、アペイロンの分捕り合いをしている。そうである以上、その状況は並大抵の手段では解決されない。とするなら、教主さんの兄に会ってみる価値もあるのではないか。彼は信仰の天才というからね」


 アリシアとアインハルは、頷いた。


 そして、そうと決まれば、ゆっくりと教主領に腰を据えている暇はなかった。ケントたち一行は、さっそく荷物をまとめて、速やかに出立したのである。


 ◇


 大河グランヴェールは依然として、大空に煌めきながら、悠然と流れていた。その流域の壮大な風景は、一行の旅を安らかに見守っていた。威厳ある自然の中をケントたちは馬に乗って、今度は古代樹の森を迂回して進んだのである。午後の太陽は、遠景の山々を照らし出しながら、森の上で燦爛としていた。そして、辺りに夜の帳が降りるまで、一行の道のりを大まかに導いていたのである。


 いくつかの昼があり、いくつかの夜があった。ケントたち一行は、世界地図の上を大河沿いに、南西へと進んでいた。教主領に近い場所では荒々しい自然が目立っており、街道もろくに整備されていなかったが、先へと進むにつれ、地形が平野に近くなり、大河の流れもゆったりとしたものに変わった。そして、一行はエルノール国の王都、エルランディスのほとりにたどり着いたのである。


 王都は遠くから見ると、城のある小高い山を中心とした一大集積であった。しかし、目的地はそこではなく、さらに下流に降った先、港町リヴァンナである。ただし、ここまでの起伏ある道のりに比べれば、リヴァンナへと向かうのは容易である。


「やっとここまで来たね。アリシア、アインハル」


「ええ。盗賊や魔獣の類いにも手間取らずに済んだのは、よかった」


「いやあ、それにしても、あの細い道を辿った時には、谷底に落っこちるかと思いましたよ」


 そんなことを、ケントたち一行は安堵して話し合ったのである。


 王都のほとりからリヴァンナへ向かう道は、街道が整備されており、人の行き来も少なくない。ただし、往年の繁栄に比べれば、戦争中ということもあり、その雰囲気には自粛の感覚があった。


 港町リヴァンナ。その町はさまざまな貿易で栄えていた。むろん、漁業など伝統的な産業も盛んである。そのため、資金さえ出せば、三日月群島へ向かうための適当な船を探すことは、難しくなかったのである。

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