第33話
そうしたやり取りを聞いていたケントは、「ハサルの民全体を救った」という母の言葉に、複雑な感慨を覚えていた。むろん、あの軍団の行為のために死んだハサルの民は少なくない。もし自分たちがこの土地を訪れなければ、そもそも襲来そのものが起こらなかった可能性もあるのではないか。そのようなことが思われたからである。
「ケント。アインハルは旅先でやっていけるわね?」
「この際ですから、アインハルの母君にはお伝えしておかねばなりません。私たちの旅には重大な危険が伴います」
「そうなのです。本人の決めたこととはいえ、そこが心配でなりません。あなたたちの旅の目的は何なのですか? 当初は学術研究とおっしゃっていましたが、拝見するところでは、ただの研究ではなさそうなので」
「そうなのです。ご察しの通り、私たちの旅の目的は、単なる研究ではありません」
「では、どんな目的?」
「残念ながら、それはお伝えすることができません。エルノール国の国家機密に関わることですので」
「そうなんですよ。そこも息子は口を堅くして、決して教えてくれませんでした。本当に大切なことなら、私とて言いふらしはしないから、教えてくれても良いのにねえ」
「誠に申し訳ありませんが、そういうことでご納得いただけないでしょうか」
「……分かりました。アインハル、こっちに来なさい」
「はい」
「ここまで良く育ってきたね。ハサルの男として、強くなるのよ」
そう言うと、母はアインハルの頭を撫でた。アインハルはその劇的な瞬間を受け止めていた。
ケントとアリシアは一安心した。そして、他にお世話になった人もいるから、ご挨拶に行かなければならないと思っていた。
その時、天幕の外に大きな声がした。ケントが振り向いてよく聞くと、馬に乗ったその声はますます近付いてきて、その内容が聞き取れるようになった。
「ケント・アーヴィング、アリシア・グレイよ! エルノール国の使者として、至急、お伝えしたいことがある! いるならば返事をせよ!」
ケントとアリシアがそれを受けて外へ出ると、そこには一人の騎兵がいた。
「お二人よ。急いで、私たちの下においで下さい」
「再び、僕たちに何をせよと言うのか」
「世界に存在剥離が始まっていることはご存知のことでしょう」
「ああ。知っている」
「このままでは、世界が滅びる可能性があります。それについて、三国で会談が開かれるのです。それにご参加下さい」
「僕たちを体裁よく追放し、困難な旅をさせておきながら、今度は会談に参加せよと言うのか」
「ケント様の立場は承知しております。しかし、これは王命ですので、是非とも従っていただかなければ困ります」
ケントは、アリシアの方を見てから言った。
「どう思う、アリシア? ギルバート王は僕を追放してから、再び呼び戻そうとしているようだが」
「行ってあげれば良いでしょう」とアリシアは言った。「不満があるなら、そこでぶつければ良いだけの話よ」
そこで、ケントは腹を括ることにした。
「使者よ、承知した。私たちは向かうことにしよう。しかしどこに行けばいいのか。地平の果てか、奈落の底か。少なくとも、この大陸の上でなければ行きかねるが」
「難しいことではありません。教主領にて三国会談は行われます。したがって、あなた方が来た道をそのまま引き返せばいいのです」
「話を聞いていると、随分とよく僕たちのことを知っているものだ」
「むろん、それはギルバート王があなた方を遠くから監視していたからです」
「ただし、一人の仲間が増えた。その点は承知してほしい」
「ついて行くだけなら構いません。ただし会談に出席できるのは、あなたたちだけですが」
「もちろんそれでよい」
このようにして、すべての話は付いた。ケントとアリシアは、アインハルを連れて教主領に戻ることになった。一行はそのため、世話になったすべてのハサルの民に礼を言い、その上でイシュ・カラドの地を出立したのである。
◇
ケントたち一行が教主領に再び着くと、そこは物々しい雰囲気に満たされていた。「三国会談」が開かれる以上、セキュリティに万全を期するのは当然の話である。したがって、事あるごとに検問があり、スムーズに往来するのは不便であった。大通りにもかかわらず、現地住民や巡礼の人々の姿は多くは見られなかった。
会談が行われるのは「円卓の間」であった。使者によれば、すでにイール国とソルヴァル国の関係者は来ていると言う。むろん、エルノール国のギルバート王もいるのである。
世界の剥離は突然のことゆえ、実務級の打ち合わせは突貫工事で行われた。そのため、より高度なレベルでどんな発言が出るかは、やってみなければ分からなかった。
「会議は翌日だ。僕たちもきちんと僕たち自身の立場を打ち出さなければ」
「基本的に、ギルバート王が石の所有権を持つことを容認するのね」
「まだその方がましだろう。少なくとも、イール国・ソルヴァル国の連合などには決して渡してはならない」
「その他には何かある?」
「相手国もアペイロンの欠片を集めているかもしれない。敵の出方によって言うべきことが変わる。一つ一つ、相手の策動を潰していく他にはない」
このように語り合いながら、ケントたち一行は近くの宿で休んだ。ただし、明日の会談にアインハルだけは参加しなかったのである。
翌日——円卓の間。ケントとアリシアがその中に入ると、すでにイールとソルヴァル国の参加メンバーは揃っていた。マルク王、そしてノルドガルド王の二人。そしてケントが驚いたのは、かつて剣戟を交えたセレナもいたことである。
「いつぞやは、随分と世話になったな。単なる武人と思っていたが、外交も行う身分とは」
「私はイール国の政務卿なので、むしろこちらが本業なのですよ」
「今は外交の場であるから、剣を抜くことはない。しかし、戦場で会ったなら、今度は容赦はしない」
「その言葉は、そっくりそのまま私からあなた方へ送りたくなるほどです。あの妙な技さえ対策が出来ていれば、勝負は私に味方していましたから」
すると、イール国のマルク王が言った。
「ほう。これが例の騎士か。ノルドガルド王よ、よく見ておきなさい」
ケントはかつての教主領での演説を思い出し、警戒感を強めた。
「まあ、これから始まる場では、いろいろ言いたいこともあろう。じっくりと話し合おうではないか」
大鏡越しの激越な演説とは打って変わって、かなり砕けた調子であった。その落差には、マルク王の底知れなさを感じた。
それに比べると、ソルヴァル国のノルドガルド王は、一国の王にもかかわらず、知的ではあるが、どこかリーダーとしては頼りない感じがした。
「これがケント・アーヴィングか。大変なことをしてくれたものだ……」
そして首を振りながら、何かを手元に書き記していたのである。
そうしたことを話していると、後ろの扉が開き、エルノール王がその中に入ってきた。
「久しぶりだな、ケント・アーヴィング」
「ギルバート王よ、お久しぶりです」
ケントは王の姿を見て、改めてアペイロン石は我々の勢力の下になければならないと思った。
そして、最後にやって来たのは教主ジュリアンである。今回、「三国会談」を主催したのは教主自身である。したがって、この会談では主要な取りまとめ役を担うことが期待された。
「教主さん、お久しぶりです。戻ってまいりました」
「無事で良かった。しかし、今回は和やかな話ばかりとはいかないよ」
「ええ。承知しています」
円卓の後ろには、それぞれの王の秘書団がずらりと控えていたが、機密性の高い会談ゆえ、すぐに彼らはその場を出ていった。
会議の主人公は三国の王と、教主ジュリアンと、主要関係者に限られていたのである。




