第31話
ケントとアリシアは、やがて回復して行った。しばらく動いていなかったため、太刀筋はまだ必ずしも鋭くなかったが、それ以外はなかなかに健康を取り戻していた。二人は軽く馬で走ったり、あるいは剣を振るったりするなど、力を取り戻すための訓練に励んでいた。
「まだ、本調子ではないわね」
と、アリシアは馬から降りながら、言った。ケントは、剣を一通り振り終わったので、そのそばに腰を下ろして休んでいた。
「実力が本調子でないまま、出立するわけにもいかないだろう。もう少しだけ、ハサルの民の好意に甘えるしかあるまい。魔力の方はどうなっている?」
「ブランクがあった割には、練度は残っているという感じ。ほら」
そう言って、アリシアは杖を掲げ、その先で溜めを行い、魔力波を放ってみせた。すると、赤色の光球が空へ向かって飛んでいき、やがてその頂点で炸裂した。
「さすがアリシアだ。もとから培っていたものが違う」
「でも、この球の丸さが十分でない。炸裂の威力も足りない。もっと練度を高めなければ、と思うわ」
「一朝一夕にはいかないものだね」
そのようなことを言っている、平和な朝の一日であった。つい数週間前、イール国のセレナと激闘を繰り広げていたとは、とても思うことができないほどである。
この平和が末長く続くならば、何も申し分はなかった。しかし厳しい現実は、一行やハサルの民をそのままにはしておかなかったのである。
その日の昼下がりであった。一同はそれぞれの天幕の中で食事を終え、満腹していた。すると、外れの天幕の方向で、大きな物音がした。ケントと一緒にいた民の一人が、その様子を見に行った。
思えば、それが平和の終わりであった。
様子を見るだけなら大したことでないのに、いつまで経っても、その民は帰ってこなかった。待ちくたびれていると、今度は外で叫び声がした。一人ではなく、複数人である。
「皆、どうしたのか」
ケントとアリシアが不審に思い、外を見てみると、その様子は驚くべきものであった。
死体と血の惨劇。そして野蛮な声。
そこにあったのは、一つの略奪行為であった。
見た瞬間、その犯人は理解された。イール国の部隊だ。肌の色や訛りから判断して、そのことが分かった。見慣れない顔もあったが、それは大方、軍需商人の傭兵団であろう。つまり、これらは混合部隊なのである。数は合わせて、四十人以上は下らない。どれも屈強の部隊であるから、ハサルの民がたとえ同じ人数まとまっても、まず撃退できるはずがない。
しかし、そうした一連の分析は、全て後付けのことであった。ケントが見たその情景は、世界との一切の繋がりを拒んだ。アリシアもまた、むき出しの破壊に直面し、信じられないものを見たといった表情であった。性悪説はいくら文献で学んでも、人間経験に熟練しなければ、そういうものだとは受け止められないのが常だからである。
ケントは激昂しながら、略奪者の首を切った。アリシアもまた、光魔法を身に帯びながら、強化された杖を用いて戦いに入った。ハサルの男たちも、我こそという者は剣を帯びて参加した。
二人、三人と、憎むべき者たちは討たれて行った。しかし、いかんせん多勢であるため、ケントとアリシアは体力を削がれがちであった。混合部隊であるのに、兵の練度は非常に高かったからである。ハサルの男たちの何人かは戦いに死んだ。
「これで大半か」
「ええ」
二人がそう言った時、生き残っていた兵の一人が角笛を吹いた。実に不吉な音である。
すると、遠くから太鼓を叩くような地響きが起こった。その響きは砂漠地帯にますます不気味さを増した。そして、その方角から駆けてやって来たのは、さらなる加勢の軍団であった。それはまさに群れであって、一千人は明らかに下らないだろう。
「ケント、これは……」
「ハサルの民よ、逃げるんだ。ここは僕たちが食い止めるから」
戦闘に参加した男たちも、遠くから見ていた民たちも、恐怖に襲われていた。その中にはアインハルの姿もあった。
「しかし、ケントさん、アリシアさん。これでは死んでしまいます」
「どうせ逃げられないなら、こちらから戦って、ご恩返しをするまでのことだ」
アインハルは涙を落とし、何も言うことができなかった。
ハサルの民は二人を残して、反対の方角へと退避を急いだ。アインハルも断腸の思いでその一団に加わった。
ケントとアリシアは、残りの兵を討ち殺した上で、鎧袖一触の距離に近づいてくる軍団を見ていた。
「勝算はあるの?」
「そのことをさっきから考えていたところだ。縦から見ても横から見ても、戦況は絶望的だ」
「一つの兵が決して弱くないからね」
「そうだ。しかし、世話になった民たちが惨殺された以上、僕たちはあくまでも戦わなければならない。それが騎士としての誇りだからだ」
「そうね」
「では、行くぞ!」
ケントは軍列へと突進し、先頭の首をまず討った。押し潰されたような声が上がり、その断面からは血が噴き出た。
「一片たりとも慈悲をかけるな!」
そう言いながら、剣を振り回したのである。
アリシアはケントの背後を守った。しかも、ただ全体魔法で守るだけではなく、杖を用いて多彩な攻撃をも行ったのである。
とは言っても、二人の戦況は事前に予測した通りであった。数的に圧倒的に不利であることが、戦闘の過酷さをストレートに指し示していた。
しかも、この砂漠地帯はおしなべて平らかな地形であったため、高低差などで地理的な優位性を取ることも叶わなかったのである。
一騎当千の二人とはいえ、五分の一ほどの敵を討った時には、既にじりじりと体力が削られ、当初の剣の冴えは低下していた。
にもかかわらず、酷薄な敵はなおも押し迫って来たのである。
交戦中のケントとアリシアは、ここが天王山と承知していても、なお力で押し負けそうになる自分自身を鼓舞していた。
すると、敵の騎馬兵の一人が火箭を放った。その矢は軽快な音を立てて飛んで来たが、その効果は卑劣であった。矢そのものはアリシアの全体魔法のバリアーに阻まれたものの、そこからは黒煙が広がり、二人の視界は暗くなった。
ケントは辺りを見回した。アリシアが背後にいることしか分からない。軍団は煙の中に隠れており、いつどこから仕掛けてくるか不明だった。
アリシアも、緊張の一瞬の中で、敵の出方を窺っていた。心臓の鼓動すら聞こえるほどの時間が流れていた。
その時のことである。遠く頭上から、より重たい音を立てて飛んで来るものがあった。それは先ほどの騎馬兵が投げた一本の槍であって、刃の部分は恐ろしい形状をしていた。緩やかな放物線を描きながら、勢いよく二人の方向へと向かっていき、一瞬の空白を衝かれたアリシアの左腕に、あたかも引きつけられるように突き刺さった。
「アリシア!」
ケントが叫んだ時、アリシアは驚愕の表情を浮かべていた。
すると、そこから一斉に軍団が挑みかかったのである。ケントはアリシアをかばいながら、戦わなければならなかった。しかし、既に半ば囲まれている状況である以上、背後を取られるのは時間の問題である。
敗色が濃厚であった。ケントはその時、はっきりとそう感じたのである。
渾身の力で敵を討ち取りながらも、ケントはすでに、死に際を求めるつもりで戦っていた。アリシアと共に死ぬことができるならば、それもまた本望であった。
そして、剣を振るう力も尽きた時、ケントは膨大な敵を目の前に見ていた。
そこには立ち並ぶ邪悪な勢力と、矢折れ刀尽きた二人がいた。
「ここで冒険も終わりか……」
そうケントは心の中で言い残そうとした。
にもかかわらず、ケントたちの冒険は、まだ終わらなかったのである。




