第29話
「ケントさん、アリシアさん!」
振り向くと、アインハルが部屋の中に入り込んでいた。
「なぜ来たの」とアリシア。
「なぜも何も、僕たちは元から、泳がされていたんですよ」
「泳がされていた?」とケントは言った。「それはどういうことだ」
ここまで言い終わった時のことである。アインハルの後ろから、見慣れぬ一人の影が姿を現した。
「ここまでの道のりは大変ご苦労様でした。探し物はどうやら見つかったようですね。まさに、獲物をまとめて狩るには格好のタイミングと言えましょう」
そう言ったのは、一人の若い女であった。その背丈は高く、すらりとした体付きである。
「お前は誰だ。なぜ僕たちを知っている?」
「申し遅れました。私はセレナです。イール国からやってまいりました」
ケントは、「イール国」という言葉を聞くと、その王の忌まわしい演説を思い出した。
「イール国か。それにしても、随分と立派な服装だ。しかしこの様子では、ただ会いに来たわけではなさそうだな」
「その通りです。単刀直入に申し上げます。アペイロンを私たちに頂けませんか?」
「持っていないものを、どうやって渡せというのか」
「なので、その欠片の在り処を一つ一つ、教えていただければいいのです」
「断る。というよりも、それができれば僕たちも苦労はしていない。僕に掛けられた呪いを発動しないと、アペイロンの欠片の位置は分からないのだ」
「しかし、それが分かる方法があります」
「どうするのか」
「あなたの心臓を抉り出し、探知機として利用するのです」
「そんなことに、なぜ僕が生命を投げ出すと思うのか。アリシアも、アインハルも、そして僕も、紛れもなく生きているのだ」
すると、セレナは腰に下げた剣を抜いて言った。
「イール国の栄光のためには、たかだかあなたの生命など、何ものでもありません。ついでに目撃者にも死んでもらいましょう」
「この人でなしが」
ケントがそう言うと、一行は臨戦体制に入った。
そして次の瞬間、鋭い剣戟が鳴り響いた。セレナとケントが正面から切り結んだのである。剣そのものの実力は全くの伯仲であった。しかし、セレナの剣は強力な魔力を帯びていた。そのため、ケントはじりじりと後退し、やがて飛び下がって間合いを取った。
「アリシア、気をつけろ! なかなかの使い手だ」
「分かった。支援します。アインハルは下がっていて」
はい、とアインハルは言いながら、二人に守られた地帯に下がった。
アリシアは杖を正面に構え、呪文を詠唱した。
それは戦闘時に多頻度で汎用される呪文で、剣士をサポートするときに便利である。
「武具よ身を守れ、アルマ・ルミナ!」
そのように言った途端、杖の先から銀色の光が現れた。その光はみるみる大きくなり、人の形を帯び、そしてケントの身体の中に入り込んだ。ケントの攻撃力が高まり、剣の感覚が軽やかになったのに、刃の重みが増した証拠だ。
「ありがとう、アリシア」
その呪文の効果はそれだけではなかった。銀色の光はケントの身体に浸透し、そこから出ると、その正面にバリアーを展開した。それにより、打撃そのものは軽減されないが、魔力の威力を削ぐ効果があるのである。
「これならば」とケントは自信を持った。
「定石とはいえ、なかなか手間のかかることをしたものね」とセレナは言った。「しかし、私の練度を軽く見てもらっては困る!」
そう言って、セレナはもう一度、魔力を帯びた剣を振りかざした。ケントには、なぜかその軌道がひどくゆっくりに見えた。
剣は魔力が凝縮されているのか、先ほどと異なり、濃密な色を帯びている。そして次の瞬間、剣と剣が激突した。
防御魔法が展開されているのに、ケントの受けた衝撃は大きかった。あと少しで、ケントは大きく弾き飛ばされてしまったくらいである。
「まだだ! これくらいでは負けはしない」
ケントは渾身の力で突き進み、セレナへと反転攻勢した。セレナはこの部屋の入り口に陣取っている。倒すことができれば理想だが、撤退させるほどのダメージを与えればそれで良かった。
またもや、激しい剣戟。しかし、今度はセレナが反動を受けた。ケントの刃の重みは強化されていた上に、セレナの防御力は標準的だったからである。
このようにして、剣と剣は切り結び、じりじりとした消耗戦となった。むろん、アリシアも側面からサポートしたが、決定打を与えるには至らなかったのである。
体力は無限ではない以上、戦闘可能な時間には制限があった。セレナが倒れるか、ケントとアリシアが倒れるか、二つに一つである。
すると、セレナは直接攻撃を止め、変化球を投げて来た。闇の属性の魔法で、死霊の騎士を召喚したのである。
「立ち上がれ、冥府に眠る者よ。レギオン・グレイヴ!」
その騎士はほとんど自我を持たず、術者の命令に従うだけであった。しかし、その死霊は鋭い剣を持っていたので、一撃を受けると戦局は傾くと思われた。
とはいえ、騎士そのものは所詮、人形の一種にすぎない。ケントは斬撃で倒すまでのことだ、と思った。
そして、刻一刻とやって来る死霊に身構えた時のことである。
その騎士は、あたかも瞬間移動のように、間合いを詰めてきた。自我を持たないだけ、破滅的な行動も躊躇なく取れるのが、死霊特有の強みであった。
ケントは身を守ろうとしたが、その反応は間に合わなかった。一撃は免れたものの、ケントは部屋の隅に弾き飛ばされたのである。
アリシアは、光魔法で死霊を足止めした。そして、必ずしも強くない剣をも抜き、その死霊の首に斬りかかった。
致命的な打撃が加わり、死霊の騎士はその場で倒れた。
すると、セレナは体勢を崩した二人につけ込み、反対側に残されたアインハルに狙いを定めた。
「こちらがおろそかになっているようね」
セレナは右手をかざし、そこから魔道波を発した。赤く禍々しい光が、勢いよく飛び出し、今にもアインハルを包み込もうとしていた。
「アインハル!」
ケントはそう叫び、近寄ろうとしたが、もはや距離的に間に合わない。一歩ごとに、刻一刻と、無防備な者が撃たれようとしている。
すると、不思議なことが起こった。先ほどの「剣の軌道がひどくゆっくりに見える」という現象が、再び生じたのである。しかも、今度はその「ゆっくりさ」がより極端になり、セレナはほとんど動いていないのに、ケント自身は動いているという状況となった。
しかし、これはチャンスであった。
ケントは、アインハルをかばうことのできる立ち位置に立った。
すると、時間が元通りになり、ケントはセレナの魔道波を受け流した。
「ありがとうございます、ケントさん!」
そう言って、アインハルは安堵の表情を見せた。
セレナは驚きの表情を見せたが、すぐに何が起こったのか、いくつかの可能性を絞り込んだようであった。
ケントは、さっきこそ防御で手一杯であったが、今度はこの現象を用いて攻撃に転じられないかと思った。
その時、例の不吉な感覚——存在剥離の呪い——が発動したのである。それはただ一個人に留まるものではない。存在の剥離は全世界的なものであった。
ケントは、すぐに事実が何であるかを理解した。この心臓の呪いのリミッターを外すことで、時を遅らせることができるのである。
しかし、その代償はあまりに大きかった。したがって、この場面では使えたとしても、ごく短時間、一回切りに留まるであろう。
その使い方を思案していると、セレナが距離を取った連続攻撃を繰り出してきた。セレナは剣の練度もさることながら、魔力の蓄積も高いレベルに達していたのだった。
ケントとアリシアは、防戦一方であった。いくら二人が戦闘に慣れているとはいえ、そもそもセレナが格段に強すぎたのである。
そして、「その時」は訪れた。疲労困憊の中、ケントは一撃を受けたのである。
「ケント!」
アリシアは近寄ったが、ケントはその場で膝を付いていた。そして、アリシアも後ろから一撃を受け、身動きが取れなくなった。
「結構な手間がかかりましたね。しかしこれで獲物を狩り、無事に心臓を使えるようになる」
そう言って、セレナは剣を抜き、とどめの一撃を刺そうと、こちらへ向かってきた。
ケントは渾身の力を放ち、その場から立ち上がった。
「まだそんな力が残っているとはね。しかし、もはやそれも死に体。心臓を抜き取られ、この遺跡の中で朽ち果てるがよい」
セレナは、剣を勢いよく振りかぶった。
その時のことである——ケントの中で、呪いの力が目覚めたのは。
ケントの視界では、振りかぶった剣が非常にゆっくりに見え始めた。その軌道は残像となり、刻一刻と先が読めたので、その場で避けるのは難しくなかった。
ケントは、異なる時空の線に存在していた。そのため、その動きの一歩ごとに大きな負荷がかかり、あたかも血が奔騰しそうな感覚を覚えた。
そして、渾身の力でセレナに対して一撃を加えたのである。
セレナは、剣の先から人影が消え、時を超えて急襲を受けたことに驚愕した。そして、自分自身が大きく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられ、体から血が滴っているのに気付いた。あと少し攻撃がズレていれば、致命傷はまぬかれなかっただろう。
この状況下では、先ほどのように死霊の騎士を召喚することはできなかった。それどころか、通常戦闘がこれ以上続行できるかどうかも怪しかったのである。
「いささか油断したようね……」
しかし、血の滴りはますます量を増していた。その顔色は蒼白であった。
セレナはやむを得ず、この戦闘からの撤退を決めた。
そして、時間とコストのかかる「脱出魔法」を唱えている間、ケントたちは追撃しなかった。その余裕がなかったからである。




